10章 権力の源泉としての信条 n.13

 (以上述べたことを)要約してみよう。  何らかの種類の信条あるいは感情社会の団結にとって必須のものであるが,しかしそれが強さの源泉であるためには,かなりの割合の技術的能率を依存している人々(注:宣伝家など?)を含めて,大多数の民衆が,それを純粋かつ深く感じていなければならない。そのような条件が欠けている場合には,政府検閲と迫害によってそのような条件を生みだそうとするかも知れない。しかしもし検閲と迫害が厳しいと,人々が現実と接触しなくなったり,知ることが重要である諸事実について無知になったり,忘れたりする原因となる権力を掌握している者(権力の保持者)は,権力衝動によって偏見をもたされているので,国力の増大に最も資する自由への干渉の量は,常に,諸政府が信じている量よりは少ないであろう(注:国民の自由への制限は,政府が必要と思っている量より少なくて済む,ということ)。従って,(自由への)干渉に反対する感情が広くゆきわたっているということは,無政府状態になってしまうほど極端にならない限り,国力を増すこととなりそうである。しかし,特殊な事例を除いて,そうした一般論を越えて述べることは不可能である。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.13

To sum up : A creed or sentiment of some kind is essential to social cohesion, but if it is to be a source of strength it must be genuinely and deeply felt by the great majority of the population, including a considerable percentage of those upon whom technical efficiency depends. Where these conditions are absent, governments may seek to produce them by censorship and persecution; but censorship and persecution, if they are severe, cause men to become out of touch with reality, and ignorant or oblivious of facts which it is important to know. Since the holders of power are biased by their power-impulses, the amount of interference with freedom that conduces most to national power will always be less than governments are inclined to believe; therefore a diffused sentiment against interference, provided it does not go so far as to lead to anarchy, is likely to add to the national strength. But it is impossible to go beyond these generalities except in relation to particular cases.
 出典: Power, 1938.
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第10章 権力の源泉としての信条 n.12

 (それならば)国家の威信を維持するためにはどの程度まで(国民の)自由に干渉することが必要であろうか?  現実に起きている(数々の)自由への干渉は,主にこの(国家の威信の維持)という目的を持っている (注:みすず書房版の東宮訳では,”national pride” を「国民としての誇り」と訳されているが,「国民の自由へ干渉することが国民のほこりを保つために必要」というブラック・ジョークになってしまう。ここは「国家の威信」と訳すべきであろう)。ロシアでは政府公認の正説に一致しない人々(意見の違う人々)は,非愛国的なやり方で行動する傾向がある(非国民!)と考えられている。ドイツとイタリアにおいては,政府の強さは,政府によるナショナリズム(国家主義)に対するアピールにかかっており,政府に対する反対はいかなるものもモスクワ(=ロシア)を利するものだと考えられている。フランスにおいては,もし(自由の国フランスで)自由が失われるとすれば,それは多分,親独的な裏切りを妨ぐためであろう。これらの国々の全てにおいて困難なことは,階級闘争が(諸)国家の(様々な)争い(紛争)の邪魔をし,そのことが,民主主義国においては資本家が,ファシズムの国々においいては社会主義者と共産主義者が,ある程度まで,国益以外の他の考慮によって,動かされる原因となっている(注:causing ~ to be guided 左右される原因となっている)ことである。もしこのような愛国主義的な目的からの逸脱を防ぐことができれば(注:愛国主義的目的に徹することができれば),一国の強さは増すであろう(注:東宮氏は nationalist aims を「国民的な目的」と誤訳している。 nationalist を別の単語と勘違いしたのか?)。しかし,そのために,もし知性の水準全体を引き下げることが必要だということなら,国力の増大はしそうもない(注: but not if it is necessary, for the purpose, to lower the whole level of intelligence. の中の”not” を適切に解釈することが重要)。諸国政府にとって,これは難しい問題である。というのは,ナショナリズム(国家主義)は愚かな理想であり,聡明な人々はヨーロッパがこのナショナリズム(国家主義)のために破滅しつつあると気づいているからである。最良の解決策は,このナショナリズム(国家主義)を,何らか国際的なスローガンのもとに,たとえば民主主義とか共産主義とか集団的安全保障とかいうようなスローガンのもとに,変装させることである。イタリアやドイツのように,これのできないところ(国)では,外的な一律性を得るために暴政(圧政)が必要となり,容易に本物の内的な感情を生みだすことができない(のである)。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.12 How much interference with freedom is necessary for the maintenance of national pride? The interferences which actually occur have mainly this end in view. In Russia, it is thought that those who disagree with the official orthodoxy are likely to behave in an unpatriotic manner; in Germany and Italy, the strength of the government depends upon its appeal to nationalism, and any opposition is considered to be in the interests of Moscow; in France, if liberty is lost, it will probably be to prevent pro-German treachery. In all these countries, the difficulty is that the class-conflict cuts across the conflicts of nations, causing the capitalists in democratic countries, and the Socialists and Communists in Fascist countries, to be guided, to some extent, by other considerations than those of the national interest. If this diversion from nationalist aims can be prevented, a country’s strength is likely to be increased, but not if it is necessary, for the purpose, to lower the whole level of intelligence. For governments the problem is a difficult one, since nationalism is a stupid ideal, and intelligent people perceive that it is bringing Europe to ruin. The best solution is to disguise it under some international slogan, such as democracy or communism or collective security. Where this cannot be done, as in Italy and Germany, outward uniformity demands tyranny, and does not easily produce a genuine inward sentiment.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_120.HTM

