ある種の独断論を免れるよい方法は、自分自身が属する社会集団とは異なる社会集団(social circles)によって支持されている意見を知るようになる(become aware of 気づく)ことである。私は若い頃、フランス、ドイツ、イタリア及び、アメリカ合衆国(など)、国外での暮らすことが多かった。私はこのことは(英国の)島国根性の強さを軽減するにはとても有益であることがわかった。もしあなたが旅行することができないならば、意見の一致しな人々を探しなさい。(また)あなた自身の支持政党でない政党に属する新聞を読みなさい。もし、それらの人々や新聞が気が狂っていて、ひねくれていて(perverse)、そして不道徳である(wicked 邪悪である)と思われるなら、あなたも、彼らからはそう思われるのだということを自分に言い聞かせなさい(remind yourself)。 この意見にかんしては両方の側が正しいのかもしれない。 しかし、両方がまちがっていることはありえない。こうした反省はある種の警戒心を生み出すはずである。
けれども、外国の慣習を知るようになることは、 常に有益な効果(effect 結果/影響)をもつとは限らない。 17世紀に満州人(the Manchus)が中国を征服した時、] 中国人の間では女性が小さな足をもつこと(纏足 てんそく)が、また満州人の間では男性が辮髪(べんぱつ)にすること(wear pigtails)が慣習となっていた。各々がそれぞれの愚かな慣習をたちきるかわりに、お互いに相手の愚かな慣習をとりいれ、中国人は、1911年の革命において満洲人の支配をふりきるまで、 辮髪を続けた(のである)。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.49
A good way of ridding yourself of certain kinds of dogmatism is to become aware of opinions held in social circles different from your own. When I was young, I lived much outside my own country in France, Germany, Italy, and the United States. I found this very profitable in diminishing the intensity of insular prejudice. If you cannot travel, seek out people with whom you disagree, and read a newspaper belonging to a party that is not yours. If the people and the newspaper seem mad, perverse, and wicked, remind yourself that you seem so to them. In this opinion both parties may be right, but they cannot both be wrong. This reflection should generate a certain caution. Becoming aware of foreign customs, however, does not always have a beneficial effect. In the seventeenth century, when the Manchus conquered China, it was the custom among the Chinese for the women to have small feet, and among the Manchus for the men to wear pigtails. Instead of each dropping their own foolish custom, they each adopted the foolish custom of the other, and the Chinese continued to wear pigtails until they shook off the dominion of the Manchus in the revolution of 1911.
Source: Outline of Intellectual Rubbish (1943) Reprinted in: Unpopular Essays, 1950
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国民性についての一般化は、女性についての一般化とまったく同様によくあることであり、また、まったく同様に、根拠のないものである(unwarranted)。1870年まで、ドイツ人は眼鏡をかけた学者先生の(ような)国民であり、あらゆるものを自分達の内なる意識から発展させ、外部の世界(外界)についてはほとんど知らない国民である、と考えられていた(訳注:観念的な国民であり、頭でっかちということ)。しかし、、1870年より以降(訳注:1871年以後/1871年にプロイセンを中心としたドイツ帝国成立)はこの概念(考え)はきわめて急角度に修正さなければならなかった。フランス人は大部分の米国人から、絶えず好色な不義密通にふけっていると思われているようである。(たとえば)ウォルト・ホイットマン(Walter Whitman, 1819-1892:米国の民衆詩人で詩集『草の葉』は有名)は、彼のカタログの一つのなかで、「密かに(on the sly)長椅子(settee)で姦通するフランス人カップル」のことをのべている。
