強い恐怖(心)の影響下では、ほとんどの人が迷信的になる。ヨナ(注:旧約聖書なかの予言書の一つであるヨナ書の主人公/ここでは「ヨナ書」そのもの)を船外に投棄した船員達は、ヨナの存在が嵐の原因であり、自分達の船を難破させようとしていると想像した(のである)。これと同様の精神状態で、日本人は東京の震災(注:関東大震災)の時、朝鮮人と自由主義者(例:大杉栄)を虐殺をした。ローマ人がポエニ戦争(注:紀元前264年から146年の間に、三次にわたって行われた、ローマとカルタゴの戦い)で勝利した時、カルタゴ人は、自分達の不運は、モロク崇拝(注:Molochは、古代の中東地域で崇拝されたとされる神格で、主にカナン人やその周辺の民族によって崇拝され、子供の生け贄を捧げる儀式を行っていた)に忍び込んだある種のだらしなさ(laxity)によるものだ、と確信するにいたった。 モロクは子供を犠牲として捧げられることを好み、貴族の子供をより好んだ。しかし、カルタゴの貴族の家族は、自分達の子供のかわりに平民の子供を使うという慣行を採用した。これが神の不興を買った(機嫌を損ねた)と考えられたのである。そうして、最悪の瞬間においては、最も高位の貴族の子供達でさえ、火のなかで適切に(duly)焼かれてしまった。 不思議なことに、ローマ人は敵側におけるこのような民主的改革にもかかわらず勝利したのである。
Outline of Intellectual Rubbish (1943), n.57
Under the influence of great fear, almost everybody becomes superstitious. The sailors who threw Jonah overboard imagined his presence to be the cause of the storm which threatened to wreck their ship. In a similar spirit the Japanese, at the time of the Tokyo earthquake took to massacring Koreans and Liberals. When the Romans won victories in the Punic wars, the Carthaginians became persuaded that their misfortunes were due to a certain laxity which had crept into the worship of Moloch. Moloch liked having children sacrificed to him, and preferred them aristocratic; but the noble families of Carthage had adopted the practice of surreptitiously substituting plebeian children for their own offspring. This, it was thought, had displeased the god, and at the worst moments even the most aristocratic children were duly consumed in the fire. Strange to say, the Romans were victorious in spite of this democratic reform on the part of their enemies.
楽天アフィリエイトの成果(ポイント)は本ホームページのメンテナンス費用にあてさせていただきます。ご協力よろしくお願いいたします!
最も洗練された宗教は -たとえばマルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius. 121-180 後期ストア派の哲学者)やスピノザの宗教ー 依然として、恐怖心の克服に関心を持っている。 ストア派の教義は単純だった。(即ち)それは、唯一の真なる善は徳(美徳)であり、いかなる敵も私(自分)から徳を奪い取ることはできないと主張した。その結果、敵を恐れる必要はまったくない(ということになる)。困難な問題は、誰も徳(美徳)が唯一の善であるとは信じることができなかったということであり、マルクス・アウレリウスでさえもそうであり、彼は皇帝として、自分の臣下を有徳的たらしめようとしただけでなく、彼らを異邦人(barbarians)、悪疫(pestilences) 及び飢饉から保護しようと努めたのである。スピノザもいくらかこれと似た教義を教えた。 彼によれば、我々の真の善(幸福)は世俗的な運命(運不運)に対して無関心であることにある。アウレリウスもスピノザもともに、肉体的苦痛のようなものは真の悪ではないと装うことによって、恐怖心から逃れようと努めた。これは恐怖から逃れる立派な方法である。しかし、依然として誤った信念に基づいている。そうして、仮に心から(本当に)受け入れてしまえば、人は自分の苦しみだけでなく、他人の苦しみに対しても無関心にさせるという悪い結果をもたらすであろう。
あなたの自尊心に媚びへつらう(お世辞をいう)意見にはくれぐれも用心(警戒)しよう(be wary of)。 男女とも、十中八九、自分自身の性のほうが(自分と異なる性よりも)優れていると堅く信じている。両方(両性)の側に証拠は豊富にある。もし、あなたが男性であれば、大部分の詩人や科学者は男性であると指摘することができる。もし、あなたが女性であれば大部分の犯罪者は男性であるとやり返すことができる。 これは本質的に解決不能な問題である。自尊心が(は)このこと(事実)を大部分の人々に気づかせない(conceal 隠す)。私達は皆、世界のどの部分(地域)からやってきたにせよ、自国民が他の全ての国民よりも優れていると信じている。各々の国民がそれぞれ特有の長所と短所( its characteristic merits and demerits)を持つことから(seeing that)、私達は、自分達の価値基準を調整し、自国民が持つ長所は真に重要なものであり、一方、その短所は比較的とるにたらないものであるとする(make out みせかける、ふりをする)。ここで再び理性的な人間は(なら)これは明白な正解のない問題だということを認めるであろう。人間が人間としての自尊心(self esteem)を扱うことはなおいっそう困難である。 なぜなら我々は何らかの人間でない精神(例:地球外の高等生命の精神/知性)でこの問題を徹底的に論じることができないからである。この一般的な人間のうぬぼれを扱う方法で私の知っている唯一のものは、人間(に関すること)は、宇宙の片隅の小さな惑星の生命における一つの短いエピソードにすぎないこと、そうして、詳しいことはわからないが(for aught we know)、宇宙の他の部分には、私達がクラゲよりもすぐれているのと同様に、私達よりも優れた存在(注:彼らからみれば人類はクラゲ程度)を含んでいるかもしれない(可能性がある)ということを自分に言い聞かせる(remind ourselves)ことである。
心理的想像力が十分ある人にとっては、自分と異なるバイアス(偏見/先入見)を持つ人との議論を想像することは良い案(plan)である。これは、論敵と実際に会話することと比較して、一つの、また、唯一の利点がある。(つまり)この一つの利点というのは、この方法は相手と時と場所とを同一にしなければならないという制限に服しなくてもよいということである。 マハトマ・ガンジーは鉄道や蒸気船や機械を嘆いている。(即ち)彼は(可能であれば)産業革命全体を御破算にしたい(なかったことにしたい/産業革命以前にもどりたい)のである。あなたはこのような意見を抱く人間にはまったく実際に会う機会を決してないかも知れない。なぜなら、西欧の国々ではたいていの人々は 近代技術を当たり前のここととして活用しているからからである。しかし、もしあなたがこの支配的な意見に同意するのが正しいかどうか確かめたいのであれば、あなたの心にうかんでくる論拠(arguments)を、ガンジーがそれらの論拠に反発していったかもしれない(可能性のある)ことを考慮してみることによって、テストするのが一つの良案であると気づくであろう。私はこの種の想像上の対話の結果として、実際に、自分の考えを変えさせられたことが時々あった。そして、そうでなくとも(short of this)、私は仮想の論敵が持っている可能性がある道理(reasonableness 合理性)を理解することによって、しだいにより独断的でなくなり、また過度な確信を持つことがより少なくなっていく自分を発見した(自分に気づいた)ことがしばしばあった(のである)。