第10章 権力の源泉としての信条 n.11

 我々は今や(これまでに述べた)2つの公理(自明の理)を実際的(実践的に)に総合してもよいであろう。社会的結合(社会の団結)には信条あるいは,行動規範、あるいは(多くの人々に)広く行き渡る感情か,あるいは -これが最善であるが- 以上の3つ全てが結びついたものが必要である。いずれにせよこの種のものがなければ,社会は分裂し,暴君(圧制者)かあるいは外国の征服者に従属することになる。しかし,もし,この種の団結のための手段が有効であるべきであるのなら ,人々が社会的結合(の重要性)を心の底から感じなくてはならない。わずかな少数者に対してならば -そうした人々が例外的な知性あるいは性格(character 人格)を通して特に重要な人間だということでない場合には- これ(社会的結合)を力ずくで押しつけることができるかも知れないが,しかし,大多数の人々にあっては,社会的結合は心からのものでありかつ自発的なものでなくてはならない。一人の指導者に対する忠誠や,国家の威信(national pride)や,宗教的情熱というようなものは,歴史的に見て,結合を得る最良の手段であることが明らかになった。しかし,指導者に対する忠誠は,(今日)世襲による統治権(主権)が衰えたので,昔ほど永続的な効果はなく,宗教的な情熱も自由思想の普及によって脅かされている。このようにして,国家の威信(だけ)が残り,それは往時よりも相対的により重要となっている。この種の国家の威信についての感情が -国家の威信に敵対的である(政府)公認の信条があるにもかかわらず- ソビエト・ロシアに復活してきた様を観察することは興味深い。もっとも、キリスト教ほど(国家の威信に)敵対的ではないけれども。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.11

We may now arrive at the practical synthesis of our two truisms. Social cohesion demands a creed, or a code of behaviour, or a prevailing sentiment, or, best, some combination of all three ; without something of the kind, a community disintegrates, and becomes subject to a tyrant or a foreign conqueror. But if this means of cohesion is to be effective, it must be very deeply felt; it may be imposed by force upon a small minority, provided they are not specially important through exceptional intelligence or character, but it must be genuine and spontaneous in the great majority. Loyalty to a leader, national pride, and religious fervour have proved, historically, the best means of securing cohesion ; but loyalty to a leader is less permanently effective than it used to be, owing to the decay of hereditary sovereignty, and religious fervour is threatened by the spread of free thought. Thus national pride is left, and has become relatively more important than in former times. It has been interesting to observe the revival of this sentiment in Soviet Russia, in spite of an official creed which should be inimical to it — though not more so, after all, than Christianity.
 出典: Power, 1938.
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第10章 権力の源泉としての信条 n.10

