経験科学に関しては、純粋数学に関して(は)生じない、様々な問題(疑問)が生ずる。(もちろん)理論物理学のような最も進歩した経験科学においては(も)、未定義の術語(terms 特別な用語)や未証明の前提の最小限のものにで到達することはいまでもなお可能である。しかし、そういう最小限のものに到達しても、それがその体系を真だと信ずる理由を与えない(与えてくれない)。純粋数学における真理は、一部の論理実証主義者があらゆる真理はそうであると信じているように、構文論的なもの(統語論的なもの)であるけれども、経験的問題における真理には異なる根拠がある。経験的命題が、それが当然もつべき真理要求(訳注:どの程度正しいか間違っているか)を、一つまたはそれ以上の事実への何らかの関係に帰さねばならないということを否認するような哲学者がいようとは信じられないことだと私は想っていた。 経験的命題の事実への関係の本性は定義困難なものであるかも知れないが、事実への何らかの関係が含まれていることを否定するようなことは、哲学で霧に包まれてしまい(曇らされてしまい)、全く明白なことすらも忘れ去った人にして初めて可能なことである。 何かまったく日常的な例、即ち、「Z教授は雨が降らなければ毎日午後散歩に出掛ける」という全くありふれた例をとってみよう。こういう陳述が真であることをどのようにして人は知るのだろうか? 哲学をやっていることを忘れ、日常的なやり方で、この問題を考えてみよう。 Z教授またはZ夫人がそう語ったのでその陳述は真であると知ったのかも知れない。というのは、両人の道徳的性質に対し、私達が最高の敬意を持っている(嘘などつかないと想っている)からである。あるいは、我々がZ教授の隣に住み、天気が悪くなければZ教授が我々の家の前を通るのを見ているのかも知れない。ここまでのところ、この件(事柄)には論争の余地がないと私は想う。しかし、我々が(哲学的)分析に対するアームソン氏の反対を考慮に入れるやいなや、論争的なものになる(のである)。私自身はアームソン氏の分析に反対する説(理論)の説得力(force 力)を認めることが全くできない。仮に、Z教授がその文(「雨が降らなければ毎日午後散歩に出掛けます」)を口にしたので我々はそれを信ずるのだとしてみよう。教授がしゃべっている間、我々はいくつかの音を次々に聞いたことを合理的に(reasonably)否定できるだろうか? (一般論ではなく)もし自分自身の観察によってその文に到達した(出くわした)とするなら、事柄はもっと明白である。 天気のよい日々には、「Z教授が自分の家の前を通り過ぎるのを見ること」と呼ばれる経験をあなたは持つ。天気の悪い日々には、 あなたはその経験をもってこなかった。(そうして)そのあなたの陳述に導いた経験が複合的であることを否定する至当な理由は見当らない(見つけることはできない)。恐らく(I dare say)、アームソン氏も彼に同意する人々も、 私が今まで述べたことに異論を出さないであろう。しかし、私が分析をもう一段進めると、彼らはは不安になるであろう。 彼らはこう言うだろう。「教授があなたの家の前を通るのを見たとあなたが言われる時、我々は皆その意味を理解する。しかし、その陳述をそれ以上あなたが分析しようとすれば、あなたは形而上学(空理空論)に陥る」と。哲学において、形而上学だという批難(accusation)は、公共事業における安全を害するもの(リスク)に対する批難に似たものになってしまっている。私自身は(for may part 他の人はいざしらず私は)、彼らが使うこの 「形而上学」という語で何を意味しようとしているのかわからない。全ての場合(事例)にあてはまるものとして私が 見出した唯一の定義は、「この著者によって抱かれていない哲学的意見」ということである。それはともかくとして、「教授が私の家の前を散歩して通る」と呼ばれる経験をさらに分析しようと望むとき、私は哲学を語っているのではなく、科学(的事実)を語っているのである。科学にとっても、常識にとっても、このときの視覚印象の系列(一連の視覚的心象群)があること、また、その印象の各々が教授の頭と胴と脚とに対応する諸部分を持っていることは全く明白である。また、映画のフィルムのような、別々の絵(画像)の一系列が教授が歩くのを見るときの経験によく似た経験を再生できうるということもまだ全く明白なことである。
Chapter 18: Some Replies to Criticism, n.1_5 In regard to the empirical sciences, various questions arise which do not arise in relation to pure mathematics. It is still possible in the most advanced empirical sciences such as theoretical physics to arrive at a minimum of undefined terms and unproved premisses. But such a minimum, when arrived at, does not give the reasons for which we believe the system to be true. Truth in pure mathematics is syntactical as some Logical Positivists believe all truth to be, but truth in empirical matters has a different basis. I should have supposed it incredible that there could be philosophers who would deny that an empirical proposition must owe whatever claim to truth it deserves to some relation to one or more facts. The nature of the relation may be difficult to define, but that some relation is involved can only be denied by those who have got themselves so befogged in philosophy that they have forgotten even what is completely evident. Let us take some quite everyday illustration, say: ‘Professor Z goes for a walk every afternoon unless it is raining.’ How does one come to know the truth of such a statement? Let us try to forget that we are doing philosophy and think of the matter in a common-sense way. You may know the sentence to be true because you have been told it by Professor Z or by Mrs Z, for the moral character of both of whom you have the highest respect. Or you may live next door to Professor Z and observe him passing your window except in bad weather. So far, I suppose, the matter is uncontroversial ; but it becomes controversial as soon as we take account of Mr Urmson’s objections to analysis. I myself fail completely to see the force of Mr Urmson’s anti-analytic theories. Suppose you believe the sentence because you have heard Professor Z pronounce it. Can it reasonably be denied that you have heard a number of sounds one after another while he was speaking? The matter is even clearer if you have arrived at the sentence by your own observations. On fine days, you have had the experience which you call ‘seeing Professor Z walk past my house’. On wet days you have not had this experience. I cannot see the justification for denying complexity in the experiences which led to your statement. I dare say Mr Urmson and those who agree with him would not dispute what I have said so far, but would grow uneasy if I carried the analysis a stage further. They would say, ‘we all know what you mean by saying that you saw Professor Z pass your window. If you pretend to analyse this statement any further, you are falling into metaphysics.’ The accusation of metaphysics has become in philosophy something like the accusation of being a security risk in the public service. I do not for my part know what is meant by the word ‘metaphysics’. The only definition I have found that fits all cases is: ‘a philosophical opinion not held by the present author’. However that may be, when I wish to analyse further the experience which is called ‘seeing Professor Z walk past my window’, I am not talking philosophy but science. It is quite obvious, both to science and to common sense, that a series of visual impressions is involved, and that each of the visual impressions concerned has parts corresponding to Professor Z’s head and body and legs. It is quite clear also that a series of separate pictures such as is involved in making a film for the cinema can reproduce an experience closely resembling that which you have when you see Professor Z walking.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
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ラッセル『私の哲学の発展』第18章 「批評に対する若干の返答」その1_4
数学についても物理学についても知覚についても言語の事実に対する関係についても、私自身が言わなければならなかったことは、常にある一定の方法によって進んできた。一般的に言って(おおざっぱに言って)、科学と常識とは、主要な点においては(in the main 概ね)真であるように解釈できると見なすと、以下の疑問(問題)が生じる。即ち、このおおまかな真理の尺度が得られる最小限の(最小限必要な)仮説は何であろうか?(訳注:”… this broad measure of truth will result” の部分を、野田氏は「大量の真理を生み出す最小数の仮定」と訳出しているが、「broad + measure」=「大量」というのは苦しい解釈) これは技術的な問題であり、かつ答は唯一(ひとつだけ)と言うことはない。純粋数学や理論物理学の命題の体系のように、命題の一つの体系は、未定義の術語(terms 用語)に関する最初の仮定(前提)という装置/道具立て(a certain apparatus of initial assumptions)から演繹することが可能である(訳注:数学全体も、物理学全体も、最小の公理から繹される命題群=体系と考えることができます)。そして未定義の術語や未証明の数を少しでも減らすことはひとつの改善である。というのは、それによって誤り(誤謬)の起りうる範囲が狭まり、また、その体系全体の真理のための人質(hostages 保証するもの)の数が少なくてすむことになるからである。これが、数学を論理学に還元できること発見して私が喜んだ理由であった。 クロネッカー(Leopold Kronecker, 1823-1891:ドイツの数学者)は、神が自然数を創り、数学者がその他の数 -分数、実数、虚数、及び複素数- を創ったと言った(訳注:実際に言った言った言葉:「整数は神の作ったものだが、他は人間の作ったものである」(Die ganzen Zahlen hat der liebe Gott gemacht, alles andere ist Menschenwerk.)。しかし、(クロネッカーの)この見解では、 自然数自身は神秘的な存在の無限集合のままであった。そういう神秘的存在を全て幼児の辺獄(limbo)に追いはらい、神的創造物を、「あるいは(or)」、「ない(not)」、「すべて(all)」とか「ある(some)」のような純粋に論理的な概念のみにすることは、慰めであった。 こういう分析がなされた時、その残り物(残滓/カス)についての哲学的問題が以前残り続けたのは確かであるが、問題は分析の前よりも少数になり、扱いやすくなった。 以前はあらゆる自然数にある種のプラトン的存在(注:観念的かつ理想的な存在)を与えることが必要であった。しかし、今や、自然数に対してそういう存在を否定することは必要でな いが、ただそれを主張することを控えさえすればよい。即ち、純粋数学の真理を、以前に必要としたよりも少ない数の仮説をもって、主張することができる(のである)。
Chapter 18: Some Replies to Criticism, n.1_4
What I myself have had to say, whether about mathematics or about physics or about perception or about the relation of language to fact, has proceeded always by a certain method. Taking it for granted that, broadly speaking, science and common sense are capable of being interpreted so as to be true in the main, the question arises: what are the minimum hypotheses from which this broad measure of truth will result? This is a technical question and it has no unique answer. A body of propositions, such as those of pure mathematics or theoretical physics, can be deduced from a certain apparatus of initial assumptions concerning initial undefined terms. Any reduction in the number of undefined terms and unproved premisses is an improvement since it diminishes the range of possible error and provides a smaller assemblage of hostages for the truth of the whole system. It was for this reason that I was glad to find mathematics reducible to logic. Kronecker said that God created the natural numbers and the mathematicians created the rest: viz. fractions, real numbers, imaginary numbers and complex numbers. But the natural numbers themselves, on this