第12章 権力と統治形態 n.18

 権力が一つのセクト(党派,分派)のメンバーだけに限られている場合,イデオロギー上の厳しい検閲が存在することは不可避である。(特定の)信条を心から信ずる者は,どうしても正しい信仰を世の中に広げたい(広めたい)と熱心に思うであろう。それ以外の人々はただ外的に順応(表面的に同調)することで満足するであろう。前者のような態度は,知性の自由な行使を殺してしまう(自由に働かせることをできなくさせてしまう)。後者のような態度は,偽善を促進する(助長する)。(そうして)教育も文学も型にはめられざるを得なくなり,創意性(initiative 進取の気質)と批判(的精神)を生みだすよりも,むしろ軽信性(すぐ信じこむ気持)を生み出すように企てられる(デザインされる)。もし指導者が自分独自の神学(キリスト教神学)に興味・関心を持っていれば,異端(異教)が存在するようになり,正統主義(正統派的信仰)はしだいに厳格に定義されるようになるであろう。一つの信条に強く影響を受けている人々は、普通一般の人々と異なり,多少とも抽象的かつ日常生活から遊離したものによって動かされる。そういった人たちが不評判な政府(民衆の支持を得ていない政府)を支配することになれば,その結果は,大部分の人々を,自然のままの時よりも、いっそう軽薄かつ無思考(無思慮)にしてゆくことである。それは(そのような結果は),思想というものは全て潜在的に異端的なものでありかつ危険なものであるという知識(knowledge 認識)によって,大いに促進される。支配者は,神権政治においては,狂信者である傾向がある。(そうして)狂信者であるので過酷になり,過酷だから反対され(反対にあい。),反対されるからより過酷になる。支配者の権力衝動は,自分自身に対してさえ,宗教的熱意の衣を着る(まとう)ものとなり,従って,いかなる拘束にも従わないのとなるであろう。それ故に,刑罰用器具(拷問用器具),(ナチスの)ゲシュタポやチェカ(注:Cheka レーニンによって十月革命直後に設置された秘密警察組織の通称)がこの世に出現するのである。

Chapter XI: Powers and Forms of Government, n.18
When power is confined to the members of one sect, there is inevitably a severe ideological censorship. Sincere believers will be anxious to spread the true faith; others will be content with outward conformity. The former attitude kills the free exercise of intelligence ; the latter promotes hypocrisy. Education and literature must be stereotyped, and designed to produce credulity rather than initiative and criticism. If the leaders are interested in their own theology, there will be heresies, and orthodoxy will come to be more and more rigidly defined. Men who are strongly influenced by a creed differ from the average in their power to be moved by something more or less abstract and more or less remote from daily life. If such men control an unpopular government, the result is to make the bulk of the population even more frivolous and thoughtless than it would naturally be — a result which is much promoted by the knowledge that all thought is potentially heretical, and therefore dangerous. The rulers, in a theocracy, are likely to be fanatics; being fanatics, they will be severe; being severe, they will be opposed; being opposed, they will become more severe. Their power-impulses will wear, even to themselves, the cloak of religious zeal, and will therefore be subject to no restraint. Hence the rack and the stake, the Gestapo and the Cheka.  出典: Power, 1938.


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第12章 権力と統治形態 n.16

 けれどもその結果は,オールド・ボルシェヴィキ(注:Old Bolshevik:ボリシェヴィキ(=ロシア共産主義者)のうちで帝政ロシア時代,即ち1917年の十月革命以前から活動していた者を指す呼称)が望んでいたものとはまったく異なっていた。内乱,飢饉,農民(小作人)の不満といった重圧のもと,独裁制は次第により苛酷なものとなっった。他方レーニン亡き後の共産党内における(権力)闘争は,次第に独裁制を(共産党)一党による統治からワンマン支配へと変容させた。こういったことは全て予見しがたいことではなかった。私は1920年に(『ロシア共産主義の理論と実際』の中に)次のように書いた。  「ボルシェヴィキの理論は(によれば),あらゆる国々は,早晩,現在ロシアが通り抜けていることをくぐり抜けるべきだと要求する。そうして,そのような状態にあるあらゆる国々において,政治は無慈悲な人々の手中に落ちるのを発見する(目撃する)と予想してよいであろう。そうした人々は,性来,自由に対する愛をまったく持っておらず,独裁制から自由へと移行することを急がせること対してほとんど重要性を見ない(理解しない)であろう。・・・。ロシアにおいてボリシェヴィキが置かれているように(その他の国々の)人々が置かれれば,権力の独占を放棄することをひどく嫌がるであろうし,それらの人々は,何らかの新しい革命によって放逐されるまで,その地位に居座り続けるための理由を見つけだすことは,殆んど避けがたいことではないだろうか?」  以上のような理由から,神権政治(注: theocracy 神政政治/神聖政治。国家の政体の一種で、特定宗教を統括する組織と国家を統治する機構が実体的に同等な場合を言う。ラッセルは一党独裁で狂信的な共産主義イデオロギーを一種の宗教思想と見なしている。)を民主主義への一つのステップ(段階)として見なすことは困難である。ただし、それ以外の点では(いくつか)長所があるかも知れない。