 戦争が起こると(始まると),(政府の)隠蔽政策は,(当初)意図した効果とはまったく逆の効果を生むことになるかもしれない隠され続けてきた不愉快な事実のうちの少なくともいくつかは,あらゆる人々(衆目)に明らかになりがちであり、また、人々が愚者の楽園に住まわせられてきたのであればあるほど,それだけいっそう,人々は現実によって(現実を知ることによって)恐れおののき、意気消沈させられるであろう。革命や(政府の)突然の崩壊は,自由な議論によって公衆の精神が苦痛を与える出来事に対し心構えができている場合に比べ、そのような状況(無知にされていた状況)の場合のほうがずっと多く起こりそうである。

 服従の態度は,-下位の者(自分より劣った者)から強要される時- 知性にとって有害である(知性を損なうもとなる)。何らかの馬鹿げた(不合理な)原理原則を、少なくとも外見的には,受け入れなければならない社会においては,(その社会の)最良の人間(人々)は魯鈍になるか,あるいは,不平不満を抱かざるをえない。その結果,その社会の知的水準は低下し,それは,間もなく,技術的進歩を妨げるに違いない。公(官公吏)の信条が知的な人間であればほとんど受け入れないようなものである場合には,このことは特に真実である(あてはまる)。ナチスは(これまで/1938年本書出版当時まで)最も有能なドイツ人の大部分を追放してきたが,このことは,遅かれ早かれ.,彼らナチスの軍事技術の上にも破滅的な影響を及ぼすに違いない。科学なくして技術が長い間進歩し続けることは不可能であり,思想の自由のないところに科学が栄えることも不可能である。従って,原理原則の一律性(一様性)を固執することは,たとえそれが戦争とは全く縁の遠いような事柄においてさえ,科学時代の軍事的効率性にとって,致命的である。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.10

When war comes, the policy of concealment may produce effects exactly opposite to those intended. Some, at least, of the unpleasant facts which had been kept dark are likely to become patent to all, and the more men have been made to live in a fool’s paradise, the more they will be horrified and discouraged by the reality. Revolution or sudden collapse is much more probable in such circumstances than when free discussion has prepared the public mind for painful events.

An attitude of obedience, when it is exacted from subordinates, is inimical to intelligence. In a community in which men have to accept, at least outwardly, some obviously absurd doctrine, the best men must become either stupid or disaffected. There will be, in consequence, a lowering of the intellectual level, which must, before long, interfere with technical progress. This is especially true when the official creed is one which few intelligent men can honestly accept. The Nazis have exiled most of the ablest Germans, and this must, sooner or later, have disastrous effects upon their military technique. It is impossible for technique to remain long progressive without science, or for science to flourish where there is no freedom of thought. Consequently insistence on doctrinal uniformity, even in matters quite remote from war, is ultimately fatal to military efficiency in a scientific age.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_100.HTM

第10章 権力の源泉としての信条 n.9

  さて第二の公理(自明の理)をとりあげてみよう。 (即ち)事実に一致した信念をもつことは有利(長所/強み)であるということである。直接の強みということに関する限り,このことは限られた信念にのみあてはまる。第一に,爆薬や毒ガスの特性というような技術的な問題がある。第二は,対立する諸勢力のいずれが(相対的に)強いかということに関する問題である。これらの問題に関してさえ,政策や軍事行動を決定する人々だけが正しい見解を持つ必要がある,と言ってよい。(即ち)一般民衆(大衆)は(自国の)勝利は確実だと思い,空襲されることの危険を過小評価することが(政府にとっては)望ましい。政府と軍首脳部及びそれらの専門職員のみが事実を知っていればよく,それ以外の全ての人々の間においては,盲信と盲従だけが最も望まれること(全て)である。  人間に関する事柄がチェスのように計算可能であり,しかも,政治家や将軍がチェスの名人のように賢ければ,このような(以上のような)見方にもいくらか真理があるかもしれない。戦争に勝利した場合の利益は疑わしいが,しかし,戦争に敗北した場合の不利益は確実である(疑う余地がない)。従って,問題の先頭に立つ超人が,誰が(結果として)勝利することになるかを予見することができれば,戦争はまったくなくなるであろう。しかし,実際のことろ,戦争は行われており,また,いかなる戦争においても,両政府ということはなくとも、どちらかの政府は(戦争の)見込み(chances 成算)について誤算を犯してきたに違いない(のである)。これ(誤算)には幾つかの理由(reasons わけ)がある。誇りと虚栄のため,無知のため,興奮の伝染しやすさのため,といった理由である。一般民衆は,無知のまま(戦争の勝利を)信じさせられている場合,彼らの確信と好戦的感情は容易に支配者(統治者)に伝わるであろうし,支配者(統治者)たちは,あらゆる新聞にも、あらゆる会話にも出てくる愉快な事実に対し,支配者(統治者)は知っているが(一般民衆には)隠している不愉快な事実と同じような重み付けをすることはほどんどできない。ヒステリーと誇大妄想が人々をとらえつつあり,政府もこれを免れうるものではない(免疫をもっていない)。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.9