view, remained at an infinite set of mysterious entities. It was comforting to find that they could all be swept into limbo, leaving Divine Creation confined to such purely logical concepts as or and not and all and some. It is true that when this analysis had been effected, philosophical problems remained as regards the residue, but the problems were fewer and more manageable. It had formerly been necessary to give some kind of Platonic being to all the natural numbers. It was not now necessary to deny being to them, but only to abstain from asserting it, that is to say one could maintain the truth of pure mathematics with fewer assumptions than were formerly necessary.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
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ラッセル『私の哲学の発展』第18章 「批評に対する若干の返答」その1_3
アームソン氏の私(の哲学)に対する(種々の)批判は、一部は誤解によるものであり、一部は真に(純粋な)哲学的不一致(哲学上の見解の相違)によるものである。そこで(前者の)誤解による批判を取り払うため(clear away)、私の哲学上の仕事をこれまで導いて来た目的と方法をできるかぎり簡潔に述べてみることにする。 WII(注:ウィトゲンシュタイン『哲学探究』)以前のあらゆる哲学者と共通して(同様に)、私の(哲学研究の)根本的な目標は、世界を可能な限りよく理解し(as well as may be)、知識として認めてよいものを、根拠なき意見として拒否すべきものから分離することであった。WII(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』)がなければ、このような、当然認められるはずだと思われる目標を(改めて)述べる必要があるなどとは、私は考えなかったであろう(訳注:ウィトゲンシュタインが生前に出版したのは『論理哲学論考』だけです。『哲学探究』は、ウィトゲンシュタインのWIIの時期における主著とでもいうべき著作であり、ウィトゲンシュタインが亡くなった2年後の1953年に出版されています)。しかし、今や(今日では)、我々が理解するように努めなければならないのは(この)世界ではなく文(章)だけであり、しかも、哲学者の口にする文(章)以外の,いかなる文(章)も真と認められうると想定されている(訳注:オックスフォード学派は「日常言語学派」とも呼称され、哲学者の仕事は日常言語で話される言葉を批判的に分析することだと主張しています。オックスフォード学派は、ウィトゲンシュタインの「語り得ぬものは語るな」という言葉を金科玉条として、世界(全体)は「語り得ぬもの」であるので哲学探究の対象から外すべきだと主張しているという背景的知識が必要です)。けれども、これは言いすぎかも知れない。WIIの信奉者達(後期ウィトゲンシュタインの信奉者)は、文(章)が指示文(直説法の文)でありうるとともに、疑問文や命令文や願望文でもありうることを、 大した発見でもあるかのように、指摘するのを好みます。けれども、これでは文(章)の領域/範囲を越えることは(が)できない。言語の世界は事実の世界から全くきり離すことができるという奇妙な示唆(suggestions 暗示)が存在しており、それは既に論理実証主義者のなかに見出すことができる。そうして、もし仮に、語られた文(章)は物質の特定の動きからなる一つの物理的な出来事であり、書かれた文(章)はある色の背景の上にそれとは異なった色で記された印から成るなどと言えば、あなたは下品な人間であるとみなされる(訳注:論理実証主義に同意することが多いラッセルですが、これは同意できない考え方です)。我々は、人の言うことが非言語的な原因や非言語的な結果(effect 効果)とをもつこと、また、言語は歩いたり食べたりすることと全く同様にひとつの身体的活動であるといういことを忘れることが想定されている(忘れなければならないとされている)。論理実証主義者の中に既に見られる、論理実証主義者の中には、-特にノイラート (Neurath, 1873-1956) とヘンペル (Hempel, 1905-1997) - カルナップ (Carnap, 1891-1970) は一時期- 文(章)は事実とつきあわせてはならないと明確に主張した。彼らは、(論理的)主張は(論理的)主張とのみ比較されるべきであり、経験と比較されてはならず、我々は実在を命題と比較することは決してできないと断言する。ヘンペルの主張によれば、我々が真(である)と呼ぶところの体系は、「人類によって(現在)採用されている体系であり、特に我々自身の文化圏に属する科学者によって採用されている体系である、という歴史的事実によってのみ特徴づけられる」(とのことである)(訳注:野田氏は scientists を「学者」と訳しているが、ここはあくまでの学者の一部である「科学者」を指すと思われる)。私はこの見解を自著の『意味と真理との研究』のp.112以下で批判(批評)している。そこで、その批評の要点を繰り返すのみにする。その要点は、我々「文化圏」に属する科学者達の言うことは、それ自身ひとつの事実であるから、従って(主張と事実とをつきあわせてはならない、という考え方から)彼らが実際に言っていること(事実)は重要ではなく、彼らが言っているのだと我々の文化圏の(of your ‘culture circle’ )他の成員が言うことが重要である(ということになる)(”not … but (only)” の構文が隠れていることに注意)。これらの著者たち(ヘンペル他)は次のことに気づかなかったように思われる(←彼らに起こったとは思われない)。 私が本のあるページに印刷された文(章)を見る時に私はひとつの感覚的事実に対面しているのであるとは、彼らは思い至らなかったように思われる。また、もし彼らの学説が正しければ、そのページに印刷されているものについての真理はそのページを見ることによって確かめられるべきではなく、我々の友達に対して、あなた方はそこに何が印刷されていると言うかと尋ねることによってのみ確かめらるべきである、ということになること(になってしまうこと)に思い至らなかったように思われる。我々はヘンペルの立場をひとつの寓話によって例証することができるだろう。 彼の財産状態があまりよくなかった時分、あくまでも寓話ですが(so the fable avers その寓話ではそうなっているとします)、あるときヘンペルはパリの安食堂(大衆食堂)に入った(「寓話」です。)メニューを求めた。メニューを読み、牛肉を注文した。食堂に入ってからここのところまでは全て言語(に関するもの)だった。料理が出て来て彼はひと口食べた。これは事実との対面であった。彼は店の主人を呼びつけこう言った、「これは馬肉だ。牛肉じゃないぞ!」。主人は答えた、「すみません。ですが、私の文化圏の科学者達は『これは牛肉である』という文(章)を、彼らが受け入れる文(章)のなかに(ひとつに)含めています」と(訳注:事実との突き合わせは必要でなく、主張と主張との間で整合性が重要とのオックスフォード学派の人達へのからかい)。 ヘンペルは、自身の論証で(on his own showing)、これを平静に(with equanimity)受けいれざる得なくなるであろう。(もちろん)これは馬鹿げている。そうして、カルナップ(Rudolf Carnap, 1891-1970:論理実証主義の代表的論客)はやがてそのことに気づいたのであった。しかし、WII(後期ヴィトゲンシュタイン)の信奉者達はさらに一歩をすすめたのである。経験的陳述について(had been 過去に)二つの見解があった。(即ち)一つは、経験的陳述が事実への何らかの関係によって根拠づけられるというものであり、もう一つは、それら陳述は構文の規則(文法規則)に従うということによって根拠づけられるというものの2つであった。しかし、WII(後期ヴィトゲンシュタイン)の信奉者達はもはやいか なる種類の根拠づけ/正当化にも心を労することなく、従って言語がそれまでかつて享受したことのない無制限の(拘束されない)自由を、言語に対して保証する(secure 確保する)。世界を理解しようという望みは、時代遅れのだと彼ら(英国のオックスフォード学派)は考える。これが、彼らと私とが最も根本的に意見の相違する点である。
