株式会社(事業法人)の組織の複雑さは,いかなる政治機関の組織の複雑さよりも大きなものになりがちである。取締役(directors),株主,社債保有者,管理職(exective staff),及び一般の被雇用者(一般社員)と,すべてがそれぞれに異なった役割をもっている。株式会社における統治は,通例,寡頭制の形をとっており,その(寡頭制の)単位は株主ではなく秩券であって,取締役は株主たちの選んだ代表者である。(この一文は,みすず書房版の東宮訳では「政治は形の上では寡頭政治が通例で・・・」となっている。The government を「政治」と訳しているが、ここでは株式会社における統治の問題を論じており、the がついていることに注意する必要がある。また,directors は理事ではなく,取締役と訳したほうがよいであろう。)実際,株式会社の取締役(directors)が株主に対して(as against)もっている権力は,(政治的)寡頭制の政府に属している指導者(注:単数形の director を補って考える)が(指導者でない)個々の支配者に対して(as against the ndividual oligarchs)持っている権力よりもはるかに大きい(注:たとえば,独裁的な政府における大統領や総理大臣とそれ以外の者の権力の大きさの差が大きいことを言っているのか?/ than の後ろは belongs to と単数形になっていることに注意)。これに反して,労働組合がよく組織化されているところでは,被雇用者は自分たちの雇傭条件についてかなりの発言権を持っている。資本主義(体制化の)企業には,特有の(な)目的の二重性がある。(即ち)一方では,企業は公衆に商品やサービスを供給するために存在し,他方では,株主に利益を与えようとする。政治組織の場合においては,政治家は,単に自分の俸給を最大限にすることだけを目指すのではなく,公共の為になること(公共の善)も目指すものと考えられている(想定されている)。この口実(pretence 見せかけ/ふり)は専制政治のもとにおいてさえも推持されている。これが,実業(の世界)よりも政治(の世界)において,より偽善が多い理由である。しかし,民主主義と社会主義的な批判との両方の影響のもと,多くの重要な産業界の大物は,政治的なぺてん(ごまかし)の術を身につけ,公共の善(の実現)は自分たちが財産を作る動機であるというふりをすることを学んできている。これは政治と経済とが連合(癒合)しようとする現代の傾向のもう一つの実例である。
Chapter XII: Powers and Forms of Governments, n.28
The complexity of the organization of a business corporation is apt to be greater than that of any political institution. Directors, shareholders, debenture holders, executive staff, and ordinary employees, all have different functions. The government is usually in form an oligarchy, of which the units are shares, not shareholders, and the directors are their chosen representatives. In practice, the directors usually have much more power, as against the shareholders, than belongs to the government of a political oligarchy as against the individual oligarchs. Per contra, where trade unionism is well organized, the employees have a considerable voice as to the terms of their employment. In capitalistic enterprises there is a peculiar duality of purpose: on the one hand they exist to provide goods or services for the public, and on the other hand they aim at providing profits for the shareholders. In political organizations, the politicians are supposed to be aiming at the public good, not only at maximizing their own salaries; this pretence is kept up even under despotisms. This is why there is more hypocrisy in politics than in business. But under the combined influence of democracy and socialistic criticism, many important industrial magnates have acquired the art of political humbug, and have learnt to pretend that the public good is their motive for making a fortune. This is another example of the modern tendency to the coalescence of politics and economics.
