教育によって子供の活力が失われていく?

 身体的に丈夫な子供の場合は,活力は,学校にあがるまでに急速に最高点に達するが,その後,教育によって減らさる傾向にある.

In vigorous children it (vitality) quickly rises to a maximum before they reach school age, and then tends to be diminished by education.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-110.HTM

<寸言>
子供のような活力がなくなってくると、大人になってきたと勘違いする。数は非常に少ないが、年をとっても若々しさを失わない人がおり,羨ましがられる。

愛情ある親は子供に対し、証拠や前例をしめすことを要求しない

 私たちは、自分自身にとって良いことを望む(欲する)が、その際、自分自身のために何か良いものを手に入れれば何らかの大きな目的が促進されるという証拠を最初に見せよといった要求を自分自身に対して行うことはない愛情ある普通の親は皆、我が子に対し、同様の感情を抱く。

we desire good things for ourselves without first demanding a proof that some great purpose will be furthered by our obtaining them. Every ordinarily affectionate parent feels the same sort of thing about his or her children.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1: Postulates of Modern Educational Theory
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-090.HTM

<寸言>
 何事も最初は前例はないが、官僚は前例がないものはやりたがらないし、やらせたがれない(許可を与えない)。だから、何か新しいことをやりたいという者に対しては、前例を示せ(さがすように)、あるいは、確実に成果があがることを「証拠」で示せと理不尽なことを言いがちである。
政治家はそれに対し、前例がないものについて前例をつくり評価されたがる。しかし、意欲はあっても頭脳がすぐれていない場合が少なくないので、官僚に理屈を考えさせる。官僚も自分たちは新しいことをやりたがらないが、政治家が前例をつくることを必ずしもいやがらずに(あるいは喜んで)協力する。
そうして、政治家は、協力してくれた高級官僚に対し、政治ポスト(政治家が決定できたり候補者を推薦できるポストを用意する。ここに政官癒着癒着の土壌ができあがる

望ましい活動へ自発的に向かう心の習慣づくり

 基本的な理念(考え方)は単純である。(即ち,)正しい’しつけ’は,外部からの強制にあるのではなく,望ましくない活動よりも,望ましい活動へ自発的に向かう心の習慣にある,ということである。驚くべきことは,この理念を教育において具体化する技術的な方法を発見することに大きな成功を収めたことである。この点で,モンテッソーリ夫人は最高の称賛に値する。

The fundamental idea is simple: that the right discipline consists, not in external compulsion, but in habits of mind which lead spontaneously to desirable rather than undesirable activities. What is astonishing is the great success in finding technical methods of embodying this idea in education. For this, Madame Montessori deserves the highest praise.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1: Postulates of Modern Educational Theory
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE01-090.HTM

<寸言>

three boy read book indoors

自分の教育力わかりやすく説明する力教育技術の乏しさを自覚せず、どうしてよいかわからないので,自分やお上が正しいと思うことをそのまま子どもに押し付けようとする,最悪の教師や学校経営者や(教育行政に携わる)文部官僚。愛国心教育や古い道徳教育を青少年に吹き込んで従順な国民をつくりたいという政治家も同罪。

大人(や国家)にとって都合のよい従順な子どもづくりのための躾

自分の3歳の息子(注:1921年生まれの長男の John Russell)をモンテッソーリ式学校に入れ,午前中をそこで過ごさせることによって,私は,息子がたちまち,以前よりも躾の良い人間になり,喜んで黙って校則に従っていることがわかった。しかし,息子には,外部から強制されたという感情はまったくなかった。校則は,ゲームのルールのようなものであり,楽しみを得る手段として守られた(ルールに従った)のである。

On sending my little boy of three to spend his mornings in a Montessori school, I found that he quickly became a more disciplined human being, and that he cheerfully acquiesced in the rules of the school. But he had no feeling whatever of external compulsion: the rules were like the rules of a game, and were obeyed as a means of enjoyment.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1: Postulates of Modern Educational Theory
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE01-090.HTM

<寸言>
安倍総理や昭恵夫人を始めとして、保守的かつ愛国主義の立場に立つかなりの政治家は,(連日マスコミにとりあげられている)森友学園における愛国主義教育や躾(学園が正しいと思うことを子供が理解できなくとも「吹き込む」こと)に「感銘」を受け,推奨していた。
しかし,国有地の不正取得の疑いが指摘され,教育の実態(幼稚園児に軍歌を歌わせ、「愛国的な」言葉を連呼させ、果ては安倍総理に感謝の言葉をささげさせる姿)が知られるに連れ、自分たちの浅はかさを棚にあげて、学園とは自分は関係ないという態度に豹変している。
幼児判断力がまだないので言われたとおりに従うが,思春期になって大人たちによってひどい教育を受けていたことに気づいた時、その反動が恐ろしい。