Chapter 18: Some Replies to Criticism, n.1_3
Mr Urmson’s criticisms of me are in part due to misunderstandings and in part to genuine philosophical disagreement. In order to clear away the former kind, I will try to state as concisely as I can the purpose and methods which have guided my work in philosophy. In common with all philosophers before WII, my fundamental aim has been to understand the world as well as may be, and to separate what may count as knowledge from what must be rejected as unfounded opinion. But for WII I should not have thought it worth while to state this aim, which I should have supposed could be taken for granted. But we are now told that it is not the world that we are to try to understand but only sentences, and it is assumed that all sentences can count as true except those uttered by philosophers. This, however is perhaps an overstatement. Adherents of WII are fond of pointing out, as if it were a discovery, that sentences may be interrogative, imperative or optative as well as indicative. This, however, docs not take us beyond the realm of sentences. There is a curious suggestion, already to be found among some Logical Positivists, that the world of language can be quite divorced from the world of fact. If you mention that a spoken sentence is a physical occurrence consisting of certain movements of matter and that a written sentence consists of marks of one colour on a background of another colour, you will be thought vulgar. You are supposed to forget that the things people say have non-linguistic causes and non-linguistic effects and that language is just as much a bodily activity as walking or eating. Some Logical Positivists — notably Neurath and Hempel, and Carnap at one time — maintained explicitly that sentences must not be confronted with fact. They maintain that assertions are compared with assertions, not with experiences, and that we can never compare reality with propositions. Hempel maintains that the system which we call true ‘may only be characterized by the historical fact, that it is the system which is actually adopted by mankind, and especially by the scientists of our culture circle’. I have criticized this view in An Inquiry into Meaning and Truth, page 142 ff., and will here only repeat the gist of the criticism, which is that what the scientists of your ‘culture circle’ say is a fact and therefore it does not matter what they say but only what other members of your culture circle say they say. It does not seem to have occurred to these authors that when I see a printed statement on a page I am confronted with a sensible fact and that, if they are right, the truth as to what is printed on the page is not to be ascertained by looking at the page but by asking our friends what they say is printed there. We may illustrate Hempel’s position by a fable: At a certain period, when his finances were not very flourishing (so the fable avers), he entered a cheap restaurant in Paris. He asked for the menu. He read it, and he ordered beef. All this since entering the restaurant was language. The food came and he took a mouthful. This was confrontation with facts. He summoned the restaurateur and said, ‘this is horse-flesh, not beef’. The restaurateur replied, ‘Pardon me, but the scientists of my culture circle include the sentence “this is beef” among those that they accept’. Hempel on his own showing would be obliged to accept this with equanimity. This is absurd, as Carnap in due course came to realize. But the adherents of WII go a step further. There had been two views about empirical statements: one that they were justified by some relation to facts; the other that they were justified by conformity to syntactical rules. But the adherents of WII do not bother with any kind of justification, and thus secure for language an untrammelled freedom which it has never hitherto enjoyed. The desire to understand the world is, they think, an outdated folly. This is my most fundamental point of disagreement with them.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
