危険に対する合理的な理解は必要だが,「蛮勇」も「恐怖心」もどちらも不要

 息子は今では(彼は三歳九ケ月であるが)6フィートの高さから躊躇なく飛び降りるし,放っておけば20フィートの高さ(注:約6メートル/因みに1フィートは約30センチ)からでも飛びおりることだろう。このようにして,危険性を把握することを教えたことは,確かに,行きすぎた結果をもたらすことはなかった。それは,暗示によるのではなく,知識を授けたためだ,と私は考えている。
知識を授けている時,私も息子も恐怖を感じていなかった。このことは,教育上非常に重要であると考える。危険に対して合理的な理解は必要である。(しかし)恐怖心は必要ではない。子供は,恐怖の要素がいくらかないと危険を把握することができない。しかし,教える側にこの要素が存在しない場合は,恐怖心という要素を大幅に減らすことができる。子供の世話をしている大人は,決して恐怖心を感じてはいけない。女性も,男性と同様に勇気を養わなければいけない一つの理由は,ここにある。

He now (three years and nine months) jumps from heights of six feet without hesitation, and would jump twenty feet if we would let him. Thus the instruction in apprehension certainly did not produce excessive results. I attribute this to the fact that it was instruction, not suggestion ; neither of us was feeling fear when the instruction wag given. I regard this as very important in education. Rational apprehension of dangers is necessary ; fear is not. A child cannot apprehend dangers without some element of fear, but this element is very much diminished when it is not present in the instructor. A grown-up person in charge of a child should never feel fear. That is one reason why courage should be cultivated in women just as much as in men.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 4: Fear.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE04-050.HTM

<寸言>
つまり,母親の臆病さや恐怖心は幼い子供に伝染することから,勇気は男性だけでなく女性にも必要である。
 危険に対する合理的な理解を持つことと恐怖心を持つことは同じではなく,過度な恐怖心を持つことは望ましくない。「蛮勇」を「勇気(があること)」と混同する人が少なくない。