ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.32

 権力は,政府の権力であれ,無政府主義的で冒険的な権力であれ,なければならない(存在しなければならない)。むきだしの権力さえ,政府に対する反逆者(rebels)が存在する限り,あるいは,通常の(並の)犯罪者(criminals)でさえ存在する限り,むきだしの権力はなければならない(存在しなければならない)。しかし,もし人生(人間の生活)が,人類の大多数にとって,(時々)激しい恐怖の瞬間で中断される退屈なみじめなものである以上のもの(ましなもの)であるべきだとすれば,むきだしの権力は可能な限り少なくなければならない。権力の行使は,それがもし理由なき拷問を課することより以上のものであるべきだとするならば,法と慣習という安全装置で(権力の行使)を取り囲み,然るべき熟慮を経て初めて許されるものとし,権力にさらされる人々の利益になるように,しっかりと監視されている人々(権力者)に委託されなければならない。

hapter VI: Naked Power, n.32

There must be power, either that of governments, or that of anarchic adventurers. There must even be naked power, so long as there are rebels against governments, or even ordinary criminals. But if human life is to be, for the mass of mankind, anything better than a dull misery punctuated with moments of sharp horror, there must be as little naked power as possible. The exercise of power, if it is to be something better than the infliction of wanton torture, must be hedged round by safeguards of law and custom, permitted only after due deliberation, and entrusted to men who are closely supervised in the interests of those who are subjected to them.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_320.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.31

奴隷貿易・奴隷売買で富を築いたナント市(フランス)の金持ちたち

 人間(人類)の歴史において,非常に忌むべき行為(注:abominations 複数形であることに注意)の大部分はむきだしの権力と関連している。それは,戦争と結びついたものだけでなく,たとえ戦争ほど目覚ましくはなくとも戦争と同じくらい恐るべき行為と関連している(if = even if)。(たとえば)奴隷制度と奴隷売買コンゴにおける搾取
(注:ベルギーの植民地下のコンゴにおいては,住民は象牙やゴムの採集を強制されていて,規定の量に到達できないと手足を切断するという残虐な刑罰が容赦なく科され,圧制と搾取が行われていた。/因みに,みすず書房版の東宮訳では「コンゴ族の搾取」と誤訳されている。)
産業主義(革命時代)初期にあった(数々の)恐るぺき出来事児童虐待司法拷問(注:正当に公認の職員によって行われた拷問),(過酷な)刑法,監獄(牢獄),救貧院(workhouses),宗教上の迫害ユダヤ民族に対する虐待専制君主の無慈悲で軽薄な行為,今日(注:執筆当時)のドイツおよびロシアにおける政敵に対する信じられない取扱い--これら全ては,無防備な(抵抗する力を持っていない)犠牲者(餌食)に対するむきだしの権力の使用例である。

 伝統に深く根ざしている多くの不正な権力の形態は,一時期はむきだしなものであったはずである(であったにちがいない)。キリスト教徒の妻は,何世紀にもわたって夫に服従してきたが,その理由は聖パウロがそうせよと言ったからである。しかし,ジェイソンとメデアの物語は,聖パウロの教義(妻は夫に服従)が女性一般に受けいれる以前に,男性が経験しなければならなかった苦労(諸困難)を例証している(よく示している)。(訳注:「ジェイソンとメデアの物語」はギリシア神話のなかの一つで,ジェイソンの妻メディアの残酷さを描いた一話。詳しくは、次のページ「> 帰国後のジェイソンとメディア」を参照。
http://palladion.fantasia.to/003-RAY2/010ARGONAUTES09.html )

Chapter VI: Naked Power, n.31

Most of the great abominations in human history are connected with naked power–not only those associated with war, but others equally terrible if less spectacular. Slavery and the slave trade, the exploitation of the Congo, the horrors of early industrialism, cruelty to children, judicial torture, the criminal law, prisons, workhouses, religious persecution, the atrocious treatment of the Jews, the merciless frivolities of despots, the unbelievable iniquity of the treatment of political opponents in Germany and Russia at the present day–all these are examples of the use of naked power against defenceless victims.
Many forms of unjust power which are deeply rooted in tradition must at one time have been naked. Christian wives, for many centuries, obeyed their husbands because St. Paul said they should; but the story of Jason and Medea illustrates the difficulties that men must have had before St. Paul’s doctrine was generally accepted by women.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_310.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.30