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ラッセル『私の哲学の発展』第18章 「批評に対する若干の返答」n4
この学派(注:ラッセルに批判的なオックスフォード学派)の著作を読むとき、私は、もし仮にデカルトがライプニッツとロックの時代に奇蹟的に生き返ったとしたら(restored to life 蘇る)抱いたであろう(抱いた可能性のある)奇妙な感情を抱いている。1914年以来(注:第一次大戦勃発以来)、私は自分の時間と精力の大部分を哲学以外の事柄に向けてきた。その期間(注:1950年代まで)、3つの哲学が次々に(successively)英国哲学界を支配した。第一期は、ヴィットゲンシュタインの『論考(論理哲学論考)』の哲学であり、第二期は、論理実証主義者達の哲学であり、第三期はヴィットゲンシュタインの「哲学的探究』 (Philosophical Investigations) の哲学であった。これら3つのうち、第一のものは私自身の思想に非常に大きな影響を与えた。ただし。この影響が全てにおいて良いものであったとは、私は今では考えていない。 第二の学派、即ち論理実証主義に対しては、私はその最も特徴的な学説のいくつかには不賛成ではあったが、全般的に共感を抱いた。 第三の学派 -これを便宜上私はWIIで表わし、『論考』の学説を WIと呼んで区別する- は私は今でもまったく理解できないものである。この学説が肯定的に主張するところは私には些細でとるにたりないものに見え、その否定的に主張するところ(訳注:~は間違いだと主張しているもの)は根拠を欠いているように見える。 ヴィトゲンシュタインの「哲学的探究』の中に私は興味深いと思われるもの(記述)を(これまで)何も見出しておらず、どうして人の学派全体(全員)がこの本の中に重要な知恵を見出すのか理解できない。心理学的にも(Psychologically)これは驚くべきことである。 私が親しく知っていた初期のヴィトゲンシュタインは、熱情的に熱烈に(集中的に)考えることに没頭する人間であり、彼と同様に私も重要だと感じていた難問を深く意識しており、また、彼は真の哲学的天才(才能)を具えていた(あるいは少なくとも私は当時そう考えていた)。それとは反対に、後期のヴィトゲンタインは、真剣な思索に飽きてしまい、そういう活動を不必要とさせるような学説を考案(発明)したように思われる。こういった結果(怠惰)を持つような学説を真だとは、私は一瞬たりとも信じない。けれども、私は自分がそういう学説に対して圧倒的に強い先入観(訳注:bias ラッセルが言う「偏見」や「先入観」は誰でもが持たざるをえない支配的な考えのことであり、世間一般的な意味ではないので要注意)をいだく者であることを認識している。というのも、もしそういう学説が真であるなら、哲学は最善の場合でも辞典の編集者に僅かな助けとなるだけであり、最悪の場合には無益な茶のみ話(an idle tea-table amusement)になるからである(訳注:これは、オックスフォード学派が言葉の意味の分析のみをしていることに対するラッセルの批判です)。
Chapter 18: Some Replies to Criticism, n.1_2
In reading the works of this school I have a curious feeling such as Descartes might have had if he had been miraculously restored to life in the time of Leibniz and Locke. Ever since 1914 I have given a large part of my time and energy to matters other than philosophy. During the period since 1914 three philosophies have successively dominated the British philosophical world: first that of Wittgenstein’s Tractatus, second that of the Logical Positivists, and third that of Wittgenstein’s Philosophical Investigations. Of these, the first had very considerable influence upon my own thinking, though I do not now think that this influence was wholly good. The second school, that of the Logical Positivists, had my general sympathy though I disagreed with some of its most distinctive doctrines. The third school, which for convenience I shall designate as WII to distinguish it from the doctrines of the Tractatus which I shall call WI, remains to me completely unintelligible. Its positive doctrines seem to me trivial and its negative doctrines unfounded. I have not found in Wittgenstein’s Philosophical Investigations anything that seemed to me interesting and I do not understand why a whole school finds important wisdom in its pages. Psychologically this is surprising. The earlier Wittgenstein, whom I knew intimately, was a man addicted to passionately intense thinking, profoundly aware of difficult problems of which I, like him, felt the importance, and possessed (or at least so I thought) of true philosophical genius. The later Wittgenstein, on the contrary, seems to have grown tired of serious thinking and to have, invented a doctrine which would make such an activity unnecessary. I do not for one moment believe that the doctrine which has these lazy consequences is true. I realize, however, that I have an overpoweringly strong bias against it, for, if it is true, philosophy is, at best, a slight help to lexicographers, and at worst, an idle tea-table amusement.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
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ラッセル『私の哲学の発展』第18章 「批評に対する若干の返答」n3
アームソン氏の著書『哲学的分析』(Philosophical Analysis)は非常に有益な目的を果している。 それは、比較的小さな範囲内において(注:within a comparatively small compass/ “in a small compass” : 小範囲内に;簡潔に)、ウィトゲンシュタインとその弟子達が、私の哲学および論理実証主義者達の哲学をどちらもしりぞけて,代りに,先行のいかなる哲学よりも優れていると固く信ずる新しい哲学を採用するにいたった理由を述べている。 アームソン氏はその論評する古い方の見解(earlier views)がどういうものであるかを非常に公平に語っている。また、新しい見解を擁護する(支持する)ために彼が進める論拠(議論)も、それを信奉す人々によって適切に見えるであろうと思われる。 しかし、私自身はアームソン氏が提出する論拠(議論)の中に、いかなる正当性をも全く認めることができない。しかも(And)、彼自身の観点(見解)から言っても、 彼の著書の欠陥と判断されなければならないひとつの重要な点がある。彼は、彼が批評している最近20年間に出されたものに、明らかに気づいていない。(訳注:野田氏はこの一行を次のように訳しているが、どうしてこのような訳し方をするのか納得できない。即ち、「彼は、彼が批評している学派の書物でここ二十年の間に出たものは考慮に入れていないとはっきり言っている)。 論理実証主義者達と私は、我々の学説(doctrines)の欠陥と思われるものを、様々な点で修正しようと(これまで=最近20年間)試みてきたが、そういう試みはアームソン氏によって気づかれていない。 この点において、彼は自分が属する学派全体の慣行(いつものやり方)にならっているだけである。