出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.27
株式会社(business corporations 事業法人/私企業)は非常に多様な寡頭政治的組織形態を示している。私が目下のところ考えているのは,被雇用者が経営から閉めだされているということではない。私は,今,株主についてのみ考えている。私の知る限りで,この問題について最もよい説明は,既に言及した,A.A.バーリ ,G.C.ミーンズ (共著)『現代の株式会社と私有財産』の中に述べられている。その「統制の発展」と名付けられた章で,彼らは,少数の独裁的な集団(oligarchies)が,しばしば所有権にごく少し参加するだけで(注:たとえば,ある程度株を保有するだけで),膨大な資本の集合体(vast aggregations)を統治権を獲得するに至ってきたか示している(述べている)。(会社の役員を決める)投票委員会(the proxy committee)に関連した(種々の)からくり(devices)によって,経営陣(the management)は,「事実上,(彼ら経営陣の)後継者たちを指図することができる。所有権が十分に細分化されている場合(注:株式が非常に多くの人々が保有している場合),経営幹部は,このようにして,たとえ所有権に参加することがいかにわずかであったとしても(無視できるほど少なくても),居座り続ける人物(self-perpetuating body)となることができる(のである)。このような状態に最も近いやり方(nearest approach)で,筆者(私)がこれ以外の場所(elsewher 他の場所)で発見することのできたものは,カトリック教会を支配している組織である。教皇は枢機卿たちを選び,枢機卿たちは今度は次の教皇を選ぶ(注:ラッセルが言いたいのは、自分を教皇に選んでくれそうな者を枢機卿に選ぶというやり方をとっているということ)(原注:同書,pp.87-88)。 このような統治形態は,現在最大の株式会社のいくつかに存在している。たとえばアメリカ電信電話会社(AT & T)やアメリカ合衆国鉄鋼株式会社(USスティール)のような株式会社で,(1930年1月1日現在)それぞれ,40億ドル及び20億ドルの資産を持っている。後者においては,理事たちの持株を全部集めても全体の1.4%に渦ぎない。しかしそれにもかかわらず,経済的権力は全てこれらの理事の掌中にある(のである)。
Chapter XII: Powers and Forms of Governments, n.27 Business corporations exhibit a great variety of oligarchical forms of constitution. I am not thinking, at the moment, of the fact that the employees are excluded from the management ; I am thinking only of the shareholders. The best account of this subject known to me is in a book to which I have already alluded, The Modern Corporation and Private Property, by Berle and Means. In a chapter called “The Evolution of Control,” they show how oligarchies, often with very small participation in ownership, have acquired the government of vast aggregations of capital. By means of devices concerned with the proxy committee, the management “can virtually dictate their own successors. Where ownership is sufficiently subdivided, the management can thus become a self-perpetuating body even though its share in the ownership is negligible. The nearest approach to this condition which the present writer has been able to discover elsewhere is the organization which dominates the Catholic Church. The pope selects the Cardinals and the College of cardinals in turn selects the succeeding Pope.” (note: 0p. cit., pp. 87-8.) This form of government exists in some of the largest existing corporations, such as the American Telephone and Telegraph Company, and the United states steel Corporation, with assets (on January 1, 1930) of four billion and two billion dollars respectively. In the latter, the directors collectively own only 1.4 per cent of the shares; yet the economic power is wholly theirs.
出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.26
これまで,我々は政治における統治形態について関心を払ってきた(検討してきた)。しかし,経済組織において生ずる統治形態は(も)非常に重要かつ独得でもあるので,別途考察する必要がある。 産業上の事業においては,まず,古代における市民と奴隷との間の区別によく似た区別がある。市民とは事業に投資した者のことであり,奴隷とは被雇用者のことである。私は,この比喩を(無理に/極端に)押し進めたくない。被雇用者は,可能な場合には自由に職を変えることができ,また,労働していない間は自分の好きなように時間を費やす権利があるということ(事実)において,奴隷と異なっている。私が持ち出したいと思う比喩は,統治に関するものである。専制政治(独裁制),寡頭政治(寡頭制),及び民主政治(民主政)は,自由人に対する関係において異なっていた。(即ち)奴隷に関しては皆似通っていた(よく似ていた)。同様に,資本主義における企業においては,権力は,投資家の間で,ある場合には君主政治的に分割され,ある場合には寡頭政治的に分割され,またある場合には民主的に分割されるであろう。しかし,被雇用者は,投資家でなければ,まったく権力の分前を持たず,古代において奴隷が持っていたと思われるほどの権利も持っていないと考えられている。
Chapter XII: Powers and Forms of Governments, n.26
So far, we have been concerned with the forms of government in politics. But the forms which occur in economic organizations are so important and peculiar that they require separate consideration. In an industrial undertaking, there is, to begin with, a distinction analogous to that between citizens and slaves in antiquity. The citizens are those who have invested capital in the undertaking, while the slaves are the employees. I do not wish to press the analogy. The employee differs from a slave in the fact that he is free to change his job if he can, and in his right to spend his non-working hours as he pleases. The analogy that I wish to bring out is in relation to government. Tyrannies, oligarchies, and democracies differed in their relations to free men; in relation to slaves, they were all alike. Similarly in a capitalist industrial enterprise the power may be divided among investors monarchically, oligarchically, or democratically, but employees, unless they are investors, have no share in it whatever, and are thought to have as little claim as slaves were thought to have in antiquity.
