公平と密接に結びついているものに,自分の所有物であるという感覚がある。これは,むずかしい問題であり,厳格な規則によって扱うのではなく,融通のきく機転で(臨機応変に)扱わなければならない。実際,(この問題については)相対立する考慮すべき事項がいろいろあるので,はっきりした方針を打ち出すことは難しい。
一方では,所有欲は,後年多くの恐ろしい弊害を生み出す。即ち,貴重な物質的な所有物を失いはしないかという恐れは,★政治的及び経済的な残酷さの主な原因の一つである。 男性も女性も,できるだけ,個人的(私的な)な所有権に左右されない仕方で,即ち,防御的な活動よりも,むしろ創造的な活動に幸福を見いだすことが望ましい。それゆえ,できるだけ,子供たちに所有の感覚を養わせないほうが賢明である。
しかし,この見解に基づいて行動しようとする前に,他方に,無視すると危険な,非常に強力な議論がいくつかある。まず第一に,子供にあっては所有の(自分のものという)感覚が非常に強い。この感覚は,子供が目に見えるものを手でつかむこと(手と目の整合=共同作業)ができるようになるとすぐに発達する。子供は,つかんだものは’自分のもの’だと感じるので,それを取りあげるとびどく怒る。私たちは,いまでも所有物を「持つ」(holding)と言っているし,「保持」(maintenance)とは「手に持つ」(注:ラテン語で,manu =手で,tenaere = 持つこと)という意味である。これらの語は,所有することと手で握ることの間に原始的な関係があることを示している。「貪欲な(grasping)」という語も,同様である。自分のおもちゃを持っていない子供は,棒ぎれや,こわれた積み木や,あるいは,自分が見つけたいかなるがらくたも,拾い上げて,自分が所有する宝として大切にする。
所有欲は,非常に根深いものであるので,それを妨げようとすれば,必ず危険が伴う。その上,所有は用心深さを養い,破壊の衝動を抑制する。特に有益なのは,何であれ,子供が自分で作ったものを所有することである。もしも,これが許さなければ,子供の建設的な衝動は阻止されてしまう。
Closely connected with justice is the sense of property. This is a difficult matter, which must be dealt with by adaptable tact, not by any rigid set of rules. There are, in fact, conflicting considerations, which make it difficult to take a clear line. On the one hand, the love of property produces many terrible evils in later years ; the fear of losing valued material possessions is one of the main sources of political and economic cruelty. It is desirable that men and women should, as far as possible, find their happiness in ways which are not subject to private ownership, i.e. in creative rather than defensive activities. For this reason, it is unwise to cultivate the sense of property in children if it can be helped. But before proceeding to act upon this view, there are some very strong arguments on the other side, which it would be dangerous to neglect. In the first place, the sense of property is very strong in children ; it develops as soon as they can grasp objects which they see (the hand-eye co-ordination). What they grasp, they feel is theirs, and they are indignant if it is taken away. We still speak of a property as a “holding”, and “maintenance” means “holding in the hand”. These words show the primitive connection between property and grasp ; so does the word “grasping”. A child which has no toys of its own will pick up sticks or broken bricks or any odds and ends it may find, and will treasure them as its very own. The desire for property is so deep-seated that it cannot be thwarted without danger. Moreover, property cultivates carefulness and curbs the impulse of destruction. Especially useful is property in anything that the child has made himself ; if this is not permitted, his constructive impulses are checked.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 7: Selfishness and property.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE07-040.HTM
[寸言]
子どもにおける所有欲の好ましくない点と尊重すべき点。
子どもの欲しいものを何でも買い与えることは所有欲や物欲を刺激しすぎることになり良くない。それは多くの親が気づいていてそうしないように気をつけても、親以外の者(たとえば、おじいちゃんやおばあちゃん)が甘やかして、親の努力が無駄になったり効果がなくなったりすることはよくある。
所有欲や物欲が強い場合には、それを失うことに対する恐怖心から過度な反応を引き起こしやすい。先祖から一生遊んで暮らせる遺産を受け継いだ場合には、(生活の心配をすることなく)それを活かして世の中のためにつくせば、社会のためにもよいが、実際は遺産を食いつぶすだけで、世の中に何もよいものをもたらさない場合が多い。(そう強く思う場合は、「子孫に美田を残さず」という格言を実行することになる。)
自分が努力して築き上げた財産や創造物(作品、建築物、その他いろいろ)に対する愛着や所有欲は尊重すべきものであるが、そういったものでも、どんどん他人に与え、たえず新しいものを生み出していくことに喜びを見いだせる(創造性を発揮し続けることができる)ことが、その人にとっても社会とっても一番良いであろう。(そのためには、子どもの時から建設的な衝動を養う必要がある。)