Chapter 18: Some Replies to Criticism, n.1 S
Some Replies to Criticism n.1 : Philosophical Analysis: Its Development Between the Two World Wars. J. O. Urmson. Oxford at the Clarendon Press. 1956. Mr Urmson’s book Philosophical Analysis serves a very useful purpose. It gives within a comparatively small compass the reasons which have led Wittgenstein and his disciples to reject both my philosophy and that of the Logical Positivists and to substitute a new philosophy which they firmly believe to be better than any of its predecessors. Mr Urmson states very fairly such earlier views as he discusses, and I suppose that the arguments which he advances in favour of the newer views are such as seem cogent to their adherents. I find myself totally unable to see any cogency whatever in the arguments that Mr Urmson advances. And there is one important respect in which, from his own point of view, his book must be judged defective. He avowedly does not notice any writings of the schools which he is criticizing that have appeared during the last twenty years. The Logical Positivists and I have in various respects tried to remedy what seemed to us defects in our doctrines, but such attempts are not noticed by Mr Urmson. In this he is only following the practice of the whole school to which he belongs.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
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ラッセル『私の哲学の発展』第18章 「批評に対する若干の返答」n2
ヴィトゲンシュタインがいくらか似ている二人の偉大な人物が史上に存在する。 一人はパスカルであり、もうひとりはトルストイである(であった)。パスカルは天才的な数学者であったが、信仰心(の深さ)のために数学を捨てた。 トルストイは作家としての天才を、一種の偽りの謙遜の犠牲に供し、それは、彼を教養人よりも小作人(農民)を好ませ、「アンクルトムの小屋』を他の全ての小説よりも好ませた。ヴィトゲンシュタインは、パスカルが六角形(hexagon)を扱い(play with 戯れる、),トルストイが皇帝達を扱うことができたのと同様の巧みさで、形而上学的複雑さを扱うことができたが、彼は、その才能を捨て去り、トルストイが小作人(農民)の前に身を屈したように、彼は常識の前に卑下した。そうしたのは、どちらも(ウィトゲンシュタインもトルストイも)、自尊心の衝動からであった(自分を卑下する debase oneself)。 私はヴィトゲンシュタインの『論考』は称賛したが、その後の彼の著書は称賛しなかった。それはパスカルやトルストイの場合とよく似た、自分の最上の才能を犠牲(abnegation)にしているように私には思われた(のである)。(訳注:ウィトゲンシュタインは前期と後期にわけて論じられることが多く、日本では後期のウィトゲンシュタインを評価する人がけっこういますが、ラッセルから見れば、前期のウィトゲンシュタインは素晴らしかったが、後期のウィトゲンシュタインは常識に堕し、真剣に考えることをやめてしまったと映っていました。)
ヴィトゲンシュタインの追随者達は、(ヴィトゲンシュタインやパスカルやトルストイを,彼ら自身の偉大さへの裏切りにもかかわらず,許すべきものとしている(彼らが経験した)精神的苦悩を (私の認めうるかぎりにおいて)経験することなく、長所があると(私はそう聞かされている)多数の著書をこれまで書いてきており、彼らはそれらの著書のなかで、私の見解と方法とに反対する多くの議論を述べている。(訳注:野田氏は、「a number of」全て「いくつかの」と訳出していますが、「多くの」とか「様々な」と訳したほうがよい場合が多く、この場合も後者だと思われます。ラッセルに対する反論が多数書かれているという現実から見ても、「いくつかの」という訳し方はおかしいと気づくべきです。)私は、真剣に努力して見たが、彼らの私に対する批評の中にはいかなる正しさ(妥当性)を見出すことができなかった。 これは私が盲目であるためか、あるいは(これらの論文には書かれていないが)何かもっと正しい根拠があるのかどうか、私にはわからない。 私は読者がこの点について判断される助けになるようにと、すでに学術雑誌に4つの論争的論文を発表しているが、それらをここに再録しておく。その4つの論文とは、 (1)「哲学的分析」に関する論文、これはアームソン 氏の著書の書評 (2)「論理学と存在論」 これはウォーノック氏の書いた「論理学における形而上学」という一章についての吟味である。 (3)「外延的指示についてのストローソン氏の見解」は、私の記述理論に対する彼の批評への反駁である。 (4)「心とは何か」: これはライル教授の著書 『心の概念』の書評である。
Chapter 18: Some Replies to Criticism, n.2
There are two great men in history whom he somewhat resembles. One was Pascal, the other was Tolstoy. Pascal was a mathematician of genius, but abandoned mathematics for piety. Tolstoy sacrificed his genius as a writer to a kind of bogus humility which made him prefer peasants to educated men and Uncle Tom’s Cabin to all other works of fiction. Wittgenstein, who could play with metaphysical intricacies as cleverly as Pascal with hexagons or Tolstoy with emperors, threw away this talent and debased himself before common sense as Tolstoy debased himself before the peasants — in each case from an impulse of pride. I admired Wittgenstein’s Tractatus but not his later work, which seemed to me to involve an abnegation of his own best talent very similar to those of Pascal and Tolstoy. His followers, without (so far as I can discover) undergoing the mental