「自白」の強要,「証拠」固め ,冤罪の発生 - 警察権力暴走の歯止め

against-death-penalty カトリックの異端審問(注:正統信仰に反する教え(異端)を信じているとの容疑をかけられた者に対するカトリック教会による宗教裁判)における拷問の根底にあったものは,自白させたいという欲求であった古代中国では,容疑者を拷問にかけるのは,習慣的なものになっていたが,それは人間性豊かなある皇帝が,いかなる者も,自白したのでなければ,有罪の判決を受けることはないと布告したからであった。(しかし)警察の権力を飼いならす(おさえておだやかなものにさせる)ために必須のことは,いかなる状況においても,決して自白を証拠として採用してはならないということである。

The desire to obtain a confession was the basis of the tortures of the Inquisition. In Old China, torture of suspected persons was habitual, because a humanitarian Emperor had decreed that no man should be condemned except on his own confession. For the taming of the power of the police, one essential is that a confession shall never, in any circumstances, be accepted as evidence.
* inquisition (名):審理;(大文字 The Inquisiiton)で(異端審理の)宗教裁判(所) / decree (動):(法律として)布告する;定める
出典: Power, a new social analysis, 1938, chap. 18: The Taming Power

[寸言]
現代の日本では、具体的な証拠がなければ,「自白」だけでは起訴できなくなっている。しかし、そうなったのはそんなに昔のことではない。戦後もかなりの期間,(取調官に脅かされて)「自白」させられたこと(調書)が証拠として採用され,有罪となってしまった者も少なくない。

現在でも,「自白」をもとに、その「自白」を信用してもよさそうに思われる「証拠」だけを収集したり採用したりする(その「自白」に反する「証拠」は無視される)ことがかなり行われており、そのことが後から判明して「死刑囚」が「冤罪(えんざい)」だとして釈放されることも時々起こっている。

death-penalty_opposition 「死刑制度反対」を唱える者の「死刑制度反対」の主張の根拠の一つが,「冤罪による死刑執行」(の可能性)である。遺族の気持ちとして、家族を殺害した者に極刑を望むのは自然なことである。しかし,そういった遺族の問題を離れて,冷静に原則論として考えた場合,「死刑制度賛成」(ただし遺族は除く)の人々のなかで,たとえ例外的に「冤罪」で死刑が執行されたことがあったとしても,数はわずかだから仕方がないと考えている人がどれくらいいるだろうか? 現在の日本の刑法では,「無期懲役刑」はあっても「終身刑」は設けられていない。「死刑」ではなく、「終身刑」にしておけば「冤罪」によって死刑が執行されるようなことがなくてよいと思うが,どうであろうか?

現政権の関係者には,「終身刑」の人間が多くなると「コスト」がかかるので、早く死刑を執行してしまったほうがよいと考える人が多いであろうが・・・。

(生活のためのの手段である)仕事が目的化することによる不幸をなくす

ichioku-sokatuyaku_abe 私と同じ世代の人々と同様,私も「何もしないで怠けている者のところには,悪魔がやってきて,何か不幸の種を見つけ出す」(宗教詩人 Issac Watts, 1674-1748 の句。Moral songs for children にある。)という格言に則って,(いつも何かしているように)育てられた。私は非常に善良な子供だったので,言われたことは何でも信じ,良心の持ち主になり,私はその良心によって現在まで一生けんめい働き続けてきた。しかし,私の良心は,私の「行為」を支配してきたけれども,私の「考え]はすっかり変ってしまっている。私は次のように考えている。即ち,これまで,世界中で,あまりにも多くの仕事(労働)がなされており,仕事は善いものだという信念が,恐ろしく多くの害をひきおこしており,(それゆえ)現代の産業国家で教えさとす必要のあることは,今までいつも説教されてきたこととはまるきり違うものである,と。
日なたぼっこをしている12人の乞食を見つけ(ムッソリーニの時代以前のことであった。),その中で最もなまけものに1リラをやろうと申し出た,あのナポリの旅行者の話を知らない人はいないだろう。。11人の乞食がそれをもらおうと飛び上がったので,その旅行者は,じっとしている12人目のものにお金を与えた。この旅行者のやったことは,正しい。しかし地中海の陽光のめぐみを享受できない寒い国々においては,何もせずに怠惰でいることははるかに難しいので,怠惰を始めるには,大規模な公的宣伝が必要となるだろう。キリスト教青年会の指導者諸君は,以下のページを読まれた後は,善良な青年たちを,何もしないように導く運動を始めてくださることを希望する。もしそうなれば,私としては生き甲斐があったことになろう。