Let us now take up our second truism: that it is advantageous to have beliefs which are in accordance with fact. So far as direct advantages are concerned, this is only true of a limited class of beliefs: first, technical matters, such as the properties of high explosives and poison gases; secondly, matters concerning the relative strengths of the opposing forces. Even as regards these matters, it may be said, only those who decide policy and military operations need have correct views: it is desirable that the populace should feel sure of victory, and should underrate the dangers of attack from the air. Only the government, the military chiefs, and their technical staffs need know the facts; among all others, blind confidence and blind obedience are what is most to be desired. If human affairs were as calculable as chess, and politicians and generals as clever as good chess players, there might be some truth in this view. The advantages of successful war are doubtful, but the disadvantages of unsuccessful war are certain. If, therefore, the supermen at the head of affairs could foresee who was going to win, there would be no wars. But in fact there are wars, and in every war the government on one side, if not on both, must have miscalculated its chances. For this there are many reasons : of pride and vanity, of ignorance, and of contagious excitement. When the populace is kept ignorantly confident, its confidence and its bellicose sentiment may easily be communicated to the rulers, who can hardly attach the same weight to unpleasant facts which they know but conceal as to the pleasant facts that are being proclaimed in every newspaper and in every conversation. Hysteria and megalomania are catching, and governments have no immunity.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_090.HTM

第10章 権力の源泉としての信条 n.8

Monamy, Peter; The Capture of Louisburg, 28 June 1745; National Maritime Museum; http://www.artuk.org/artworks/the-capture-of-louisburg-28-june-1745-175122

 国家(a nation 民族国家)や宗教や政党に力(権力)を与えるのに必要な一様性(一律性)は,行為(行動/実践)における一様性(一律性)であり,それは感情と習慣に依存している。そのような一様性(一律制)があるところでは,知的確信は無視することができる。そのような行為(行動)の上での一様性(一律性)は,今日の大英帝国にも存在しているが,しかし,それは1745年以後に初めて存在するに至ったものである。(訳注:イギリスの支配下にあったノバスコシアをフランスが奪還を企てた時、即ち1745年のルイブールの戦いのことを言っているらしい)。1792年(注:フランス市民革命勃発時)のフランスにはそれはなかったし,第一次大戦中とその後の内戦を通じてのロシアにも,それはなかった。スペインには今日(注:1938年当時)でもない。(一つの)政府が行動(行為)の上での忠誠を信頼できる(頼ることができる)場合においては,思想の自由を認めることは困難ではない。しかし,そうでない場合には,問題はもっと困難になる。内戦の期間中は,宣伝の自由が不可能であることは明らかである。また,内戦の危険がさし迫っている場合にも,宣伝を制限することを是とする議論(arguments 論拠)はほんのわずかその圧倒的な論拠を減ずるのみである。従って,危機的な状況においては,一様性(一律性)を上から押しつけることを是とする強い事例(case 場合)が存在している