 社会主義者である貸金労働者(注:a Socialist と大文字になっているので「社会党員」のことか?)は,自分の収入が雇傭者の収入より少ないことは不正(不正義)だと感ずるかもしれない。そのような場合,彼(賃金労働者)に(そのことに)黙従させるのはむきだしの権力である。経済的に不平等な旧い制度は伝統的なものであり,それ自体として怒り(憤り)を起こさせるものではない。ただし,それは,伝統に反対している人々を除いて(例外)の話である。このようにして,社会主義的な意見が増すごとに,資本家の権力をよりむきだしなものにさせる。この事例(場合)は,異端派(や異教徒)とカトリック教会の権力の事例(場合)に類似している。既に見てきたように,むきだしの権力には,内在している若干の害悪があり,それは,黙従を勝ち得る権力とは対称的なものである。その結果,社会主義的な意見が増すごとに,資本家の権力はそれだけいっそう有害なものになってゆくただし,資本家が(労働者の反抗に対する)恐怖心によって,権力行使の苛酷さが緩和される限りにおいては,話は別である(例外である)。マルクス主義者の(想定した)型の社会が与えられ,全ての貸金労働者が確信を抱いた社会主義者であり,他の全ての人々が確信を抱いた資本主義体制の擁護者だという場合には,勝利をおさめる側がどちらであろうと,敵側に対するむきだしの権力の行使から逃れることはまったくできないであろう。マルクスが予言したこのような状況は,とてもゆゆしき事態であろう。マルクスの弟子たちのプロパガンダは,それが成功をおさめるかぎり,そのような事態を引き起こしがちとなっている。

Chapter VI: Naked Power, n.30

A wage-earner who is a Socialist may feel it unjust that his income is less than that of his employer; in that case, it is naked power that compels him to acquiesce. The old system of economic inequality is traditional, and does not, in itself, rouse indignation, except in those who are in revolt against the tradition. Thus every increase of socialistic opinion makes the power of the capitalist more naked; the case is analogous to that of heresy and the power of the Catholic Church. There are, as we have seen, certain evils that are inherent in naked power, as opposed to power which wins acquiescence ; consequently every increase in socialist opinion tends to make the power of capitalists more harmful, except in so far as the ruthlessness of its exercise may be mitigated by fear. Given a community completely on the Marxist pattern, in which all wage-earners were convinced socialists and all others were equally convinced upholders of the capitalist system, the victorious party, whichever it might be, would have no escape from the exercise of naked force towards its opponents. This situation, which Marx prophesied, would be a very grave one. The propaganda of his disciples, in so far as it is successful, is tending to bring it about.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_300.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.29

 経済学においてむきだしの権力が演ずる役割は,マルクスの影響がまだ働いていなかった頃に考えられていたよりも,もっとずっと大きい。若干の事例(場合)において,このことは明らかである。

(たとえば)追はぎがその犠牲者(餌食)から奪い取る戦利品(分捕品)や征服者が敗戦国民から奪い取る戦利品(分捕品)は,明らかにむきだしの権力の問題である。奴隷制度(slavery)も,奴隷が長い習慣から(離れて)黙従しない場合には,そうである(むきだしの権力の問題である)【注:from 離れて/abesent from home 不在で; The town is 3 miles from here 町はここから3マイル離れたところにある。】。

 支払いをする人が怒っているにもかかわらず,(義務として)支払いがなされなければならないのであれば,その支払いはむきだしの権力によって強要されることになる(強制されることになる)。