出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態
誰か指導者に対して熱意を感じている場合を除いて,大きな民主主義国(a large democracy)の有権者は,ほとんど自分が権力を持っているという感覚を持っていないので,自分の投票権を行使することに価値あるとは考えないことが多い。有権者が重要な政党(の一つ)の熱心な宣伝家でもないかぎり,誰が統治するかを決定する力(諸勢力)の膨大さは、そのカの一部としての(一人の)有権者の役割は全く取るに足らないもの(無視できるもの)にしてしまう。実際,有権者ができることの全ては,一般的にいって,二人の(候補者の)うちのどちらかに投票することだけであり,二人の候補者の選挙綱領は有権者の興味をひかないかも知れず,どちらの選挙綱領もほとんど違わないかも知れず,有権者も知っているように,当選するやいなやその候補者(当選者)はとがめを受けることなくその選挙綱領を棄ててしまうかも知れないのである。一方,有権者が熱意をもって賞賛する指導者がいる場合には,そこに含まれている心理には,君主制との関連で考察した心理と同じものである。即ち,王(君主)とこの王を積極的に支持する種族や党派との間にある結びつきの心理に近い。あらゆる政治的な煽動家あるいはオルガナイザー(まとめ役)としてたけた者は,ある個人への献身を刺激することに専心する。その個人が偉大な指導者であれば,その結果は独裁政治であり,そうでなければ,彼の当選を確保した(勝ち取った)政党の幹部(caucus)が実権を握ることになる。 これは真の民主主義ではない。統治領域が広大な場合に民主主義をいかにして確保するかという問題は難問である。この点については、後の章で再考しよう。
Chapter XII: Powers and Forms of Governments, n.25
Except when he feels enthusiasm for a leader, the voter in a large democracy has so little sense of power that he often does not think it worth while to use his vote. If he is not a keen propagandist for one of the important parties, the vastness of the forces that decide who shall govern makes his own part in them appear completely negligible. In practice, all that he can do, as a rule, is to vote for one or other of two men, whose programmes may not interest him, and may differ very little, and who, he knows, may with impunity abandon their programmes as soon as they are elected. If, on the other hand, there is a leader whom he enthusiastically admires, the psychology involved is that which we considered in connection with monarchy : it is that of the tie between a king and the tribe or sect of his active supporters. Every skilful political agitator or organizer devotes himself to stimulating devotion to an individual. If the individual is a great leader, the result is one-man government ; if he is not, the caucus which has secured his election becomes the real power. This is not true democracy. The question of the preservation of democracy when governmental areas are large is a very difficult one, to which I shall return in a later chapter.
出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.24
現代の大国における民主主義は,ある一定の短所を持っているが,それは。実際,同一地域に対する他の統治形態と比較しての話ではなく,当該住民の数が膨大になったことによる避けることができない短所である。古代(訳注:古代ギリシアが念頭にあり)においては,代議制度がまだ知られておらず,(市が開かれる)広場に集った,市民たち(訳注:奴隷は含まれず)は,個人として,一つ一つの問題について投票を行なった。国家がただ一つの都市に限られているかぎり(訳注:ギリシアの都市国家のようなもの)),-このような制度は市民一人ひとりにリアルな(現実の)権力感と責任感を与え,特に問題の大部分が個々の市民の経験から容易に理解のできるようなものである場合にはなおいっそうそうであった。しかし,選挙によって選出された立法府(議会)が存在していなかったために,民主主義は広い地域に広がることができなかった。都市国家ローマの市民権(citizenship 公民権)がイタリアの他の地区の住民にも与えられた時,新しいローマ市民(訳注:ただし他の地区在住)は,実際のところは,何ら政治的権力の分前(参政権)を獲得できなかった。なぜなら,事実の上で市民権を行使できたのは,ローマに実際に住んでいる者だけだったからである。(そういった)地理的な困難(問題)は、現代世界において,代議士を選ぶという慣行によって克服された。ごく最近まで,代議士は,一度選ばれると,かなり独立の権力を持つことができたが,それは首都から遠く離れたところに住む人々には何が起っているのかすぐにはわからずまたあまり詳しく知ることができず,自分たちの意見を効果的に表現することができなかったからである。けれども今日では,放送,迅速な移動性,新聞などのおかげで,大きな国々はますます古代の都市国家に似てきている。(即ち)中央にいる人々と遠隔の地にある有権者との間には,(一種の)個人的な接触が(昔より)より存在している。指導者に従う者も指導者に圧力を及ぼすことができるし,指導者も逆に自分につき従う者に影響を及ぼすことができるようになっており,その(影響の)程度は18世紀や19世紀には不可能であったほどのものとなっている。その結果,代議士の重要性を減少させ,指導者の重要性を増大させてきている。議会は(も)もはや有権者と政府との問の有効な(力のある)仲介者ではない。昔は選挙期間だけに限られていたいかがわしい(うさんくさい)宣伝家のからくりも全て,今では絶えず(いつでも)利用することができる。ギリシアの都市国家(に似たもの)が,その煽動者(デマゴーグ),暴君,親衛隊及び亡命者(の出現)ととともに(今)復活してきているのは,都市国家的な宣伝方法が再び利用できることになったからである(訳注:ラッセルは1933年以降のドイツにおけるナチスの台頭などを念頭においている)。
