私(注:ボーション氏。小説「郊外の悪魔」の登場人物で,聖書の普及に関係した団体の事務長)は言った。「しかし,こういった書物を熟読することは,若い男,それから若い女もですが,彼らを恐ろしい罪に導くかもしれない,容易ならぬ危険があるのではないでしょうか? 仲間に合っているまさにその時に,自分が金銭的利益を得た行為(注:猥褻本の販売)の結果として,おそらく,どこかで結婚をしていない男女が,いかがわしい喜びを与えるものを楽しんでいると考えると,彼ら(仲間)の顔をまともに見ることができるでしょうか?」
マラコ博士は応えた。「ああ,残念ながら,恐らく,我々の神聖なる宗教(キリスト教)には,あなたが十分に理解していないことが,たくさんあります。何ひとつ懺悔をする必要のない九十九人の正しい人間が,神のふところに帰った一人の罪人よりも,天国では喜びを得ることが少ないという寓話を,よくよく考えたことがおありでしょうか? パリサイ人(注:古代ユダヤで立法の形式を重んじた保守派の人々。転じて偽善者)や貢取り(注:古代ローマの収税官吏:みつぎとり)に関する原典を研究されたことはまったくなかったのでしょうか? 悔い改めた盗人(の話)から教訓を得ませんでしたか? 主がパリサイ人の昼食を食べながらとがめた罪が何であったか自問したことはまったくありませんか? 打ちひしがれ罪を悔む心を讃美することを不思議に思ったことはまったくありませんか? モリヌー夫人(注:モリヌー大佐の未亡人)と会う前に,あなたの心が打ちひしがれていた,あるいは罪を悔んでいたと,いずれか正直に言うことができますか? まず罪を犯さなくては罪を悔むことはできないということを,今まで思い浮かんだことはありませんか? さらに,これは福音書ではっきり教えているところです。神を喜ばす心構えに人を導きたいと望むなら,人間はまず罪を犯さなければなりません。疑いもなく,例の出版業者が頒布している本を買った人たちの多くは,あとで罪を悔いるでしょう。そうして,我々の神聖なる宗教の教えを信ずるなら,彼らの方が非の打ちどころのないまっすぐな人間よりも,造物主がお気に召す者になるのです。あなたは,これまでは,まっすぐな人間の立派な模範でしたけれども。」
この論理は私を混乱させ,すっかり困惑してしまった。
But is there not; I said, ‘a grave danger that the perusal of such literature may lead young men, ay, and young women too, into deadly sin? Can I look my fellow men in the face when I reflect that perhaps at this very moment some unwedded couple is enjoying unholy bliss as a result of acts from which I derive a pecuniary profit?’
‘Alas,’ Dr. Mal1ako replied, ‘there is, I fear, much in our holy religion that you have failed adequately to understand. Have you reflected upon the parable of the ninety-nine just men who needed no repentance, and caused less joy in Heaven than the one sinner who returned to the fold? Have you never studied the text about the Pharisee and the Publican? Have you not allowed yourself to extract the moral from the penitent thief? Have you never asked yourself what it was that was blameworthy in the Pharisees whom our Lord denounced while eating their lunch? Have you never wondered at the praise of a broken and contrite heart? Can you say honestly that your heart, before you met Mrs. Molyneux, was either broken or contrite? Has it ever occurred to you that one cannot be contrite without first sinning? Yet this is the plain teaching of the Gospels. And if you wish to lead men into the frame of mind which is pleasing to God they must first sin. Doubtless many of those who buy the literature that my friend’s publisher distributes will afterwards repent, and if we are to believe the teachings of our holy religion, they will then be more pleasing to their Maker than the impeccably righteous, among whom hitherto you have been a notable example.’
This logic confounded me, and I became perplexed in the extreme.
出典: Satan in the Suburbs, and Other Stories, 1953.
詳細情報: https://russell-j.com/cool/45T-0101.HTM
[寸言]
時々街頭で,キリスト教普及団体(「ものみの塔」など)が「信じる者は救われる」とかなんとか言っているのが耳に入ります。これはラッセルが1953年に発表した小説「郊外の悪魔」(Satan in the Suburbs)に出てくる言葉「何ひとつ懺悔をする必要のない九十九人の正しい人間が,神のふところに帰った一人の罪人よりも,天国では喜びを得ることが少ないという寓話を,よくよく考えたことがおありでしょうか?」と同じ趣旨のことを言っています。
つまり,どんなに品行方正な生活をしていてもキリスト教(神)を信じていないとあの世で救われないけれども,罪人でも死ぬ間際に「回心」してキリスト教に帰依すれば天国に行けると言っています。
馬鹿馬鹿しいですが、キリスト教徒だけでなく、多くの宗教が同じような馬鹿げたことを言っています。