 そのような怒りは二種類の場合に存在する。一つは,その支払いが慣例になっていない場合であり,もう一つは,見解(ものの見方)の変化から,慣例であるものが不正だと考えられるようになった場合である。以前は,男は,自分の妻の財産を完全に支配していたが,女権拡張運動の結果,この慣習に反逆が起こり,それは法律の改正へと導いた。また以前は,雇傭者は被雇用者の事故に何の責任(義務)も持たなかった。この点においても感情に変化が起き,法律の改正がもたらされた。この種の事例は数え切らないほどある。

Chapter 6: Naked Power, n.29

The part played by naked power in economics is much greater than it was thought to be before the influence of Marx had become operative. In certain cases, this is obvious. The booty extracted by a highwayman from his victim, or by a conqueror from a vanquished nation, is obviously a matter of naked power. So is slavery, when the slave does not acquiesce from long habit. A payment is extorted by naked power, if it has to be made in spite of the indignation of the person making it. Such indignation exists in two classes of cases : where the payment is not customary, and where, owing to a change of outlook, what is customary has come to be thought unjust. Formerly, a man had complete control of the property of his wife, but the feminist movement caused a revolt against this custom, which led to a change in the law. Formerly, employers had no liability for accidents to their employees ; here, also, sentiment changed, and brought about an alteration in the law. Examples of this kind are innumerable.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_290.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.28

 産業主義の揺藍期においては,支払われる賃金を調整する慣習はまったくなく,また,被雇用者も組織化されていなかった。その結果,雇傭者と被雇用者との関係は,国家の許す制限内(許容範囲)において,むきだしの権力の関係であった。それにまた初めのうちは,この許容範囲はとても広いものであった(つまり,雇用者の裁量範囲が大きかった)。正統派の経済学者たちは,未熟練労働(者)の貸金は,常に生存レベル(ぎりぎりの生活推持に必要な最低水準)に下落する傾向があるはずだ(注:must に違いない)と教えていた。だが,そうなるかどうかは,貸金労働者の政治的権力及び(労働者)団結の利益からの排除に依存しているということを,彼らは理解していなかった。マルクスは,この問題は(結局は)権力の問題であると見た(理解した)。しかし,私の考えでは,マルクスは政治的権力を経済的権力と比べて過小評価している。労働組合は,賃金労働者の交渉力をとても増加させたが,賃金労働者が政治的権力をまったく持っていなければ,彼らは抑圧可能となる(注:みすず書房版の東宮訳では bargaining power を「購買力」となっているが,ここでは賃金を決める場面での「交渉力」のこと)。1868年以降,英国の都市労働者が選挙権を持つという事実がなかったならば,(過去の)一連の法的判断は,英国の労働組合を損ねてきたことであろう。(注:1867年の選挙法改正によって,都市労働者まで選挙権が拡大された。因みに,ラッセルの祖父ジョン・ラッセルは,英国首相を2期務めたが,英国の選挙法改正に尽力した。)ひとたび労働組合組織が与えられるや,貸金はもはやむきだしの権力によって決定されるものではなくなり,日用品の売買のように,(団体)交渉によって決定されるものとなった。

Chapter VI: Naked Power, n.28

In the infancy of industrialism, there were no customs to regulate the wages that should be paid, and the employees were not yet organized. Consequently the relation of employer and employed was one of naked power, within the limits allowed by the State; and at first these limits were very wide. The orthodox economists had taught that the wages of unskilled labour must always tend to fall to subsistence level, but they had not realized that this depended upon the exclusion of wage-earners from political power and from the benefits of combination. Marx saw that the question was one of power, but I think he underestimated political as compared with economic power. Trade unions, which immeasurably increase the bargaining power of wage-earners, can be suppressed if wage-earners have no share in political power ; a series of legal decisions would have crippled them in England but for the fact that, from 1868 onward, urban working men had votes. Given trade union organization, wages are no longer determined by naked power, but by bargaining, as in the purchase and sale of commodities.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_280.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.27

