大人(や国家)にとって都合のよい従順な子どもづくりのための躾

自分の3歳の息子(注:1921年生まれの長男の John Russell)をモンテッソーリ式学校に入れ,午前中をそこで過ごさせることによって,私は,息子がたちまち,以前よりも躾の良い人間になり,喜んで黙って校則に従っていることがわかった。しかし,息子には,外部から強制されたという感情はまったくなかった。校則は,ゲームのルールのようなものであり,楽しみを得る手段として守られた(ルールに従った)のである。

On sending my little boy of three to spend his mornings in a Montessori school, I found that he quickly became a more disciplined human being, and that he cheerfully acquiesced in the rules of the school. But he had no feeling whatever of external compulsion: the rules were like the rules of a game, and were obeyed as a means of enjoyment.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1: Postulates of Modern Educational Theory
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE01-090.HTM

<寸言>
安倍総理や昭恵夫人を始めとして、保守的かつ愛国主義の立場に立つかなりの政治家は,(連日マスコミにとりあげられている)森友学園における愛国主義教育や躾(学園が正しいと思うことを子供が理解できなくとも「吹き込む」こと)に「感銘」を受け,推奨していた。
しかし,国有地の不正取得の疑いが指摘され,教育の実態(幼稚園児に軍歌を歌わせ、「愛国的な」言葉を連呼させ、果ては安倍総理に感謝の言葉をささげさせる姿)が知られるに連れ、自分たちの浅はかさを棚にあげて、学園とは自分は関係ないという態度に豹変している。
幼児判断力がまだないので言われたとおりに従うが,思春期になって大人たちによってひどい教育を受けていたことに気づいた時、その反動が恐ろしい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です