みな虚栄心の塊(歴史に名を残したい!)-トランプ、プーチン,安倍総理

mad-magazine_world-leaders 虚栄心は非常に大きな力を有している動機(原動力)である。子供と多くの関わりを持っている人であれば,彼らは常に何かふざけたことをやっては,「ほら,見て!」と言うのを見知っている。「ほら,見て!」(見て欲しい)というのは人間の心の最も基本的な欲求の一つである。それは,ふざけた行為から死後の名声の追求まで,数限りない形態をとりうる。ルネサンス期イタリアに一人の小公子(小君子)がいて,死の床で聖職者から何か懺悔しなければならないことはないか(あるか)と尋ねられた。彼は,次のように応えた。「はい,一つあります。私は,ある折に,皇帝と教皇との訪問を同時に受けました。私の邸宅内の塔のてっぺんからの眺めを見せるためにお二人を塔のてっぺんに案内しましたが,二人とも同時に投げ落として不滅の名声を自分に与える(不滅の名声を得る)機会を見逃して(怠って)しまいました。」 歴史(書)は,その聖職者がその小公子に赦免を与えたかどうかは物語っていない。虚栄心の厄介なことの一つは,虚栄心がエサとするもの(を食べる)とともに虚栄心も成長して大きくなるということである。

Vanity is a motive of immense potency. Anyone who has much to do with children knows how they are constantly performing some antic, and saying “Look at me”. “Look at me” is one of the most fundamental desires of the human heart. It can take innumerable forms, from buffoonery to the pursuit of posthumous fame. There was a Renaissance Italian princeling who was asked by the priest on his deathbed if he had anything to repent of. “Yes”, he said, “there is one thing. On one occasion I had a visit from the Emperor and the Pope simultaneously. I took them to the top of my tower to see the view, and I neglected the opportunity to throw them both down, which would have given me immortal fame”. History does not relate whether the priest gave him absolution. One of the troubles about vanity is that it grows with what it feeds on.
From: Human Society in Ethics and Politics, 1954,pt.2,chap.2: Politically Important Desires (Nobel Prize Acceptance Speech)
https://russell-j.com/cool/47T-020201.HTM

<寸言>
kesho-gijyutu-daisinka_world-leaders 4K液晶ディスプレイの精細技術はすさまじく(いずれ8K),大分部の美人女優を駆逐するのではないかと恐れられていましたが、ITの進歩とともに、化粧技術も大進歩しました。富士フィルムまでが化粧品を出す時代です。
「◯◯さんは年のわりに綺麗で若くみえますね」とよく耳にしますが,化粧を落として素顔を見るまでは信用できません。ほんの少しで万単位もする化粧品がいろいろあります。
abe-poster_atugesho 政治家もまけていません。世界の要人(プーチン、トランプ、安倍総理、その他おおぜい)も皆、化粧で誤魔化しています。時々安倍総理の写真で、あまりにも違うものを見受けますが、ひどく写っているのが真の姿だと思ってまず間違いないでしょう。化粧をやりなおしている時間がなくて、化粧が落ちたりした時に撮影されるとこのようなことになってしまいます。
素肌が綺麗で化粧をしなくてもよい人はうらやましいですね。