Chapter XI: Powers and Forms of Government, n.16 The result, however, was not quite what the Old Bolsheviks had hoped. Under the stress of civil war, famine, and peasant discontent, the dictatorship became gradually more severe, while the struggle within the Communist Party after the death of Lenin transformed it from government by a Party to one-man rule. All this was not difficult to foresee. I wrote in I920: “The Bolshevik theory requires that every country, sooner or later, should go through what Russia is going through now. And in every country in such a condition we may expect to find the government falling into the hands of ruthless men, who have not by nature any love for freedom, and who will see little importance in hastening the transition from dictatorship to freedom…. Is it not almost inevitable that men placed as the Bolsheviks are placed in Russia … will be loath to relinquish their monopoly of power, and will find reasons for remaining until some new revolution ousts them?” For such reasons, it is difficult to regard a theocracy as a step towards democracy, though in other respects it may have merits.
 出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.15

Lenin addressing vsevobuch troops on red square in moscow on may 25, 1919. (Photo by: Sovfoto/UIG via Getty Images)

 一つの教会あるいは一つの政党による統治 -それは神権政治と呼んでいいかもしれない-  は,近年新しい重要性を呈してきた(注:which has assumed a new importande 帯びてきた)寡頭政治の一形態である(注:みすず書房版の東宮訳では、単に「教会ないし政党の行う政治は・・・」と訳されており、これでは政党政治がみな寡頭政治となってしまう。a Church と a がついていることに注意)。これ(寡頭政治)には古い形態があり,ペテロ世襲領(the patrimony of St. Peter)とパラグアイのジュズイット体制に残っていた。しかしその近代的な形式は -ミュンスターの再洗礼派による非常に短期的な統治(支配)は別として- ジュネーヴのカルヴィンによる統治から始まっている。これよりもっと近代的なものは「聖人統治(支配)」であり,それは王政復古の時に英国において終った。しかし(アメリカの)ニュー・イングランドではかなりのあいだ生き残った。十八世紀と十九世紀においては,このような統治形態は永久に廃れたと考えられたかも知れない。しかしそれはレーニンによって復活され(注:ロシア革命が起こり共産党の一党独裁となったこと),イタリアとドイツで採用され,中国ではまじめに試みられた(のである)。  ロシアや中国においては,国民(人口)の大部分は文盲(当時)であり政治的経験を持っておらず,革命家とし成功をおさめた者は,非常に困難な状況に自分たちが置かれているのに気づいた。西欧的な方式による民主主義はとうてい成功するはずはなかった。(即ち)それは中国で試みられたが,当初から大失敗(fiasco)であった。これに反して,ロシアの革命政党は,土地貴族と中産階級の金持に対して,ただ軽蔑しか感じていなかった(注:西欧の民主主義を導入しようとは思っていなかった)。(つまり)彼らの念頭にある目的のいずれも,このような階級から選ばれた寡頭政体は達成できなかった(のである)。そこで彼ら革命政党員たちは次のように言った。「我々(即ち)革命を成就した我が党は,祖国が民主主義を受けいれる機が熟するまで,政治権力を保持しよう。その間,我々は祖国(の人々)を我々(共産党)の原理原則によって教育しよう。」

