「国家」のために命を捧げる ー ◯◯ファーストの浅はかさ

Japan’s Prime Minister Shinzo Abe, center, and his cabinet ministers, escorted by a Shinto priest, arrive at the Grand Shrine of Ise, central Japan, for offering a new year’s prayer Monday, Jan. 5, 2015. Japanese Prime Minister Abe said Monday that his government would express remorse for World War II on the 70th anniversary of its end in August. (AP Photo/Kyodo News) JAPAN OUT, MANDATORY CREDIT

が有用なのは穀物を生み出すからであり,穀物が有用なのはパンを作り出すからであり,パンが有用なのは生命を維持するからである。しかし,生命は,何らかの本質的な価値を持ちうるものでなければならないもしも,生命がほかの生命のための手段としてのみ有用だとすれば,生命はまったく有用ではなくなるだろう(例:黒人は白人のため,一般人民は一部のエリートのため,ユダヤ人はドイツ人のため,特攻隊員は天皇のため・・・,アメリカ人の生命と自由を守るため他国民が犠牲になっても・・・)。

This (seed) is useful because it produces grain, which is useful because it produces bread, which is useful because it preserves life. But life must be capable of some intrinsic value: if life were merely useful as a means to other life, it would not be useful at all.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1: Postulates of Modern Educational Theory
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE01-030.HTM

<寸言>
 国家主義者は,個々の国民の命よりも国家(や国体)をより重視する。しかし,自分が危険にさらされると,自分個人の命を惜しんだりする。(優れた)自分=国家(の一部or国家そのもの)だと考えたりする。国家=天皇(天皇制)と考える者もいる。そういった人間は,国民の命よりも国としてのメンツ(実際は自分の気持ち)をより重視し,小競り合いくらいの戦争も辞さない。戦争はそういった小規模なものからいつの間にか拡大していってしまう。

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