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.8

The uniformity which is needed to give power to a nation, a religion, or a party, is a uniformity in practice, depending upon sentiment and habit. Where this exists, intellectual conviction can be ignored. It exists in Great Britain at the present day, but it did not exist until after 1745. It did not exist in France in 1792, Or in Russia during the Great War and the subsequent civil war. It does not exist in Spain at this moment. It is not difficult for a government to concede freedom of thought when it can rely upon loyalty in action; but when it cannot, the matter is more difficult. It is obvious that freedom of propaganda is impossible during a civil war ; and when there is an imminent danger of civil war, the argument for restricting propaganda is only slightly less overwhelming. In dangerous situations, therefore, there is a strong case for an imposed uniformity.  出典: Power, 1938.  詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_080.HTM

 

『権力』第10章 権力の源泉としての信条 n.7

 この問題で真理に達するのには,(次の)二つの対立する公理(truisms 自明の理)の間に妥協点を見つけ出すことが必要である。第一の公理(自明の理)は,一致した信念をもつ人々は意見が不一致の人々よりも心から協力できるということ(自明の理)である。第二の公理(自明の理)は,事実に一致した信念をもつ人々のほうが間違った信念をもつ人々よりも成功しそうだということ(自明の理)である。まずこれらの公理(自明の理)の各々について吟味してみよう。
 意見の一致協力への助けとなることは明らかである。スペイン内戦においては,無政府主義者も共産主義者もバスク民族主義者も皆等しくフランコ(将軍)の敗北を望んだけれども,彼らの間の協力は困難であった。同様にして,程度はより低いが,他方の側(敵側)では,カルロス党員(注:スペインの王制擁護の党)と現代型のファシスト(国家主義者)との間の協力も困難であった。直接の目的についての一致が必要であり,一定(程度)の気質上の相性もまた必要である。しかし,そうしたものさえあれば,意見大きな違いは無害になるかも知れない(可能性がある)。半島戦争(注:Peninsular War, 1808- 1814, イベリア半島でスペイン軍、ポルトガル軍、イギリス軍の連合軍とフランス帝国軍との間に戦われた戦争)についての史家であるウィリアム・ネイピア卿は,ナポレオンを賛美し,ウェリントン将軍(注:)を嫌っており,彼の著書を読むと,ナポレオンの敗北を彼が残念に思っていたことがよくわかる。しかし,彼の階級感情と軍務を果たすのだという感情(の方)がそのような純粋に知的な確信に優先し,あたかも高貴な生れのトーリー党員(注:トーリー党は現在の英国保守党の前身)のように,有能に,フランスと戦った。これと同様に,今日の英国のトーリー党員たちは(も),時至らば,(全体主義者/国家主義者である)ヒットラーの賛美者でなければ,力強く(庶民の出である)ヒットラーと戦うことであろう。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.7

To arrive at the truth in this matter, it is necessary to find a compromise between two opposite truisms. The first of these is: men who agree in their beliefs can co-operate more whole-heartedly than men who disagree. The second is: men whose beliefs are in accordance with fact are more likely to succeed than men whose beliefs are mistaken. Let us examine each of these truisms.
That agreement is a help in co-operation is obvious. In the civil war in Spain, co-operation has been difficult between anarchists, communists, and Basque nationalists, though all equally desired the defeat of Franco. In the same manner, though in a less degree, on the other side, co-operation has been difficult between Carlists and modern-style Fascists. There is need of agreement as to immediate ends, and also of a certain temperamental congeniality; but where these exist, great differences of opinion may become harmless. Sir William Napier, the historian of the Peninsular War, admired Napoleon and disliked Wellington ; his book shows that he considered the defeat of Napoleon regrettable. But his sentiment of caste and his feeling of military duty overrode such purely intellectual convictions, and he fought the French as competently as if he had been a high Tory. In like manner, should the occasion arise, British Tories of the present day will fight Hitler just as vigorously as they would if they did not admire him.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_070.HTM

ラッセル『権力』第10章 権力の源泉としての信条 n.6

 私が(今)問おうとしている疑問は,次のように広義のもの(疑問)ではない。即ち,思想の自由は奨励されるべきかとか,あるいは,少なくとも思想の自由に対して寛大であるべきか,というような疑問ではない。私が問おうとしているのは,次のようなもっと狭義の疑問である。即ち,統一的な信念/信条(注:多くの人が同じ信念を持つこと)は -自発的なものであろうと権力(権威)によって押しつけられたものであろうと- どの程度まで権力の源泉となるであろうか,という疑問であり,また,一方,思想の自由が果してどの程度まで権力の源泉となるか,という疑問である。

