ヘイトスピーチをヘイトスピーチだと思わない人々

 我々の時代には、我々が野蛮な過去から引継いだ非合理な要素を讃美する傾向がある。しかし、我々はこの種の要素を科学技術と結びつけることができない。本気で非合理的要素を称賛する人々は、産業主義を放棄し、国民の90%を餓死させ、弓矢の昔にもどるべきである。このような代替案に直面したくなければ、自然力の支配(面)における文明化だけでなく、自らの感情(面)においても文明化しなければならない

There is in our time a tendency to exalt the elements of unreason which we have inherited from our barbarous past; but we cannot combine these elements with scientific technique. Those who praise them should give up industrialism, let ninetenths of our population die of hunger, and revert to bows and arrows. If they will not face this alternative, they must become civilised in their passions, not only in their command over natural forces
出典:Bertrand Russell: Is progress assured?,  In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/PROGRESS.HTM

<寸言>
文化的な愛国心であれば実害はほとんどないが,政治的な愛国心は非常に危険。

文化的愛国心は,自国の文化がすぐれていて親しみやすいものであれば,若者に「吹き込む」必要はない。国家が吹き込みたいのは、文化的愛国心よりも、国家(支配層・保守層・既得権益者)のために,自らを犠牲にして尽くす人間をたくさん生み出すこと。

第二次世界大戦での日本人の死者は310万人とし、為政者は「尊い犠牲を無駄にしてはいけない」と繰り返し言うが、それでは,中国人1,000万人の犠牲者の大部分は中国国内での内戦で死んだとでも言うのであろうか? 日本人は第二次世界大戦で外国人をどれだけ殺したであろうか? 310万以上であることは疑えないであろう。もしそうでないとしたら、どこの国の人間が殺した(あるいはみんな自殺した)というのであろうか?
南京事件はなかったとか,日本軍が殺した南京市民は数万人にすぎない(あるいは南京事件そのものがでっちあげで存在していない)とか、南京事件を世界記憶遺産に承認したUNESCOには拠出金を出すのをやめるべきだとか・・・。

中国や韓国であろうと、ソ連であろうと、どこの国であろうと,UNESCOを政治的に利用すべきではない。また,UNESCOへの拠出金と結びつけるべきではないだろう。

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