Chapter XII: Powers and Forms of Governments, n.24 Democracy, in a modern great State, has certain disadvantages, not, indeed, as compared with other forms of government over the same area, but inevitably owing to the immense population concerned. In antiquity, the representative system being unknown, the citizens assembled in the market-place voted personally on each issue. So long as the State was confined to a single city, this gave to each citizen a sense of real power and responsibility, the more so as most of the issues were such as his own experience enabled him to understand. But owing to the absence of an elected legislature, democracy could not extend over a wider area. When Roman citizenship was granted to the inhabitants of other parts of ltaly, the new citizens could not, in practice, acquire any share of political power, since this could only be exercised by those who were actually in Rome. The geographical difficulty was overcome, in the modern world, by the practice of choosing representatives. Until very recently, the representative, once chosen, had considerable independent power, since men living at a distance from the capital could not know what was happening soon enough, or in sufficient detail, to be able to express their opinion effectively. Now, however, owing to broadcasting, rapid mobility, newspapers, etc., large countries have become more and more like the City States of antiquity; there is more personal contact (of a sort) between men at the centre and voters at a distance ; followers can bring pressure on leaders, and leaders reciprocally can exert influence on followers, to an extent which was impossible in the eighteenth and nineteenth centuries. The result has been to diminish the importance of the representative and increase that of the leader. Parliaments are no longer effective intermediaries between voters and governments. All the dubious propagandist devices formerly confined to election times can now be employed continuously. The Greek City State, with its demagogues, tyrants, body-guards, and exiles, has revived because its methods of propaganda have again become available. 出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.23
一つの統治形態としての民主主義の難しさ(難点)は,民主主義が迅速な妥協 (進んで速く妥協すること)を要求することである。敗北した政党は,(民主主義の)原則には敗北した政党が屈服することは臆病である(注:pusillanimous 気が弱い)とするような(思わせるような)重要性が含まれていると考えてはならない。他方,多数党は(も),敗北した政党が反乱を起こす地点まで押し進んではならない(注:press the advantage 押し進む/press one’s advantage 優勢なのでどんどん行く)。このためには,(理論だけでなく)実践及び法に対する尊敬(尊重)が必要であり,自分自身の意見以外の種々の意見は邪悪さの証拠だということにならないかもしれないと信ずる習慣が必要である。さらにそれ以上にさえ必要なことは,(そこに)激しい恐怖の状態があってはならないということである。というのは,そのような状態がある場合には,人々は指導者を探し求め,見つかるとその指導者に屈服し,その結果,多分その指導者は独裁者となるに間違いないからである。右(以上)のような条件があたえられれば(注:法の尊重,恐怖心がないこと,他人の意見の尊重などの条件) ,民主主義は今日までに考案された(統治形態の)なかで,最も安定した統治形態となりうる。アメリカ合衆国,大英帝国,大英帝国の自治領(Dominions),スカンジナヴィア(諸国)及びスイスにおいて,民主主義は,外部(外国)からの危険以外,危険な方向に走ることはほとんどない。フランスにおいては,民主主義はますます確立されつつある。そうして,民主主義には,安定性の他に,政府が国民(subjects 臣民)の福祉(幸福)に注意を払わせる(注意を払わざるをえなくさせる)という長所を持っている。それはもしかすると(国民が)望むほどではないかも知れないが,維対君主制や寡頭制や独裁制に見られるよりはるかに,国民に対する注意が払われるであろう。
Chapter XII: Powers and Forms of Governments, n.23
The difficulty of democracy, as a form of government, is that it demands a readiness for compromise. The beaten party must not consider that a principle is involved of such importance as to make it pusillanimous to yield; on the other hand, the majority must not press the advantage to the point at which it provokes a revolt. This requires practice, respect for the law, and the habit of believing that opinions other than one’s own may not be a proof of wickedness. What is even more necessary, there must not be a state of acute fear, for, when there is such a state, men look for a leader and submit to him when found, with the result that he probably becomes a dictator. Given these conditions, democracy is capable of being the most stable form of government hitherto devised. In the United States, Great Britain, the Dominions, Scandinavia, and Switzerland, it runs hardly any danger except from without; in France it is becoming more and more firmly established. And in addition to stability, it has the merit of making governments pay some attention to the welfare of their subjects — not, perhaps, as much as might be wished, but very much more than is shown by absolute monarchies, oligarchies, or dictatorships.