Chapter XI: Powers and Forms of Government, n.15 Government by a Church or political party — which may be called a theocracy — is a form of oligarchy which has assumed a new importance in recent years. It had an older form, which survived in the Patrimony of St. Peter and in the Jesuit regime in Paraguay, but its modern form begins with calvin’s rule in Geneva — apart from the very brief sway of the Anabaptists in Munster. Still more modern was the Rule of the Saints, which ended in England at the Restoration, but survived for a considerable period in New England. In the eighteenth and nineteenth centuries, this type of government might have been thought permanently extinct. But it was revived by Lenin, adopted in Italy and Germany, and seriously attempted in China. In a country such as Russia or China, where the bulk of the population is illiterate and without political experience, the successful revolutionary found himself in a very difficult situation. Democracy on Western lines could not possibly succeed; it was attempted in China, but was a fiasco from the first. On the other hand, the revolutionary parties in Russia had nothing but contempt for the territorial aristocracy and the rich of the middle class ; none of the objects they had in view could be achieved by an oligarchy chosen from these classes. They accordingly said : “We, the party that has made the revolution, will retain political power until such time as the country is ripe for democracy; and meanwhile we will educate the country in our principles.”
 出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.14

 絶対君主制の自然な継承者(自然な後釜となる政治制度)は,寡頭政治(少数支配者による政治)である。しかし,寡頭政治にもいろいろ種類がありうる。世襲貴族階級による支配であることもあれば,金持の支配であることも,教会あるいは政党による支配であることもある。これらは種々様々な結果を生み出す。土地を世襲する貴族階級(A hereditary landed aristocracy)は,保守的で,高慢で,愚かで,どちらかといえば残忍でありがちである。他にも理由はあるが(特に)これらの理由から,彼ら(貴族階級)は常に,上流の有産階級との争いで敗北する中世(時代)の自由都市の全てにおいて,金持ち(富裕者)による政府(注:a government と a がついている)が流行し,そうして(イタリアの)ヴェニス(ヴェネティア)においてはナポレオンが根だやしするまで存続した。そのような政府(governments)は,概して,歴史上知られているいかなる政府よりも開明的であり,また抜け目のないものであった(注:みすず書房版の訳書で東宮氏は,governments を「政治」と訳しているが,複数形になっていることを見落としたのか?)。特にヴェニス,幾世紀にもわたる複雑な陰謀のなかを,用心深く(舵を取って)進み,また,いかなる国家の外交官(a diplomatic service)よりも,はるかに有能な外交官を持っていた。商業で得た金は,独裁によって得たものではなく,賢明さによって得た金であり,そのような特徴は,成功をおさめた商人たちから成る政府によって示されたものである。近代(現代)の産業界の大立物は,(これとは)まったく異なった型(タイプ)の人物であるが,それは一つには,このような人物は主として原材料の技術的な巧みな操作を扱っているからであり,一つには,彼の扱わなければならない人間は,強制ではなく説得しなければならない同僚(同等の者)というよりも,圧倒的に,被雇用者の大群であるからである。

Chapter XII: Powers and Forms of Governments, n.14
The natural successor to absolute monarchy is oligarchy. But oligarchy may be of many sorts; it may be the rule of a hereditary aristocracy, of the rich, or of a Church or political party. These produce very different results. A hereditary landed aristocracy is apt to be conservative, proud, stupid, and rather brutal; for these reasons among others, it is always worsted in a struggle with the higher bourgeoisie. A government of the rich prevailed in all the free cities of the Middle Ages, and survived in Venice until Napoleon extinguished it. Such governments have been, on the whole, more enlightened and astute than any others known to history. Venice, in particular, steered a prudent course through centuries of complicated intrigue, and had a diplomatic service far more efficient than that of any other State. Money made in commerce is made by cleverness which is not dictatorial, and this characteristic is displayed by governments composed of successful merchants. The modern industrial magnate is a totally different type, partly because he deals largely with the technical manipulation of materials, partly because his dealings with human beings are preponderantly with an army of employees rather than with equals who must be persuaded, not coerced.
 出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.13

 君主政治(君主制)が衰退する別の原因君主と臣民の利害の不一致以外の原因)は,もっと重要である。王(君主)は,国民の一部の人たちに頼る習慣を身につける。(即ち)貴族階級,教会,上流の有産階級,それから,もしかするとコサック(注: 黒海の北方ステップ地方のトルコ系農耕民; 乗馬術に長じ,帝政ロシアでは軽騎兵として活躍)のような地域的な集団(など),に頼るようになる。次第に,経済的あるいは文化的な変化が(王(君主)によって)寵愛を受ける集団の権力を減じ,そうして王(君主)もそれらの集団の不評(評判の悪さ)を分かち合う(共有する)こととなる。王(君主)は,ニコラス二世のように,最も完璧に自分の味方になるはずの集団の支持さえも失ってしまうほどおろかであるかも知れない。しかしそれは例外的なものである。(英国の)チャールズ一世及び(フランスの)ルイ十六世は貴族階級によって支持されたが,しかし,彼らは中産階級が反対したために没落した。  王や専制君主は,もしも国内政治において抜けめなくやり,かつ,対外的にもうまくやれば,自分の権力を推持することができる。王(や)独裁君主が半ば神聖な者(quasi-divine)であれば,彼の王朝は無期限に続くかもしれない。しかし,文明の発達により王の神性に対する信仰は終止符が打たれる。(即ち)戦いに敗れることは常にさけられることではない。政治的な老檜さ(抜け目なさ)は君主に不変の属性であるはずはない。従って、早晩,たとえ外国からの征服がなくても(if = even if),革命が起こり,君主政治は廃止されるか,権力を剥奪されるか,いずれかとなる。