 英国の遠征軍が1905年にチベットに侵攻した時チベット人たちは当初勇敢に進軍したが,それはラマ僧たちが彼らに弾丸よけの護符(お守り)(magic charms)を与えていたからであった(注:これは「統一的な信念」の象徴)。にもかかわらず,死傷者(casualities)が続出するや,ラマ僧たちは弾丸の先がニッケルでできていることを(観察によって)見つけ(observed),護符は鉛に対してだけ利き目があると説明した。以後,チベット軍の士気は下がった。クン・ベラ(Kun Bela, 1886-1939:ハンガリーの共産主義者)とクルト・アイスナー(注:Kurt Eisner, 1867-1919:第一次世界大戦直後,ミュンヘン革命の中心人物としてバイエルン自由国の暫定首相に就任)が共産主義革命を起した際,彼らは唯物弁証法が自分たちのために戦ってくれているという自信をもっていた。彼らの失敗が,コミンテルンのラマ僧(に当たる人)によってどのような説明をなされたか,私は忘れてしまった(注:冗談?)。これらの2つの例においては,統一的な信念(一律の信条を多くの人が抱くこと)によって勝利はもたらされなかった。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.6
The question I am asking is not the broad one: Should freedom of thought be encouraged, or at least tolerated? I am asking a narrower question : To what extent is a uniform creed, whether spontaneous or imposed by authority, a source of power? And to what extent, on the other hand, is freedom of thought a source of power?

When a British military expedition invaded Tibet in 1905, the Tibetans at first advanced boldly, because the Lamas had given them magic charms against bullets. When they nevertheless had casualties, the Lamas observed that the bullets were nickel-pointed, and explained that their charms were only effective against lead. After this, the Tibetan armies showed less valour. When Bela Kun and Kurt Eisner made Communist revolutions, they were confident that Dialectical Materialism was fighting for them. I forget what explanation of their failure was offered by the Lamas of the Comintern. In these two instances, uniformity of creed did not lead to victory.
 出典: Power, 1938.
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ラッセル『権力』第10章 権力の源泉としての信条 n.5

 狂信主義が一時的であっても成功をもたらした事例よりも,災難しかもたらさなかった事例のほうがはるかに多い。たとえ,つかのまにもせよ一応の成功をもたらした場合にくらぺて,その数ははるかに多い。狂信主義は,ティトゥス(注:ローマの皇帝ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス。在位中にベスビオ火山が噴火し、ポンペイが壊滅したほか、ローマが3日間延焼し続ける火事が起こった。)の時代にエルサレムを滅ぼし,また,1453年にコンスタンチノープルを滅ぼした(注:1453年5月29日、オスマン帝国のメフメト2世によって東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(=現在のイスタンブール)が陥落)。コンスタンチノープルが滅ぼされた時には,西方(西ヨーロッパ)は,(キリスト教の)東方教会と西方教会との間のごくささいな教義上の違いのために拒絶されたのである。(また)狂信主義は,スペインの衰退をもたらし,それは,当初は(スペインからの)ユダヤ人とムーア人の駆逐を通して、その後はオランダの叛逆や宗教戦争(注:16~17世紀のヨーロッパで展開されたキリスト教新旧両派の戦争)の長期にわたる疲弊(ひへい)を引き起こすことによって,(スペインの衰退は)もたらされたのである。これとは逆に,近代を通じて最も成功をおさめたのは,異端者の迫害にふけることの最も少なかった諸国家であった。

 それにもかかわらず,現在,原理・原則(教義)上の統一(性)は国力(の維持・増強)において必須であるという信条(信念)が広範に行き渡っている。この見解は,ドイツとロシアにおいてきわめて厳格に保持され、かつ、それに基づいて行動がなされており,その厳しさの程度は少し落ちるが,イタリアと日本においても,同様の状況である。フランスと大英帝国においてファシズムに反対している人々の多くは,思想の自由が軍事上の弱さの源であると認めがちである。従って,この問題を,もう一度,もっと抽象的かつ分析的なやり方で吟味して見よう。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.5