出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.22
ここからえられる教訓は,民主主義国(a democracy)は - 選挙で選ばれた代議士(たち)に権力を委任せざるを得ないので- 革命的な状況においては,代議士たちが民主主義国の(いろいろな)願望を代表し続けてくれるという安心感(security)を感じることができない,ということである。議会の願い(願望)は,容易に想像のできる状態において,国民の大多数の願い(願望)と対立するかもしれない。そのような状況において,議会が圧倒的な兵力(a preponderance of force)に頼ることができれば,議会はまったく咎めなく(with impunity)大多数の人々を裏切るかもしれない。 だからといって,民主主義よりもより良い統治形態があると言っているのではない。私はただ,人々には(どうしても譲ることができずに)戦うであろう諸問題があり,そのような問題が生ずる場合にはいかなる統治形態も内戦/内乱を防ぐことはできない,と言っているに過ぎない。政治(統治)の最要な目的の一つは,問題が先鋭化して内乱に至ることがないようにすることであるべきである。この観点から見て,民主主義は -それが常習的なものであるところでは- 多分,他のいかなる既知の統治形態より望ましいものであろう。
Chapter XII: Powers and Forms of Governments, n.22 The moral is that a democracy, since it is compelled to entrust power to elected representatives, cannot feel any security that, in a revolutionary situation, its representatives will continue to represent its wishes. The wishes of Parliament may, in easily conceivable circumstances, be opposed to those of a majority of the nation. If Parliament, in such circumstances, can rely upon a preponderance of force, it may thwart the majority with impunity. This is not to say that there is a better form of government than democracy. It is only to say that there are issues as to which men will fight, and when they arise no form of government can prevent civil war. One of the most important purposes of government should be to prevent issues from becoming so acute as to lead to civil war; and from this point of view democracy, where it is habitual, is probably preferable to any other known form of government. as to the loyalty of the armed forces.
出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.21
これらの本質的な限界(注:緊急対応の必要性や,専門的な事柄や国民が理解・判断が困難な事柄が少なくないという事情)があるために,最重要な事柄の多くは,選挙民によって,政府に委託(委任)されなければならない(政府に任せなければならない)。民主主義は,政府が世論を尊重する義務を負っている限りうまくゆく。英国長期議会(注:英国で 1640~53年に開かれた議会のこと)は,議会自らが同意しなければ解散できないと(法令を)布告した。その後の議会が同様のことをやろうとしてもできなくしたものは何であろうか? この答えは単純でも自信を持って言えるものでもない。第一に,革命が起こる状況になく,旧議会の議員たち(members of the outgoing Parliament)は,たとえ敗北した政党に所属していても,なお愉快な生活を保証されていた。(即ち)彼らの大部分は再選されるであろうし,仮に統治(政治)の楽しみを失ったとしても,政敵の失敗を公然と批判することによって得られる満足は,ほとんど再選されることに匹敵していた。そうして,彼らはやがて政権に復帰したものであった(would)。これに反して,彼ら(議員たち)が選挙民に憲法上の(憲法で定められた)手段で彼らをやめさせることができないようにしたならば,革命的な状況を創り出したであろうし,そうなれば彼らの財産も,もしかすると生命までが,危機にしたであろう。ストラッフォードとチャールズ一世の運命は無分別に対する一つの警告であった。 以上のこと全ては,革命的な状況が既に存在していれば,異なったものとなるであろう。(仮に)保守党(が多数を占める)議会の場合,次の選挙で共産党が多数を占め,何の補償もなしに私有財産を取り上げる恐れがあると想像してみよう。そのような場合には,政権を掌握している政党(政権与党)は,長期議会をまねて,自分たちの政権の永続(化)を布告することはありそうなことである。そのような政党は、民主主義の原理に対する敬意から,そのような行為を自制することはほとんどないであろう。自制することがたとえあったとしても,それは軍隊の忠誠に疑いを持つ時だけであろう。
Chapter XI: Powers and Forms of Government, n.21 Owing to these essential limitations, many of the most important matters must be entrusted by the electorate to the Government. Democracy is successful in so far as the Government is obliged to respect public opinion. The Long Parliament decreed that it could not be dissolved without its own consent; what has hindered subsequent Parliaments from doing likewise? The answer is neither simple nor reassuring. In the first place, in the absence of a revolutionary situation, members of the outgoing Parliament were assured of a pleasant life even if they belonged to the defeated party; most of them would be re-elected, and, if they lost the pleasures of government, they would gain the almost equal satisfactions to be obtained by publicly criticizing the mistakes of their rivals. And in due course they would return to power. If, on the other hand, they made it impossible for the electorate to get rid of them by constitutional means, they