Chapter XI: Powers and Forms of Government, n.13 The other cause for the decay of monarchy is more important. Kings acquire the habit of relying upon some section of the population : the aristocracy, the Church, the higher bourgeoisie, or perhaps a geographical group, such as the Cossacks. Gradually economic or cultural changes diminish the power of the favoured group; and the king shares their unpopularity. He may even, like Nicholas II, be so unwise as to lose the support of the groups that should be most completely on his side; but this is exceptional. Charles I and Louis XVI were supported by the aristocracy, but fell because the middle class was opposed to them. A king or despot can maintain his power if he is astute in internal politics and successful externally. If he is quasi-divine, his dynasty may be prolonged indefinitely. But the growth of civilization puts an end to belief in his divinity; defeat in war is not always avoidable ; and political astuteness cannot be an invariable attribute of monarchs. Therefore sooner or later, if there is no external conquest, there is revolution, and the monarchy is either abolished or shorn of its power.
 出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.12

                ヴェルサイユ宮殿

 君主政体(君主制)の持つ欠点でもっと重大なものは,臣民(subjects 国民)の利害と王の利害とが一致する場合は別として,通常,君主政体においては臣民の利害に対して無関心であるということ(事実)である。(両者の)利害の一致はある点まではありそうである。王(King 君主)という者は,国内の無政府状態を鏡圧することに関心をもっているので,従って,無政府状態の危険が大きい場合にはいつも,臣民のなかの法律を遵守する人々(law-abiding section)の支持を受けるであろう。王(君主)は臣民が豊かになることに関心を持つが,それはそのほうが税をより多く徴収できるからである。外国との戦争においては,王(君主)と臣民の利害は,王(君主)が勝利する限り,一致していると考えられる。王(君主)が自分の版図を拡大し続ける限り,側近者集団は -王(君主)は彼らにとって支配者というよりもむしろ指導者である- 王(君主)の軍務(service)を有益であると思うであろう。しかし,王(君主)は2つの原因で誤った道に導かれれる(lead astray)。一つは高慢(pride うぬぼれ)であり,もう一は側近者集団が(既に)支配力(power of commnad)を失っているのに彼らに頼ることである。高慢(うぬぼれ)に関しては,エジプト人は(多くの)ビラミッドの建設(の命令)に堪えたけれども,フランス人はついいにはヴェルサイユ宮殿とルーヴル王宮(の贅沢さ)に不平を鳴らし,モラリストたちは常に宮廷の贅沢さに対して痛烈な非難を加え続け,「酒(ワイン)は邪悪だ,女は(も)邪悪だ,王は(も)邪悪だ」と,アポクリファ(注:Apocrypha ユダヤ教・キリスト教関係の文書の中で,聖書の正典に加えられなかった文書)は我々に語っている。

Chapter XI: Powers and Forms of Government, n.12 A still more serious disadvantage of monarchy is the fact that it is usually indifferent to the interests of subjects, except when they are identical with those of the king. Identity of interest is likely to exist up to a point. The king has an interest in suppressing internal anarchy, and will therefore be supported by the law-abiding section of his subjects whenever the danger of anarchy is great. He has an interest in the wealth of his subjects, since it makes the taxes more productive. In foreign war, the interests of the king and his subjects will be thought to be identical so long as he is victorious. So long as he continues to extend his dominions, the inner group, to whom he is a leader rather than a master, will find his service profitable. But kings are led astray by two causes: pride, and reliance upon an inner group which has lost its power of command. As for pride : though the Egyptians endured the Pyramids, the French, in the end, grumbled about Versailles and the Louvre ; and moralists have always inveighed against the luxury of courts. “Wine is wicked, women are wicked, the king is wicked,” we are told in the Apocrypha.
 出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.10