ほとんど皆、男女とも、女性の問題に関して何らかの全く正当化できない一般化を自分自身に許している(allows himself or herself)。既婚の男は、この問題にかんして一般化する際、自分の妻によって判断する。女性は自分自身によって判断する。男性の女性観の歴史を執筆することは面白いことだろう。古代においては、男性の(女性に対する)優位が疑問とされず、キリスト教倫理がまだ知られていなかった時には、女性は害がないものであるがかなり愚かである[とされ〕、女性についてまじめに考える男はいくらか軽蔑された。プラトンは、劇作家が女性の役を創作する際に、女性を模倣(マネ)なければならないのは、演劇に対する重大な異議(a grave objection)であると考えている。キリスト教の到来とともに女性は一つの新しい役割を得た。それは誘惑する女(the temptress)という役割である。しかし同時に、女性はまた聖人にもなることもできることを発見した(自己発見)。ビクトリア朝時代には、女性は、誘惑する女性としてよりも、聖人としての方が、ずっと強調された(訳注:ビクトリア女王が国王だったことが影響したか?)。ビクトリア朝時代の男は自分は誘惑されやすいなどと認めることはできなかった。女性の(男性よりも)優れた美徳は、女性を(汚い)政治から遠ざけておく理由の一つにされた。政治の世界は高尚な美徳は不可能であると考えられたのである。しかし、初期のフェミニスト達(女権拡張論者達)はこの論法をひっくり返し(逆にして)、女性の政治参加は政治を高尚なものにするだろうと主張した。それが幻想であることがわかってからは、女性の優れた美徳のことはあまり話題にされなくなったが、いまだなお、、女は誘惑するものだという、修道僧的な女性観に固執している男性が多数存在している。女性達自身は、大部分、自らを分別ある性(sensible sex)であると考え、 男達の衝動的な愚行から生じる害を取り除くことが自分達の役割だと考えている。私としては、 女性についてあらゆるの一般化を、それが女性に対して好意あるものであろうとなかろうと、また男性の側からのものであろうと女性の側からのものであろうと、あるいは昔のものであろうと現代のものであろうと、いずれも信頼しない。いず 不足からするものな のであろうと、いずれも信頼しない。これらはすべて同様に、経験不足から生じるものだと言うべきだあろう。
以下は、バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)が親しい米国人女性(初婚相手の妻の友人)の Lucy Donnelly に出した手紙の一節(英文)と、DeepL、Google 翻訳、みんなの自動翻訳、及び私による日本語訳(合計4種類)です。
「自然」および「自然的」なものへの信念(信仰)は多くの間違いの源泉である。 それは、医学(医術)において、かつては常に強力に作用しており、ある程度はいまだに作用している。人体は、何もしないでも、自らの病気を治す一定の力(自然治癒力)をもっている。 小さい切傷は通常(なにもしなくても)治り、風邪はどこかにいってしまい(治り)、重い病気さえ、時折、治療せずに消えてしまう(治る)ことがある。しかしこれらの場合でさえ、自然(の治癒力)を支援することは大変望ましい(ことである)。 消毒しなければ敗血症(septic)になるかも知れないし、風邪は肺炎(pneumonia)になるかもしれず、また重い病気も、僻地の探検家や旅行者によって手当てもなしに放っておかれるだけで、彼らに他に選択肢はまったくない(彼らはどうしようもない)。「自然である」 と思われるようになった多くの慣行(行為)、たとえば、衣服を着ることや洗濯することは、当初は、「不自然もの」であった。人間は、服を着るようになる前、寒い気候のなかで生きることは不可能だと気づいたに違いない。ほんの少しの(a modicum of )清潔さもないところでは、人々(住民)はチフスなど様々な病気に苦しむが、西欧諸国民は(今では)それらの病気を免れている(exempt 免除されて)。ワクチン接種(種痘)は、「不自然」だとして反対された(現在でも一部の人々によって反対されている)。しかし、そのような反対はまったく首尾一貫したものではない。というのは、折れた骨は「自然な」振る舞いによって元通りにすることができるとは誰も思わないからである。料理された食物を食べることは「不自然」である。家を暖房することもそうである。(古代)中国の哲学者の老子は、ほぼ紀元前六百年頃の人と言い伝えられているが、彼は(人口の)道路、橋および舟を「不自然な」ものとして反対した。そうして、そのような人間の造った機械的なものを嫌悪して(in his disgust)中国をさり、西方の未開人のなかで暮らした。あらゆる文明の進歩は、それが新しいものであるうちは、、不自然なものとして非難されてきた(のである)。