「国家」のために命を捧げる ー ◯◯ファーストの浅はかさ

Japan’s Prime Minister Shinzo Abe, center, and his cabinet ministers, escorted by a Shinto priest, arrive at the Grand Shrine of Ise, central Japan, for offering a new year’s prayer Monday, Jan. 5, 2015. Japanese Prime Minister Abe said Monday that his government would express remorse for World War II on the 70th anniversary of its end in August. (AP Photo/Kyodo News) JAPAN OUT, MANDATORY CREDIT

が有用なのは穀物を生み出すからであり,穀物が有用なのはパンを作り出すからであり,パンが有用なのは生命を維持するからである。しかし,生命は,何らかの本質的な価値を持ちうるものでなければならないもしも,生命がほかの生命のための手段としてのみ有用だとすれば,生命はまったく有用ではなくなるだろう(例:黒人は白人のため,一般人民は一部のエリートのため,ユダヤ人はドイツ人のため,特攻隊員は天皇のため・・・,アメリカ人の生命と自由を守るため他国民が犠牲になっても・・・)。

This (seed) is useful because it produces grain, which is useful because it produces bread, which is useful because it preserves life. But life must be capable of some intrinsic value: if life were merely useful as a means to other life, it would not be useful at all.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1: Postulates of Modern Educational Theory
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE01-030.HTM

<寸言>
 国家主義者は,個々の国民の命よりも国家(や国体)をより重視する。しかし,自分が危険にさらされると,自分個人の命を惜しんだりする。(優れた)自分=国家(の一部or国家そのもの)だと考えたりする。国家=天皇(天皇制)と考える者もいる。そういった人間は,国民の命よりも国としてのメンツ(実際は自分の気持ち)をより重視し,小競り合いくらいの戦争も辞さない。戦争はそういった小規模なものからいつの間にか拡大していってしまう。

子供のための教育ではなく,自分たちの思想を押し付けるための教育

 教育は’ある明確な信念を注入する手段‘であると考えている人びとと,教育は自立的な判断力を養う(生み出す)べきものであると考えている人びととの間には,意見の一致はまったくない。

There can be no agreement between those who regard education as a means of instilling certain definite beliefs, and those who think that it should produce the power of independent judgement.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926,preface.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE-PREF.HTM

<寸言>
(森友学園の)幼稚園児に,愛国を強要し,軍歌を歌わせたり,(安倍総理などの)愛国政治家を褒め称えさせたりしている映像がテレビで頻繁に流れたことから,森友学園を賛美してきた政治家や評論家も,森友学園とは余り関係していないかのような態度をしめして誤魔化そうとするばかりで,責任をとろうとしない。

論理的推論力よりも愛国的感情の方が強い人

Japan’s Prime Minister Shinzo Abe, center, and his cabinet ministers, escorted by a Shinto priest, arrive at the Grand Shrine of Ise, central Japan, for offering a new year’s prayer Monday, Jan. 5, 2015. Japanese Prime Minister Abe said Monday that his government would express remorse for World War II on the 70th anniversary of its end in August. (AP Photo/Kyodo News) JAPAN OUT, MANDATORY CREDIT

そして戦争の絶滅なしでは,文明は存続しえない。論理的推論力よりも愛国的感情の方が強い人にとっては,これは苦しいジレンマであるが,戦争廃絶の必要性が知的に理解されなければ,事態の進展によって,悲惨に立証されるであろう。
(注:本エッセイは1930年代初めに執筆されたものであり,「事態の進展(第二次世界大戦)により,ラッセルの警告は立証された。)

And if war is not abolished, civilization cannot survive. This is a painful dilemma for those whose patriotic feelings are stronger than their reasoning powers, but if it is not apprehended intellectually it will be disastrously proved by the march of events.
出典: Right and Might (written in early of 1930s and pub. in 1975 in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/SEIGI.HTM

<寸言>
国民の生命を守る,というのならよいが,領土を「絶対に」守ると勇ましいことを言う政治家には注意が必要。領土については国によって考え方が違う以上,たとえ自分たちの主張が正しいとしても、「絶対に」という言葉(表現)で酔ってはいけない。本当に「絶対に」ということであれば戦争も辞さないということになり,最初は小競り合いだったものが,エスカレートしていき,非難合戦終始することになる。政治家とともに「愛国心」に燃えた国民も同調し,政治家は国民の支持があるということで、なかなかひけなくなってしまう。

「アメリカ,ファースト」,「世界は,セカンド」。

 しかし,戦争には反対であるが,各国政府が紛争時において自己の立場の最終的判定者である現在のシステムに賛成であるという意見には,いかなる論理の見せかけすらないことは確かである。もしも戦争が永久に廃絶されるべきであるならば,抵抗できない軍事力を備えた国際的な政府の樹立以外には不可能であろう。

But you cannot say, with any semblance of logic, that you are against war but in favour of the present system, according to which, in a dispute, every government is the ultimate judge in its own case. If war is ever abolished, it will have to be by the establishment of an international government possessed of irresistible armed forces.
出典: Right and Might (written in early of 1930s and pub. in 1975 in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/SEIGI.HTM