 私はこれまで,政治的権力について述べてきたが,しかし,経済の領域においても,むきだしの権力は,少なくとも,政治の領域同様に重要である。マルクスは,未来の社会主義社会を除いて,あらゆる経済的関係はむきだしの権力に完全に支配されるものだと見なした(考えた)。(ところが)これとは反対に(Per contra),ベンサム主義(功利主義)の歴史家のエリー・アレヴィ(故人)は,かつて,おおざっぱに言って,人が自分の仕事に対して支払われる報酬(収入額)は,その人が自分の仕事がどれだけの価値があるかと考えているもの(自己評価額)とちょうど同じであると主張した。私は,この言葉は著作家の場合は当てはまらない(真実ではない)と確信を持っている。私の場合は,ある本が価値があると思えば思うほど,支払われる報酬は少ないということを,これまで常に見出している(気づいている)。それに,成功をおさめた実業家が,自分の仕事はその仕事がもたらすものほどの価値があると本当に信じるとしたら,彼らは自分で自分を思う以上に愚かな人間であるに違いない。にもかかわらず、アレヴィーの理論には一脈の真理がある。安定した社会においては,燃えるような不公正の感覚を抱く相当な数の階級は存在しないに違いない。従って,大きな経済的不満のないところでは,大部分の人は,ひどく不十分な報酬を受けているとは感じないと想定される。未開の社会では,一人の人間の生計は,契約によるよりもむしろ地位に依存しているが,そのような社会では、一般的に言って,なんであれ慣習的なものが全て正しい,と考えるであろう。しかし,その時でさえ(even then),アレヴィの常套句(決まり文句)は,原因と結果を逆にしている(取り違えている)。慣習は,何が正しいかということについての人の感情の原因をなすものであって,そのような感情が原因となって慣習が正しいと思われるのではない。この事例においては,経済的権力は伝統的なものである。古い慣習がひっくりかえされるか,あるいは,何らかの理由で批判の対象となる時にのみ,経済的権力はむきだしになる。

Chapter 6: Naked Power, n.27

I have spoken hitherto of political power, but in the economic sphere naked power is at least equally important. Marx regarded all economic relations, except in the socialist community of the future, as entirely governed by naked power. Per contra, the late Elie Halevy, the historian of Benthamism, once maintained that, broadly speaking, what a man is paid for his work is what he himself believes it to be worth. I am sure this is not true of authors: I have always found, in my own case, that the more I thought a book was worth, the less I was paid for it. And if successful business men really believe that their work is worth what it brings in, they must be even stupider than they seem. None the less, there is an element of truth in Halevy’s theory. In a stable community, there must be no considerable class with a burning sense of injustice; it is therefore to be supposed that, where there is no great economic discontent, most men do not feel themselves grossly underpaid. In undeveloped communities, in which a man’s livelihood depends upon status rather than upon contract, he will, as a rule, consider that whatever is customary is just. But even then Halevy’s formula inverts cause and effect : the custom is the cause of man’s feeling as to what is just, and not vice versa. In this case, economic power is traditional; it only become naked when old customs are upset, or, for some reason, become objects of criticism.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_270.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.26

 この間題の本質は,時折,誤解されている。(即ち)思考において(頭のなかで),理論家にとって,反抗のための十分な動機を与えないように思われる統治形態(政治形態)を発見するだけでは不十分である。現実に生みだすことができて,しかも,さらに、革命を鎮圧(抑圧)することあるいは防止することが可能な忠誠心を起こさせる統治形態(政治形態)を見つけだす必要がある(のである)。これは実践的な政治(的)手腕(practical statesmanship)の問題であり,その問題のなかで(は)、関係する民衆の全ての信念や偏見を考慮に入れなければならない。(世の中には),任意のほとんどの集団は国家機構を掌握するやいなや政治的宣伝によって国民一般を従わせる(黙従させる)ことができる,と信じている人々がいる。けれども,この説には,明らかに限界がある。国家宣伝は,近年,インドや(一九ニー年以前の)アイルランドに見られるように,国民感情に反する場合には無力であることがわかってきている。国家宣伝は、強い宗教的感情に反する場合も,普及させることは困難である。どの程度まで,またどれくらいの期間,そのような国家宣伝が多数者の利益に反しても普及させることができるかは,いまだ,疑わしい問題である。けれども,国家宣伝は,着実に効果的なものになっていくことは認めなくてはならない。それゆえ,(民衆の)黙従を確保する問題は,政府にとって次第に容易なものになりつつある。以上提起した(諸)疑問は,後にもっと詳細に考察しよう。今のところ,そうした疑問は心に留めておくことだけにしておこう。

