以下は、明日配信予定の(メルマガ)「バートランド・ラッセルの英語 」(n2539)の原稿です。
早とちりで不用意な日本語訳をしないように注意 – たとえば、
”more than one meaning”を文字面だけで日本語にしたりしいない」===================================================
英語学習の某参考書から引用
次の英文のなかの ###以降の部分を日本語に訳しなさい。
Equivocation means using words ambiguously. Often done with
intent or deceive, it can even deceive the person who is
using the expression. ### Equivocation occurs when words are
used with more than one meaning, even though the soundness of
the reasoning requires that the same use be kept throughout.
”Equivocation”は難しい単語ですが、その説明が最初に書かれていますので、この単語の意味が分からなければ解答できないということはありません。”ambiguously”(曖昧に)は意味を知っていなければいけない単語ですが、###以降で言い換えられています。
”more than”を「・・・以上」と訳すのは間違いです。「1つ以上」は「1つ」を含みます。従って「複数(←2つ以上)」と訳さないといけません。すると、次のような訳になります。
「論理の健全性のためには同じ(意味での)使い方を続けることが必要であるにもかかわらず、単語が複数の意味で使用される場合、曖昧さが生じる。
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”more than one” “not more than one” について見ると・・・
1.ラッセルの用例
I think all the great religions of the world – Buddhism, Hinduism,
Christianity, Islam, and communism – both untrue and harmful. It is
evident as a matter of logic that, since they disagree, not more than
one of them can be true.
[世界の全ての偉大な宗教 – 仏教,ヒンズー教,キリスト教,イスラム教及び共産主義(注:ラッセルから見れば狂信的な「共産主義」も宗教の一種)- は,真理でない(虚偽である)と同時に有害である,と私は考える。論理の問題として見れば明らかなことであるが,それらの偉大な宗教はお互い意見が合わない以上(注:いずれも自分たちが「絶対に正しい」と言っている以上),正しい可能性のある宗教は,せいぜい一つだけである(=「可能性」なので,全ての宗教が誤りであることも十分ありうるというニュアンス)。
出典:ラッセル「なぜ私はキリスト教徒ではないか」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/reitan-n013.htm
It is also now generally known by those who have taken the trouble to
look into the matter that only an international government can prevent
war, and that civilization is hardly likely to survive more than one
more great war, if that.
[また,問題を(真摯に)研究する労をとった人々の間では,国際的な政府(を創ること)のみが戦争を妨止できるのであり,もし戦争が起これば,さらなる世界大戦が複数回起こった後には,文明が存続することはほとんどありそうもない。]
- 1回と訳すのと2回と訳すのでは非常に大きな違いがでてきてしまいます。残念ながら、定評のある市井三郎先生の訳(理想社刊『人類の将来』)でも「1回以上」となっています。
出典:ラッセル「人類に害を与えてきた思想」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/0861HARM-200.HTM
Such functions can only be generated by the sort of relation which I
call ‘one-many’ – i.e. the sort of relation which not more than one
term can have to any other.
[「一対多」の関係とは、任意の他の項に対して、ただ1つの項のみ(not more than one)が持つことができるような(2つ以上の項を持ち得ない)関係である。]
- 残念ながら、評判のよい野田又夫先生の訳(みすず書房『私の哲学の発展』でも「1つ以上の項を持ち得ない」と訳されています。これでは「1」つの項しか持っていない「1対多」の関係は存在しなくなります。
出典:ラッセル『私の哲学の発展』第8章 「数学原理ーその数学的側面」
詳細情報: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_08-050.HTM
2.参考
- 現在の版では修正されているでしょうが、下記の評判の良い英和辞典では不適切な誤訳をしています。2年は経過をしていないのなら、「1年よりも長く滞在した」とする必要があります。因みに、同じ研究社の英和大辞典ではそんな不注意な訳はしていません。
She stayed in Paris (for) more than one year.
「彼女はパリに1年以上滞在した。」
出典:『研究社中辞典-第4版』p.986
More than three books
[4冊以上の本]
出典:『研究社新英和大辞典』
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現代の世界は,二種類のことを必要としている(注:stands in need 必要な状態にある)。一方では,組織が必要であり,戦争をなくすための政治的組織,特に戦争によって荒廃させられた国々において,人々を生産的に働かせるような経済的組織,健全な国際主義を産み出すための教育的組織が必要である。他方で,現代世界は,ある種の道徳的特性(注: moral qualities 倫理的素質/倫理的優良性) -長年の間,モラリストたちによって唱道されてきたけれどもこれまでほとんど身につかなかったような諸特性(素質)- を必要としている。もっとも必要な(倫理的)特性は,慈愛と寛容とであり,種々の激しい主義が提供するような,何らかの形態の狂信的な信念ではない。

神に与えられた使命だと信じることは,これまで人類を苦しめてきた確信の多くの形態の一つである。恐らく,今までに言われた言葉のうちで,もっとも賢明なものの一つは,ダンバーの戦いの前に,クロムウェルがスコットランド人に言った次のような言葉だと思う。「キリストの慈悲において,あなた(方)に懇願します。自分(たち)が間違っていることもありうる,と考えてください。」しかし,スコットランド人は,そうは考えなかったので,クロムウェルは戦いで彼等を打ち破らねばならなかった。しかし,クロムウェルが,同じ言葉(物言い)を一度も自分自身に対して言わなかったのは,残念なことである。人間が(同じ)人間に対して行ってきた最大の悪の大部分は,実際は誤まっている何事かについて,まったく確実だと感じた人々によって(を通して)行なわれてきたことである。真理を知ることは,大部分の人々が考えるよりももっと難しいことであり,真理を独占するのは自分たちの党派だ,と信じて無慈悲な決意を持って行動することは,大きな災害を招くことである。現在におけるある種の悪は,将来におけるいくらか疑わしい利益のためにあえて行う価値がある,という長期的な推定(計算)は,常に疑いを持って眺めなければならない。なぜなら,シェイクスピアが言っているように,「将来というものは,いまだ確実ではない」からである。最も洞察力のある人でさえ,十年もの将来を予言するような場合には,ひどく外れがちである。このような説を不道徳だと考える人がいるかも知れないが,結局のところ,「明日を思い煩うことなかれ」と述べているのは聖書なのである。