 それは(やすやすと征服者に屈服するのは),中枢に近い集団(inner group)における(王/君主に対する)忠誠心及び一般住民における恐怖心の動機は,非常に単純かつ容易なものであり、主権国家の領土(注:area 主権の及ぶ範囲)の拡大はほとんど全て征服によってなしとげられてきたものであり、自発的な連合によってなしとげられてきたのではないからである。それにまた、そういった理由があるからこそ、君主政治は歴史上においてそのような大きな役割を演じてきたのである。  けれども、君主政治には非常に大きな不利益がある。(即ち)君主政治が世襲制の場合には、統治者(支配者)が(歴代)有能であり続けることがありそうもなく、またもし王位継承法に何らかの不安定性があると、王家内での戦い(内乱)が起こるであろうからである。東洋においては,新しい統治者は、まず最初に自分の(男の)兄弟を殺害するのが普通であった。しかし,もし兄弟のうちの誰かが逃亡すると,その者(逃亡した者)は処刑されることを避ける唯一の機会(chance 見込み)として、王位継承(の権利)に対する主張を行った。たとえば,マイヌッチ(注:Niccolao Manucci イタリアの作家、旅行家でムガル宮廷で働いた経験あり)の『ムガル帝国の歴史』(Mainucci’s Storia do Mogor)を読むとよい(注:みすず書房版の東宮訳では「モンゴル帝国」になってしまっている)。この書物にはムガル帝国を扱っており、王位継承の戦いが何よりもムガル帝国のカを弱めたことを明らかにしている。我が国(英国)においては、薔薇戦争がそれと同様の教訓を強調している(point the same moral)。

Chapter XI: Powers and Forms of Government, n.10  begommer/images/Wars_of_the_Roses.jpg It is because the motives of loyalty in an inner group and fear in the general population are so simple and easythat almost all enlargement in the areas of sovereign States has been by conquest, not by voluntary federation ; and it is also for this reason that monarchy has played such a great part in history. Monarchy has, however, very great disadvantages. If it is hereditary, it is unlikely that the rulers will continue to be able; and if there is any uncertainty about the law of succession, there will be dynastic civil wars. In the East, a new ruler usually began by putting his brothers to death; but if one of them escaped he set up a claim to the throne as the only chance of avoiding execution. Read, for example, Mainucci’s Storia do Mogor, which deals with the Great Moguls, and makes it evident that wars of succession did more than anything else to weaken their empire. In our own country the Wars of the Roses point the same moral.   出典: Power, 1938.
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 第12章 権力と統治形態 n.9

 以上の考察から引き出される結論はこうである。一人の君主の恣意的な権力に対する自発的な同意のようなものが,王座近くにいる集団から必要であるが、その君主の従者(従属する者)の大部分は,そうした権力に屈服するのは、通常,初めは恐怖心からであり、後になっては慣例(慣習)と伝統の結果としてである。(いわゆる)「社会契約」は -「完全に」神秘的ではない唯一つの意味においては- 征服者の間の契約(のこと)であり,もし征服者としての利益を奪われるようなことがあれば、彼ら征服者の存在意義を失う(ことになる)。服従する者の大部分に関するかぎり、同意よりもむしろ恐怖心が,単一部族を超えた権力を持つ王に屈服する元々の理由である。

Chapter XI: Powers and Forms of Government, n.9

The conclusion to be derived from these considerations is that, while something like voluntary consent to the arbitrary power of a monarch is necessary from a band of companions who are near the throne, the majority of his subjects usually submit, at first, from fear, and afterwards as the result of custom and tradition. The “social contract,” in the only sense in which it is not completely mythical, is a contract among conquerors, which loses its raison d’etre if they are deprived of the benefits of conquest. So far as the majority of subjects are concerned, fear, rather than consent, is the original cause of submission to a king whose power extends beyond a single tribe.
 出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.8