would create a revolutionary situation, which would endanger their property and perhaps their lives. The fate of Strafford and Charles I was a warning against rashness. All this would be different if a revolutionary situation were already in existence. Suppose a Conservative Parliament had reason to fear that the next election would produce a Communist majority, which would expropriate private property without compensation. In such a case, the party in power might well imitate the Long Parliament, and decree its own perpetuity. It would hardly be restrained from this action by reverence for the principles of democracy; it would be restrained, if at all, only by a doubt as to the loyalty of the armed forces.
出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.20
全ての組織体において,だが特に国家において,統治の問題は二重にある。統治組織(政府など)側の見方からすれば,統治の問題は被治者(被支配者)からの黙従(の態度)を確保することである。統治される側の見方からすれば,統治の問題は,統治組織(政府など)に統治組織自身の利益だけでなく,統治組織の権力が及ぶ者たち(国民など)の利益を考慮に入れさせることである。これらの問題のうちどちらかが完全な解決を見れば,もう一つの方の問題は起こらない(注:人々が統治組織に黙従する態度を確保できれば,統治組織体(政府)に人々(国民)の利益の確保をさせる問題は起こらず、逆に、人々(国民)の利益を確保させることができれば、人々(国民)が統治組織(政府)に黙従する問題も起こらない、ということ)。どちらも解決されなければ,革命が起こる。しかし,一般的に言って(概して),妥協的な解決に至る。統治する側の主要な要素は,暴力を別とすれば,伝統や宗教や外国の敵(外敵)に対する恐怖心であり,大部分の人々が指導者に従おうとする自然な欲求である。統治される者を保護するためにある程度まで有効な方法が今日までにただ一つだけ -即ち,民主主義が- 発見されている。 民主主義は,一つの統治方法として,(民主主義に)本質的ないくつかの限界を,また,原則として回避可能な限界を,受けることになる。(民主主義における)本質的な限界は,主に二つの源泉から生ずる。(即ち),ある種の決定は迅速に行われなければならず、それ以外の決定には専門的な知識を要するものがある(からである)。大英帝国が1931年に金本位制を廃止した時も,この両方の要因が含まれていた。即ち,敏速に行動することが絶対に必要であったと同時に,そこに含まれている問題は大部分の人々が理解できないような問題であった(のである)。従って,民主主義国の英国(注:The democracy 定冠詞がついており,従って数えられない抽象名詞ではないことに注意/因みに、東宮氏は「民主政治」と訳している。)は,自らの意見を回想の形(過去に遡って)で表現することしかできなかった(のである)。戦争は,通貨(の問題)ほど専門的な問題(less technical)ではないが,もっと急を要する問題である。議会とか国会にはかることも不可能ではないが(ただし,これは,一般的に,茶番劇に近い,なぜなら問題は,形の上ではともかくとして,実際の上ではすでに決定されてしまっているはずだからである),(緊急時に)選挙民にはかることは不可能である。
Chapter XI: Powers and Forms of Government, n.20 In all organizations, but especially in States, the problem of government is twofold. From the point of view of the government, the problem is to secure acquiescence from the governed; from the point of view of the governed, the problem is to make the government take account, not only of its own intetests, but also of the interests of those over whom it has power. If either of these problems is completely solved, the other does not arise ; if neither is solved, there is revolution. But as a rule a compromise solution is reached. Apart from brute force, the principal factors on the government side are tradition, religion, fear of foreign enemies, and the natural desire of most men to follow a leader. For the protection of the governed, only one method has been hitherto discovered which is in any degree effective, namely, democracy. Democracy, as a method of government, is subject to some limitations which are essential, and to others which are, in principle, avoidable. The essential limitations arise chiefly from two sources : some decisions must be speedy, and others require expert knowledge. When Great Britain abandoned the gold standard in 1931, both factors were involved : it was absolutely necessary to act quickly, and the questions involved were such as most men could not understand. The democracy, therefore, could only express its opinion retrospectively. War, though less technical than currency, has even more urgency : it is possible to consult Parliament or Congress (though as a rule this is something of a farce, since the issue will have been already decided in fact, if not in form), but it is impossible to consult the electorate.