torments which make him and Pascal and Tolstoy pardonable in spite of their treachery to their own greatness, have produced a number of works which, I am told, have merit, and in these works they have set forth a number of arguments against my views and methods. I have been unable, in spite of serious efforts, to see any validity in their criticisms of me. I do not know whether this is due to blindness on my part or whether it has some more justifiable grounds. I hope the reader will be helped to form a judgment on this point by four polemical articles which have already been published in learned journals but which arc here reprinted. The four articles in question are: (1) on ‘Philosophical Analysis’ which is a review of a book by Mr Urmson; (2) ‘Logic and Ontology’, which is an examination of a chapter by Mr Warnock called ‘Metaphysics in Logic’; (3) ‘Mr Strawson on Referring’, which is a rebuttal of his criticism of my theory of descriptions; and (4) ‘What is Mind?’: which is a review of Professor Ryle’s book The Concept of Mind, Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell More info.:https://russell-j.com/beginner//BR_MPD_18-020.HTM
ラッセル『私の哲学の発展』第18章 「批評に対する若干の返答」n1
自分が一時期もてはやされた後、時代後れだと気づく(発見する)のを見ることは、あまり愉快な経験ではない。この経験を上品に受けいれることはむずかしい。ライプニッツは、老年の時、G. バークリが(いろいろ)称賛されるのを聞いた時に、次のように言った、「肉体(を含めた物体)の実在性に異議を唱えている(疑っている)アイルランドのあの青年は、自分の主張を十分に説明もせず、適切な論拠も示しもしていないように思われる。彼はパラドクス(逆説)を弄して世に知られようと望んでいるのではないかと疑われる(suspect him of)」と。私はウィトゲンシュタインについてまったく同じことを言うことはできない。ウィトゲンシュタインは、多くの英国の哲学者の意見では、私に取って代った(乗り越えた)とされている。彼が世の中に知られたく思ったのは、逆説によってではなく、逆説の心地よき回避によってであった。彼は非常に風がわりな人物であり、彼の弟子(門弟)達は彼がどういう人物であったかを知っていたか、私は疑わしく思う。
Chapter 18: Some Replies to Criticism, n.1
It is not an altogether pleasant experience to find oneself regarded as antiquated after having been, for a time, in the fashion. It is difficult to accept this experience gracefully. When Leibniz, in old age, heard the praises of Berkeley, he remarked: ‘The young man in Ireland who disputes the reality of bodies seems neither to explain himself sufficiently nor to produce adequate arguments. I suspect him of wishing to be known for his paradoxes.’ I could not say quite the same of Wittgenstein, by whom I was superseded in the opinion of many British philosophers. It was not by paradoxes that he wished to be known, but by a suave evasion of paradoxes. He was a very singular man, and I doubt whether his disciples knew what manner of man he was.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
More info.: https://russell-j.com/beginner//BR_MPD_18-010.HTM
ッセル『私の哲学の発展』第17章 「ピタゴラスからの後退」n6
この気持の変化で、何かが(あるものが)失われたが、また何かが得られた。 失われ たものは、完全性(完璧性)や最終的なもの(決定的なもの)や確実性を発見しようとする希望である(であった)。得られたものは、私が嫌悪感を抱いていたいくつかの真理への新たな服従であった。けれども、私が以前抱いていた信念の放棄は決して全面的なものではなかった。いくつかのものは私のもとに残り、今でも残っている。:(即ち) 私は今でも、真理は事実との関係に依存しており(真理は事実との関係によって決まるものであり)、事実は一般的に非人間的なものである(人間の影響で事実となったり事実でなくなったりはしない)と考えている。私は今でも、人間が宇宙的に見ればは重要なものではなく(とるに足りないものであり)、ひとつの絶対的存在者 - 「今」と「ここ」(時間や空間)という先入観(偏見)なしに、宇宙を公平に見ることができる存在者- がもし存在するとしたら、恐らく、書物の終り近くにつける脚注以外では人間のことはほとんど言及しないだろう、と私は考える。しかしながら、私はもはや、人間的要素の存在する場所から それを追い払おうとは望まない。私はもはや、知性が感覚よりすぐれていて、プラトンのイデヤの世 界のみが「真実の」 世界を知らしめる、とは感じない。以前には、感覚や、感覚の上にきずかれた思想とを、牢獄の格子としてでな く、窓として考える。われわれは、いかに不完全にもせよ、ライプニッツの単子のように世界を映すことができる、と私は考える。そして物を歪めぬ鏡となることにできるかぎりつとめることが、哲学者の義務 である、と考える。しかしまた、われわれの本性そのもののゆえに避けがたい歪曲をはっきり認める こともまたかれの義務である。そういう歪曲のうち最も根本的なものは、われわれが世界をこごとい の見地から見て、有神論者が神に帰するようなひろい公平さで見るのではない、ということである。 そういう公平な見方に達することはわれわれには不可能であるが、それに向ってる距離を歩むこと はわれわれにもできる。そしてこの目標への道案内をすることこそ哲学者の最高の義務なのである。
Chapter 17: Retreat from Pythagoras ,n.6
