(「意志の塊」の) 政治家に感受性を求めても無駄?

 感受性の望ましい形次の発達段階は、共感(同情)である。・・・。必要なのは、次の2つの方向への拡大である。その第1は、苦しんでいる人が特別な愛情の対象でない場合でも共感を覚えること。その第2は、その苦しみが感覚でとらえられる形では現存していなくても、いま起こっているのだと知るだけで共感を覚えることである。

The next stage in the development of a desirable form of sensitiveness is sympathy. .. The two enlargements that are needed are: first, to feel sympathy even when the sufferer is not an object of special affection; secondly, to feel it when the suffering is merely known to be occurring, not sensibly present.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-170.HTM

<寸言>
 「感受性」には「想像力」が必要。「意志の強さ」ばかりを強調する政治家に感受性を求めても無駄な努力に終わるであろう。また,他人に対する思いやりが大事だという政治家も、可能なのは(ラッセルの言う)第1の方向だけであり,第2の方向、即ち,「その苦しみが感覚でとらえられる形では現存していなくても、いま起こっているのだと知るだけで共感を覚えること」などは,知性も,想像力も乏しい政治家には所詮無理なこと。