出典: Power, 1938.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER12_200.HTM
第12章 権力と統治形態 n.19
ここまで,君主政治と寡頭政治には長所と短所の両面があることを,我々は見てきた。両者の主要な短所は,早晩,政府が普通の人々(国民)の欲求に無関心となり,その結果,革命が起こるという点にある。民主主義(制度)は,しっかりと確立された場合には,そうした種類の不安定さに対する安全装置(の一つ)である(となる)。内戦/内乱は重大な悪であるので,内戦/内乱が起こりそうもない統治形態は推奨すべきものである。今や,内戦/内乱は,たとえ起ったとしても以前の権力の保持者に勝利を与えることになりそうな場合には,起りそうもない(注: if it occurred = even if it occured/以前の権力者(=少数支配者)による統治時代よりはましだから。)。他のこと(条件)が等しい場合,権力が多数者の手中にあれば,当該政府は,少数者を代表するだけの場合よりも,内戦/内乱においてより勝利しそうである。これは,現在のところ(so far as it goes),民主主義をよしとする論拠の一つである。しかし最近における種々の例は、民主主義にも多くの限界があることを示している。(注:民主主義的な手続きでナチスが政権をとり、1933年にヒトラーがドイツの首相に選ばれたことなど) (一つの)政府が「民主的」と呼ばれるのは,通常,国民のかなり大きな割合が政治的権力を共有する場合のことである(みすず書房版の東宮訳では「A government」を「一つの政治」と訳されているが、「政治」は数えられず、ここは「政府」と訳すべきであろう)。最も極端なギリシアの(歴代の)民主政体においては(注:Greek democracies と複数形になっていることに注意),女性と奴隷は(政治から)排除され,また,アメリカ合衆国は婦人に参政権が与えられる前に自国を民主国だと考えていた。寡頭政治も,政治的権力を所有する者の割合が増加するにつれて,より民主的な政体(a democracy)に近づいてゆくことは明らかである。寡頭政治の特徴は,右のパーセンテージがかなり小さいときにのみ現われる。(注:The characteristic features of oligarchy only appear when this percentage is rather small. 東宮氏は「どちらかと言えば小さい時」と訳しているが、控えめに言っている場合には「かなり」と訳すべき時が多い。たとえば、「a rather good-looking girl」は 「かなり器量よしの娘」。)
Chapter XI: Powers and Forms of Government, n.19 We have seen that monarchy and oligarchy have both merits and demerits. The principal demerit of both is that, sooner or later, the government becomes so indifferent to the desires of ordinary men that there is revolution. Democracy, when firmly established, is a safeguard against this kind of instability. Since civil war is a very grave evil, a form of government which makes it unlikely is to be commended. Now civil war is unlikely where, if it occurred, it would give victory to the previous holders of power. Other things being equal, if power is in the hands of the majority, the government is more likely to win in a civil war than if it represents only a minority. This, so far as it goes, is an argument for democracy; but various recent instances show that it is subject to many limitations. A government is usually called “democratic” if a fairly large percentage of the population has a share of political power. The most extreme Greek democracies excluded women and slaves, and America considered itself a democracy before women had the vote. Clearly an oligarchy approaches more nearly to a democracy as the percentage possessed of political power increases. The characteristic features of oligarchy only appear when this percentage is rather small.
出典: Power, 1938.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER12_190.HTM