In this change of mood, something was lost, though something also was gained. What was lost was the hope of finding perfection and finality and certainty. What was gained was a new submission to some truths which were to me repugnant. My abandonment of former beliefs was, however, never complete. Some things remained with me, and still remain: I still think that truth depends upon a relation to fact, and that facts in general are non-human; I still think that man is cosmically unimportant, and that a Being, if there were one, who could view the universe impartially, without the bias of here and now, would hardly mention man, except perhaps in a footnote near the end of the volume ; but I no longer have the wish to thrust out human elements from regions where they belong; I have no longer the feeling that intellect is superior to sense, and that only Plato’s world of ideas gives access to the ‘real’ world. I used to think of sense, and of thought which is built on sense, as a prison from which we can be freed by thought which is emancipated from sense. I now have no such feelings. I think of sense, and of thoughts built on sense, as windows, not as prison bars. I think that we can, however imperfectly, mirror the world, like Leibniz’s monads; and I think it is the duty of the philosopher to make himself as undistorting a mirror as he can. But it is also his duty to recognize such distortions as are inevitable from our very nature. Of these, the most fundamental is that we view the world from the point of view of the here and now, not with that large impartiality which theists attribute to the Deity. To achieve such impartiality is impossible for us, but we can travel a certain distance towards it. To show the road to this end is the supreme duty of the philosopher.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
More info.: https://russell-j.com/beginner//BR_MPD_17-060.HTM
ラッセル『私の哲学の発展』第17章 「ピタゴラスからの後退」n.5
あの第一次世界大戦の一つの結果は、私が抽象の世界に生き続けることを不可能にしたということであった。私は、若者達が軍用列車に乗り込むのをいつも見ており、彼らは、将軍どもが愚かであるために、ソンム(訳注:on the Somme ソンムの戦い:第一次世界大戦における最大の会戦で、フランス北部を流れるソンム河畔の戦線において展開された闘い)で虐殺されていた。私はこれらの若者達に痛切な同情心を感じ、自分が苦痛によって現実世界に結びつけられているのを発見した(訳注:長い間抽象の世界に生きてきたが戦争によって現実世界に引き下ろされたということ)。観念の抽象的な世界について私の持っていたあらゆる大げさな考えは、私をとり囲む巨大な苦悩から見れば、薄っぺらかつつまらないものに思えた。非人間的世界は折々に逃げるために避難所としては残り続けたが、永遠の(永続的な)住処を築くための国としては残らなかった(失われてしまった)。
Chapter 17: Retreat from Pythagoras ,n.5
One effect of that War was to make it impossible for me to go on living in a world of abstraction. I used to watch young men embarking in troop trains to be slaughtered on the Somme because generals were stupid. I felt an aching compassion for these young men, and found myself united to the actual world in a strange marriage of pain. All the high-flown thoughts that I had had about the abstract world of ideas seemed to me thin and rather trivial in view of the vast suffering that surrounded me. The non-human world remained as an occasional refuge, but not as a country in which to build one’s permanent habitation.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
More info.: https://russell-j.com/beginner//BR_MPD_17-050.HTM
ラッセル『私の哲学の発展』第17章 「ピタゴラスからの後退」n.4
数学的推論の優美な部分から得られる審美的な喜びは依然として残っている。しかしこの点においてもまた 幻滅があった。以前の章で述べた数学の基礎にひそむ矛盾の解決は、真であるかも知れぬが美しくは ない理論を採ることによってのみ可能であると思われた。私は矛盾について、熱心なカトリック信者 が邪悪な法王たちについて感ぜざるをえぬところとほとんど同じ感じをもつ。数学において見出そう とずっと期待しつづけて来たすばらしい確実性は、どう抜け出したものか分らぬような迷路の中に失 われた。これらすべては、もし私の禁欲的な精神状態が弱まりはじめたのでなかったなら、私を大い に悲しませたことであろう。 禁欲的気分ははじめ私をまことにつよく捕え、ダンテの『新生』は私に は心理的に全く自然と感ぜられ、その異様な象徴的表現は情緒的満足を私の心に与えたほどだった。 しかしこの気分は去りはじめ、最後に第一次世界大戦によって全く払拭された。
Chapter 17: Retreat from Pythagoras ,n.4
The aesthetic pleasure to be derived from an elegant piece of mathematical reasoning remains. But here, too, there were disappointments. The solution of the contradictions mentioned in an earlier chapter seemed to be only possible by adopting theories which might be true but were not beautiful. I felt about the contradictions much as an earnest Catholic must feel about wicked Popes. And the splendid certainty which I had always hoped to find in mathematics was lost in a bewildering maze. All this would have made me sad but for the fact that the ascetic mood had begun to fade. It had had so strong a hold upon me that Dante’s Vita Nuova appeared to me psychologically quite natural, and its strange symbolism appealed to me as emotionally satisfying. But this mood began to pass, and was finally dispelled by the First World War.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_17-040.HTM