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アルノルド・ダ・ブレシア(ブレスチアのアーノルド)の教義は,教皇と皇帝とを互いに和解させるようなものであった。というのは,二人とも既存の秩序を維持してゆく上で自分たちは二人とも必要だと認識していたからである。しかし,アルノルド・ダ・ブレシアが片付けられると(注:絞首刑にされ除去されると),間もなく,避けがたい争いが新たに(afresh 再び)起こった。その結果として起こった長期間の戦争のなかで,教皇は新しい同盟者,つまりロンバルディア同盟(Lombard League 北イタリア・ロンバルディア地方を中心とする都市同盟)を得た。ロンパルディアの諸都市,特に,ミラノは,裕福な商業部市であった。(即ち)それらの都市は,当時,経済発展の最前線であり,それは,英国人にとって,「ロンバード街」 (注:北イタリアのロンバルディア地方の出身の商人が多くいたことからその名称がつけられた,ロンドンのシティにある金融街)という名前で祝される,一つの事実であった。皇帝は,封建主義に賛成したが,ブルジョア資本主義は既に封建主義に敵意を抱いていた。カトリック教会は「高利貸し(高利でお金を貸すこと)」を禁じていたが,教皇も借り手の一人であり,北イタリアの銀行家たちの資本は役に立つとわかっていたので,神学上の厳しさは(彼らに対し)和らげられなければならなかった。パルバロッサ(注:Barbarossa 神聖ローマ皇帝フリードリヒ一世の呼び名でイタリア語で「赤ひげ」の意)の教皇権との闘いは,およそ二十年の間続いたが,引き分けに終わった(ended in a draw)。皇帝が勝利をおさめることができなかったのは,主として,ロンバードの商業部市のせいであった。
Chapter IV: Priestly Power, n.17
The doctrines of Arnold of Brescia were such as to reconcile Pope and Emperor to each other ; for each recognized that both were necessary to the established order. But when Arnold was disposed of, the inevitable quarrel soon broke out afresh. In the long war that ensued, the Pope had a new ally, namely the Lombard League. The cities of Lombardy, especially Milan, were rich and commercial ; they were at that time in the forefront of economic development, a fact which is commemorated for Englishmen in the name “Lombard Street.” The Emperor stood for feudalism, to which bourgeois capitalism was already hostile. Although the Church prohibited “usury,” the Pope was a borrower, and found the capital of North Italian bankers so useful that theological rigour had to be softened. The conflict of Barbarossa with the Papacy, which lasted for about twenty years, ended in a draw, and it was chiefly owing to the Lombard Cities that the Emperor was not victorious.
出典: Power, 1938.
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