The cases in which fanaticism has brought nothing but disaster are much more numerous than those in which it has brought even temporary success. It ruined Jerusalem in the time of Titus, and Constantinople in 1453, when the West was rebuffed on account of the minute doctrinal differences between the Eastern and Western Churches. It brought about the decay of Spain, first through the expulsion of the Jews and Moors, and then by causing rebellion in the Netherlands and the long exhaustion of the Wars of Religion. On the other hand, the most successful nations, throughout modern times, have been those least addicted to the persecution of heretics.
Nevertheless, there is now a wide-spread belief that doctrinal uniformity is essential to national strength. This view is held and acted upon, with the utmost rigour, in Germany and Russia, and with slightly less severity in Italy and Japan. Many opponents of Fascism in France and Great Britain are inclined to concede that freedom of thought is a source of military weakness. Let us therefore examine this question once more, in a more abstract and analytic fashion.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_050.HTM

ラッセル『権力』第10章 権力の源泉としての信条 n.4

 狂信主義が一見成功したように見えるもう一つの事例は(apparent success),クロムウェルの下の独立派(注:英国の清教徒革命の中心勢力となった宗教的・政治的一派で,クロムウェルの護国卿政権を生んだ。)の勝利である。しかし,クロムウェルの業績に狂信主義がどの程度関係していたかについては疑問の余地がある。国王との争いにおいて英国議会が勝利したのは,主として議会がロンドンと東部諸州をおさえていたからである。英国議会の人的能力も経済的資源も,ともに国王のものよりもはるかに優っていた。長老派(注:英国の改革派教会の一派の別名)の人々は -革命が起こった時の穏健派(の人々)が常にそうであるように- 次第にわきに押しのけられていったのは,彼らが心から(議会派の)勝利を望んでいなかったからである。クロムウェル自身は権力を握ると,彼は困難な状況下で最大限の努力をしたいと思う(注:to make the best of 最善を尽す)実際的な政治家であることがわかった。しかし,彼は自分に従う者達の狂信主義を無視することができず,彼ら(クロムウェルに従う者たち)は非常に評判が悪く、ついにはクロムエル派の完全な没落へと導いた。(従って)長い目で見れば,狂信主義は,英国の独立派の人々に対して,彼らの先任者であるミュンスター(注:16世紀のドイツ西部プロシアの都> )の再洗礼派(注:狂信的神秘派)に対してよりも,より多くの成功をもたらしたと,言うことはできない。

 規模はもっと大きいが,フランス市民革命の歴史は,イングランド共和国(注:1649年のチャールズ一世の死刑執行後から1660年の王政復古までの間に行われた共和政体)の歴史と類似している。(即ち)そこには狂信主義があり,(狂信主義の)勝利があり,専制政治があり,(専制政治の)崩壊があり,反動があった。狂信主義に最も好意的なこの二つの実例においてさえ,狂信主義者の成功は短命であった(ことがわかる)。

Another case of the apparent success of fanaticism is the victory of the Independents under Cromwell. But it may be questioned how much fanaticism had to do with Cromwell’s achievements. In the contest with the King, Parliament won mainly because it held London and the Eastern Counties; both its man-power and its economic resources far exceeded those of the King. The Presbyterians — as always happens with the moderates in a revolution — were gradually thrust aside because they did not wholeheartedly desire victory. Cromwell himself, when he had achieved power, turned out to be a practical politician, anxious to make the best of a difficult situation; but he could not ignore the fanaticism of his followers, which was so unpopular as to lead, in the end, to the complete downfall of his party. It cannot be said that, in the long run, fanaticism did anything more to bring success to the English Independents than to their predecessors the Anabaptists of Munster.
On a larger scale, the history of the French Revolution is analogous to that of the Commonwealth in England : fanaticism, victory, despotism, collapse, and reaction. Even in these two most favourable instances, the success of the fanatics was short-lived.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_040.HTM

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