Like most of my generation, I was brought up on the saying: ‘Satan finds some mischief still for idle hands to do.’ Being a highly virtuous child, I believed all that I was told, and acquired a conscience which has kept me working hard down to the present moment. But although my conscience has controlled my actions, my opinions have undergone a revolution. I think that there is far too much work done in the world, that immense harm is caused by the belief that work is virtuous, and that what needs to be preached in modern industrial countries is quite different from what always has been preached. Everyone knows the story of the traveller in Naples who saw twelve beggars lying in the sun (it was before the days of Mussolini), and offered a lira to the laziest of them. Eleven of them jumped up to claim it, so he gave it to the twelfth. This traveller was on the right lines. But in countries which do not enjoy Mediterranean sunshine idleness is more difficult, and a great public propaganda will be required to inaugurate it. I hope that, after reading the following pages, the leaders of the Y.M.C.A. will start a campaign to induce good young men to do nothing. If so, I shall not have lived in vain.
出典: In Praise of Idleness, 1935, chap.1.
詳細情報:http://russell-j.com/cool/32T-0101.HTM

[寸言]
組織(私的、公的を問わず)の命令や指示によって過重労働を強いられる,あるいは「自主的に」過重労働をするように誘導され,ひどい場合には「過労死」にいたるなんてことは、先進国の日本において,あってはならない。

takahasi-maturi_karousi_dentsu 「過労死」であることが明らかになり,本人の体調管理のまずさのせいにできないことがわかると,経営者や執行役員連中は,「上からは指示していない」、「超勤については現場に判断をまかせている」とか弁解し,自分たちの責任を回避するのが普通となっている。しかし、過重労働をさせないような組織体制にしておくのは彼らの重要な仕事の一つであり,過重労働を発生させないように現場の管理職を指導するのも彼らの仕事だということをあまり自覚していないようである。

(過労死で亡くなった)電通の高橋まつりさんは、東大文学部を卒業した新入社員であり,能力がなくて仕事がたまったために「過重労働」になったわけでなく、あくまでも業務量が何倍にもなっているのに、会社が担当者を増やすことなく、実態をよくみずに「電通鬼十則」をたてに、過重労働を強いた結果であった。「電通鬼十則」とは、

1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

しかし,「」があれば必ず「」がある。「裏」バージョンもよいものとは言えないが,表の規則が厳しすぎると,裏の規則も必要以上に後ろ向きのものになってしまう。

★「電通裏十則」★
1)仕事は自ら創るな。みんなでつぶされる。
2)仕事は先手先手と働きかけていくな。疲れるだけだ。
3)大きな仕事に取り組むな。大きな仕事は己に責任ばかりふりかかる。
4)難しい仕事を狙うな。これを成し遂げようとしても誰も助けてくれない。
5)取り組んだらすぐ放せ。馬鹿にされても放せ、火傷をする前に…。
6)周囲を引きずり回すな。引きずっている間に、いつの間にか皆の鼻つまみ者になる。
7)計画を持つな。長期の計画を持つと、怒りと苛立ちと、そして空しい失望と倦怠が生まれる。
8)自信を持つな。自信を持つから君の仕事は煙たがられ嫌がられ、そしてついには誰からも相手にされなくなる。
9)頭は常に全回転。八方に気を配って、一分の真実も語ってはならぬ。ゴマスリとはそのようなものだ。
10)摩擦を恐れよ。摩擦はトラブルの母、減点の肥料だ。でないと君は築地のドンキホーテになる。

「慈善行為」の必要のない社会

shogaisha_gizenbangumi-kirfai 今から100年前の,現在では消滅した社会における(人々の)自立よりも(貧しい人々への)慈善を優先する考え方は,今日の我々にはグロテスクに映る。しかしそれは 新しい形態では依然として現在でも残っており,いまだ政治的に有力である。失業者たち公的権威による支援を求める法的権利を持つよりも,私的慈善によって生存を保たれた方がより良い,と多数の人たちに考えさせるのは,まさにこの種の物の見方である。(正義が行き渡った)正しい世界では,「慈善」の可能性はなくなるだろう。

A hundred years ago, in a society now extinct, the point of view which puts charity above independence now seems to us grotesque. But in newer forms it still survives and is still politically powerful. It is this very same outlook which makes large numbers of people think it better  that the unemployed should be kept alive by private benevolence than that they should have the legal right to support by the public authorities. In a just world, there would be no possibility of ‘charity’.
出典:Bertrand Russell: On charity,Nov. 2, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/CHARITY.HTM