 命令と服従の関係を除いて,一つの社会の人々を結びつける絆(band)としての,人々の間におけるそれ以外(命令と服従の関係以外)の任意の関係の難しさは,国家間の関係を例にあげて説明できる(注:may be illustrated by によってよく例証される)。小国が(外国の)征服によって徐々に大規模な帝国へと成長していった実例は数えられないほど存在している。しかし,自発的な連合によるもの(自発的な連合によって帝国へと成長したもの)はほとんど存在していない。フィリップ王(注:アレクサンダー大王の父)の時代のギリシアあるいはルネッサンス時代のイタリアにとって,異なる主権国家間におけるある程度の協力は死活問題であったが,それにもかかわらず,そのような協力をもたらすことはできなかった。それと同じことは,今日(注:1938年当時)ヨーロッパについてもあてはまる(真実である/言うことができる)。常に命令する習慣のある人たちを,あるいは自立(していること)を習慣とする人たちをさえ,自発的に外的権威に服従するように導いていくことは,容易なことではない。このようなことが(実際に)起こる時,それは通常は海賊団のような場合(事例)においてであり,そこでは小集団が一般大衆の犠牲において大きな利益を望み,指導者に信頼を置き,進んでその指導者の手に(困難な)事業の指導をまかせてしまうような場合だけである(leave the direction of the enterprise in his hands)。(いわゆる)「社会契約」から出てくる統治について言うことができるのはこのような状況においてのみであり,この場合(事例)においては、その契約はルソーの言う契約(注:社会契約説における「契約」)というよりはむしろトマス・ホッブスの言う「契約」(注:万人の万人に対する戦争状態における自己保存のための「契約」)である。即ち,それは,市民たち(あるいは海賊たち)が相互に結ぶ契約であり,彼らが彼らの指導者との間に結ぶ契約ではない。心理的に重要な点は,略奪や征服の大きな見込みがある時に人々はそのような契約を進んで受け入れる(賛成する)ということだけである。絶対君主的でない王(Kings 諸侯)を,戦争の勝利によって,より絶対的な存在になることを可能にしたのは -通常,それは明白な形でにおいてではないが- このような心理的メカニズムである。

Chapter XII: Powers and Forms of Governmants, n.8 The difficulty of any other relation between men, as a bond uniting them in one community, except that of command and obedience, may be illustrated by the relations of States. There are innumerable instances of small States growing into great empires by conquest, but hardly any of voluntary federation. For Greece in the time of Philip, and Italy in the Renaissance, some degree of co-operation between different sovereign States was a matter of life or death, and yet it could not be brought about. The same thing is true of Europe in the present day. It is not easy to induce men who have the habit of command, or even only of independence, to submit voluntarily to an external authority. When this does happen, it is usually in such a case as a gang of pirates, where a small group hopes for great gains at the expense of the general public, and has such confidence in a leader as to be willing to leave the direction of the enterprise in his hands. It is only in this kind of situation that we can speak of government arising from a “social contract,” and in this case the contract is Hobbes’s rather than Rousseau’s -i.e. it is a contract which the citizens (or pirates) make with each other, not a contract between them and their leader. The psychologically important point is that men are only willing to agree to such a contract when there are great possibilities of plunder or conquest. It is this psychological mechanism, though usually not in an overt form, which has enabled kings who were not absolute to become more nearly so by successful war.
 出典: Power, 1938.
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第12章 権力と統治形態 n.7

【(お知らせ)12.28~2020年1月5日まで、年末年始のため、
       投稿を休止します。】
 心理的にみて,絶対君主制の長所は明らかである。一般的に,統治者はどこかの部族あるいは党派(や党派)を征服する。そうして,彼(支配者)につき従う者たちは,自分たちは支配者の栄光を共にする者だと感ずる。キュロス(注: Cyrus ペルシア王国第7代の王であり,メディア王国に従属する小国であったペルシアをメディア王国を倒して統一王朝としてのアケメネス朝を開いた。)は,メディア王国(the Medes)に敵対し,ペルシャ人に叛旗をひるがえさせた。アレクサンダー大王は,自分に従った(故国)マケドニアの人々に権力と富を与えた。ナポレオンは革命軍(フランス市民革命軍)に勝利をもたらした。レーニンおよびヒトラーと彼らの(それぞれの)党との関係(ナチス党及びボリシェビーキ党との関係)も,(以上の例と)同種のものであった。征服者を頭に戴く部族ないし党派は,喜んで彼(征服者)に従い,彼の成功(勝利)によって,その部族や党派自身が偉くなったように感じる。彼に鎮圧された人々は,彼に対し,賞賛(admiration 感嘆)が入り交じった恐怖を感じる。政治的訓練,つまり妥協の習慣は,必要ない。唯一必要な本能的な社会的団結は,彼(征服者)に従う少数の側近集団の本能的な社会的団結のみであり,それは全てその英雄(征服者)の功績に依存しているという事実によって,容易になる(容易に得られる)のである。征服者が死ぬと,征服者の仕事は,アレクサンダー大王の場合のように,粉々になってしまうかも知れない。しかし幸いにも,有能な後継者が,その征服者の仕事が伝統的なものになるまで続けるかも知れない。

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