<寸言>
「アメリカ、ファースト」を唱えるトランプは、いかなる小国も自国ファーストを唱える権利があると言っているのであろうか? そうであれば、小国は自国ファーストは実際上不可能であることから、弱肉強食になるだけであり、世界は紛争、悪ければ第三次世界大戦が起こりかねない。そうでないとしたら、つまり、自国やソ連など大国は自国ファーストを唱えてよいが、それ以外は自国セカンドであるべきだと言っているのであろう。
日本は? トランプの気持ちは、対米関係においては、アメリカ、ファーストであり、日本はセカンドに徹しろ、ということであろう。

ヘイトスピーチをヘイトスピーチだと思わない人々

 我々の時代には、我々が野蛮な過去から引継いだ非合理な要素を讃美する傾向がある。しかし、我々はこの種の要素を科学技術と結びつけることができない。本気で非合理的要素を称賛する人々は、産業主義を放棄し、国民の90%を餓死させ、弓矢の昔にもどるべきである。このような代替案に直面したくなければ、自然力の支配(面)における文明化だけでなく、自らの感情(面)においても文明化しなければならない

There is in our time a tendency to exalt the elements of unreason which we have inherited from our barbarous past; but we cannot combine these elements with scientific technique. Those who praise them should give up industrialism, let ninetenths of our population die of hunger, and revert to bows and arrows. If they will not face this alternative, they must become civilised in their passions, not only in their command over natural forces
出典:Bertrand Russell: Is progress assured?,  In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/PROGRESS.HTM

<寸言>
文化的な愛国心であれば実害はほとんどないが,政治的な愛国心は非常に危険。

文化的愛国心は,自国の文化がすぐれていて親しみやすいものであれば,若者に「吹き込む」必要はない。国家が吹き込みたいのは、文化的愛国心よりも、国家(支配層・保守層・既得権益者)のために,自らを犠牲にして尽くす人間をたくさん生み出すこと。

第二次世界大戦での日本人の死者は310万人とし、為政者は「尊い犠牲を無駄にしてはいけない」と繰り返し言うが、それでは,中国人1,000万人の犠牲者の大部分は中国国内での内戦で死んだとでも言うのであろうか? 日本人は第二次世界大戦で外国人をどれだけ殺したであろうか? 310万以上であることは疑えないであろう。もしそうでないとしたら、どこの国の人間が殺した(あるいはみんな自殺した)というのであろうか?
南京事件はなかったとか,日本軍が殺した南京市民は数万人にすぎない(あるいは南京事件そのものがでっちあげで存在していない)とか、南京事件を世界記憶遺産に承認したUNESCOには拠出金を出すのをやめるべきだとか・・・。

中国や韓国であろうと、ソ連であろうと、どこの国であろうと,UNESCOを政治的に利用すべきではない。また,UNESCOへの拠出金と結びつけるべきではないだろう。

知性よりも激情に従うほうが楽なので・・・

 ほとんどの人は自分の知性よりも激情に従う方が楽だと考える。しかし,もしもその罰としての結果が飢餓であれば,我々(彼らも)もやがては合理的であることを受け入れるであろう普遍的繁栄の条件は極めて単純で周知のことであるが,それには我々のものの感じ方の習慣の変更が必要である。それゆえ,世界大恐慌の教訓が人間の心の奥底に深く沈殿した時(例:1929年世界大恐慌直後)にのみ,採用されることだろう。

Most people find it pleasanter to follow their passions rather than their intelligence, but when the penalty is starvation, they will, in the long run, submit to being reasonable. The conditions of universal prosperity are quite simple and well known, but they involve changes in our habits of feeling, and will, therefore, only be adopted when the lessons of the Depression have sunk deep into men’s minds.
出典:Bertrand Russell: The consolations of history, Feb. 22 1933. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/REK-NAGU.HTM

<寸言>
リーマン・ショックサブプライムローンの破綻など,米国では数年に1度,大きな経済破綻が起こることが当たり前のことになってしまっている。景気が一見よいように見えて,ある日突然歯車が狂って,経済恐慌が起こってしまう

次は中国のバブルが崩壊するのではないかと言われている。現在の中国経済は世界経済にしっかり組み込まれているので,中国バブルがはじけた場合には,リーマン・ショックどころではない影響が世界中に及ぶと言われている。
しかし人々はうっすら不安をかかえながらも,実体経済がそれほどよくないのに(また実質賃金が減り続けているのに)、株があがったと喜び,今のうちに株で儲けよう,バブルがはじける直前に売り抜けようと,浅ましい気持ちで株価の変動に一喜一憂している。政府も自作自演で株価を高騰に導こうと,博打的な手を打ち(政府から独立しているはずの日銀やなどを介し,またGPIFが巨額の年金資金を株の購入に費やし),国民をごまかそうとしている。・・・。