Chapter VI: Naked Power, n.26

The nature of this problem is sometimes misapprehended. It is not sufficient to find, in thought, a form of government which, to the theorist, appears to afford no adequate motive for revolt ; it is necessary to find a form of government which can be actually brought into existence, and further, if it exists, will command sufficient loyalty to be able to suppress or prevent revolution. This is a problem of practical statesmanship, in which account must be taken of all the beliefs and prejudices of the population concerned. There are those who believe that almost any group of men, when once it has seized the machinery of the State, can, by means of propaganda, secure general acquiescence. There are, however, obvious limitations to this doctrine. State propaganda has, in recent times, proved powerless when opposed to national feeling, as in India and (before 1921) in Ireland. It has difficulty in prevailing against strong religious feeling. How far, and for how long, it can prevail against the self-interest of the majority, is still a doubtful question. It must be admitted, however, that State propaganda becomes steadily more effective; the problem of securing acquiescence is therefore becoming easier for governments. The questions we have been raising will be considered more fully at later stages; far the present, they are merely to be borne in mind.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_260.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.25

 ルソーの『社会契約論』は,現代の読者にとって(は),非常に革命的な(意味を持つ)ものとは思われない。(従って)この本が諸政府にとってなぜそんなに衝撃的なものであったか(今日)理解することは困難である。(衝撃的であった)主な理由は、『社会契約論』が,政府の権力の基礎を,君主に対する迷信的な尊敬ではなく,理性的な根拠で採用された社会慣習に置こうとしたことである,と私は考えるルソーの学説が世界に及ぼした影響は(影響を見れば),政府(統治)のための何らかの非迷信的な基礎(が必要なこと)を人々に同意させることの困難さを示している(困難さを明らかにしている)。恐らく,このこと(同意させること)は,迷信があまり急激に一掃された場合には,不可能であろう。自発的な協力でいくらかの実践をすることは(が)事前の訓練として必要である。その場合の大きな難点は,法に対する敬意は社会秩序に欠くべからざるものであることである。しかし,もはや同意を要求しない伝統的な政体の下では,法に対する尊敬は不可能であり,革命(下)においては無視されるのは必然的である。しかし,この問題は難しいものではあるが,もし秩序ある社会の存在ということが,知性の自由な行使と両立しうるものであるべきだとするならば,解決されなければならない(問題である)。

Chapter VI: Naked Power, n.25

Rousseau’s “Social Contract,” to a modern reader, does not seem very revolutionary, and it is difficult to see why it was so shocking to governments. The chief reason is, I think, that it sought to base governmental power upon a convention adopted on rational grounds, and not upon superstitious reverence for monarchs. The effect of Rousseau’s doctrines upon the world shows the difficulty of causing men to agree upon some non-superstitious basis for government. Perhaps this is not possible when superstition is swept away very suddenly: some practice in voluntary co-operation is necessary as a preliminary training. The great difficulty is that respect for law is essential to social order, but is impossible under a traditional regime which no longer commands assent, and is necessarily disregarded in a revolution. But although the problem is difficult it must be solved if the existence of orderly communities is to be compatible with the free exercise of intelligence.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_250.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.24

 迷信以外の方法による統治形態(迷信にたよらずに統治する形態)に対し(国民)一般の同意を勝ち得る方法について考察することは後の章に譲るが,今の段階においては,2,3の予備的な言及をしておくことが適切であろう。第一に,この問題は,本質的に,解決不能の問題ではない。この問題は,アメリカ合衆国においては解決されてきたからである。(この問題が英国で解決されたとはほとんど言えないのは,王位に対する尊敬が英国の安定の不可欠の要素であり続けてきているからである。)第二に,秩序ある統治(政治)の長所が(国民)一般に理解されなければならない。このことは,通常,精力的な人間が,立憲的な手段によって,裕福になったり,権力者になったりする機会があることを意味している。精力と能力を併せ持った人々を含む一定の階層(階級)が,望ましい経歴(キャリア)を妨げられている場合には,遅かれ早かれ,叛逆に導きそうな不安定の要素がある。第三に,秩序のための何らかの社会的慣例を慎重に採用する必要があるであろうし,このような慣例には,広範な反対を引き起こすほどの目に余る不正は存在しないであろう。このような慣例は,短期間うまくいくだけで,すぐ伝統的なものとなり,伝統的権力に属する全ての強み(長所)を持つこととなるであろう。

Chapter VI: Naked Power, n.24

I postpone to a later chapter the consideration of methods of winning general consent to a form of government otherwise than by superstition, but a few preliminary remarks will be appropriate at this stage. In the first place, the problem is not essentially insoluble, since it has been solved in the United States. (It can hardly be said to have been solved in Great Britain, since respect for the Crown has been an essential element in British stability.) In the second place, the advantages of orderly government must be generally realized; this will usually involve the existence of opportunities for energetic men to become rich or powerful by constitutional means. Where some class containing individuals of energy and ability is debarred from desirable careers, there is an element of instability which is likely to lead to rebellion sooner or later. In the third place, there will be need of some social convention deliberately adopted in the interests of order, and not so flagrantly unjust as to arouse widespread opposition. Such a convention, if successful for a time, will soon become traditional, and will have all the strength that belongs to traditional power.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_240.HTM

ラッセル『権力-その歴史と心理』第6章 むきだしの権力 n.23

 トラシマコスの説(注:「力は正義」理論)は,一般に受けいれられる場合,社会の秩序の存在(秩序を保つこと)を全て政府が自由に使える直接的かつ物理的な力(注:軍事力や警察力)に依存させる。それは,従って,軍事的専制政治を避けがたいものとする。それ以外の政治形態(統治形態)が安定を得ることができるのは,既存の権力の配分(状態)に対し敬意を吹き込み(生じさせる)何らかの信念が広く流布している場合のみである。この点において成功した信念は,通例,知的な批判に堪えないようなものであった。権力は,多くの時代において,一般の同意のもと,王家,貴族、金持,女性と対立するものとしての男性,有色人種(他の肌の色を持った人々)と対立するものとしての白人(白色人種)に限られてきた。しかし,被支配者の間に知性が広まった結果,彼ら被支配者はそのような制限を拒否するようになり,権力の保持者はむきだしのカに屈するかあるいは依存するか,どちらかを強いられてきた。もし,秩序ある統治が一般的な同意を命じるならば(秩序ある政治には一般の同意が必要不可欠であるとしたら),人類の大多数の人々に,トラマシコスの理論以外の何らかの理論に同意するように説得する何らかの方法を発見しなければならない(のである)。

Chapter VI: Naked Power, n.23

The doctrine of Thrasymachus, where it is generally accepted, makes the existence of an orderly community entirely dependent upon the direct physical force at the disposal of the government. It thus makes a military tyranny inevitable. Other forms of government can only be stable where there is some wide-spread belief which inspires respect for the existing distribution of power. Beliefs which have been successful in this respect have usually been such as cannot stand against intellectual criticism. Power has at various times been limited, with general consent, to royal families, to aristocrats, to rich men, to men as opposed to women, and to white men as opposed to those with other pigmentations. But the spread of intelligence among subjects has caused them to reject such limitations, and the holders of power have been obliged either to yield or to rely upon naked force. If orderly government is to command general consent, some way must be found of persuading a majority of mankind to agree upon some doctrine other than that of Thrasymachus.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER06_230.HTM

哲学者バートランド・ラッセルの言葉を毎日お届け