[寸言]
untitled - 31735066248802 「慈善」よりも「自立及び自律を」とラッセルが言っているのは、恵まれない人をラッセルが突き放しているのではない。社会をそういった人間を生み出さないようなものに創り変えるべきであり、そういう努力をしてもそういった人々が出現する場合は「公的」な救済措置をするべきであり、苦しんでいる人のほんの一部を「おなさけ」で救って、自分は良い行為をしているのだと「自画自賛」あるいは(日頃そういった人を無視していることに対する)「罪滅ぼし」をすることは,根本的な解決にならない、とのラッセルの主張。

永遠を追求する努力はたとえ虚しいとしても・・・

andromed 時の急速な経過,森羅万象のはかなさ,死の世界は,悲劇的感情のもとである。人類人生について深い考察をめぐらし始めて以後,人類は様々な逃避方法を探してきた。宗教,哲学,詩,歴史において,これら全てにおいて,移りゆく物事(事象)に’永遠の価値’を与えようと試みている。個人の記憶が存続する間は,幾分か時の(流れ)勝利を遅らせ,時々刻々の出来事も少なくとも’思い出の中で’持続させる。同様の衝動がいっそう強くなると,諸国の王は戦勝記念の石碑を彫らせ,詩人たちは自分の名を不朽にするような美しい言葉で昔の悲話を物語り,哲学者は時(間)は単なる幻影(仮象)にすぎないと立証する哲学体系を発明する。むなしい努力よ! 石碑は崩れ,詩人の言葉は読解不能となり,哲学者の体系は忘れられる。にもかかわらず,永遠(なるもの)を追求する努力は,移りゆく瞬間を価値あるものとしている。
DOKUSH28

The flight of time, the transitoriness of all things, the empire of death, are the foundations of tragic feeling. Ever since men began to reflect deeply upon human life, they have sought various ways of escape: in religion, in philosophy, in poetry, in history – all of which attempt to give eternal value to what is transient. While personal memory persists, in some degree, it postpones the victory of time and gives persistence, at least in recollection, to the momentary event. The same impulse carried further causes kings to engrave their victories on monuments of stone, poets to relate old sorrows in words whose beauty (they hope) will make them immortal, and philosophers to invent systems providing that time is no more than illusion. Vain effort! The stone crumbles, the poet’s words become unintelligible, and the philosopher’s system are forgotten. Nonetheless, striving after eternity has ennobled the passing moment.
出典: On old friends (written in Jan. 4, 1933 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/O-FRIEND.HTM

[寸言]
「人間は神が創造したもの」対「人間は宇宙のゴミ」。
どちらも間違っているか、どちらも正しいか?
永遠にわからないかも知れないが,「永遠を求めて努力することは価値がある」と思いたい。

消費者(や国民)の販売抵抗(や警戒心)を乗り越える(除去する)テクニック

carrot-and-stick 近年,販売抵抗(sales resistance)を乗り越えるために,即ち,控えめな人たちに働きかけ,彼(彼女)等の財布のひもをゆるませ,自ら欲しいと全然思わない物品を購入させようと,厖大なお金と時間と頭脳が費やされてきた。そしてこういった事柄(たくさん物を売って営業成績をあげること)が立派なことであるかのように考えられるのが,我々の時代(現代)の1つの特徴である。

Throughout recent years, a vast amount of money and time and brains has been employed in overcoming sales resistance, i.e. in inducing unoffending persons to waste their money in purchasing objects which they had no desire to possess. It is characteristic of our age that this sort of thing is considered meritorious.
出典: On sales resistance (written in June 22, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/SALES-R.HTM

[寸言]
このエッセイ(「販売抵抗について」)は,80年前に書かれたものですが,現代でもほぼそのままあてはまります。
abe_japan's-media_quailing 来年の流行の色,流行の服,流行の○○は,これにしようと考える企業戦士が現在多数いますが,その術中にはまる(あるいは違和感なく素直に受け入れる)人が少なくありません。多くの人々が本当に望むものであるならば,それも悪いことではありませんが,いつのまにか感覚が麻痺して,与えられることばかり望む(自主性の欠如する)ようになっているとしたら,不幸な事態といわなければなりません
その戦略を,報道をコントロールして,政府が使うようなことがあれば大変です。しかし,その「大変なこと」が起こっていても気づかずに、従順な人が多いようであり・・・

専門家(いわゆる有識者)の活用あるいは悪用

tanaka-izumida 現代社会においては,専門家の重要性がしだいに増してきているが,その予期しない,また意図しない結果の1つは,かつては自分の力を発揮しえた人間生活のほとんどの分野で,’平均的な普通の人間’は皆「受身」になっているということである。

One of the unforeseen and unintended results of the increasing importance of experts in the modern world is that, in a great many departments of life, the ordinary man has become passive where he used to be active.
出典: Are we too passive? (written in Feb. 3, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/PASSIVE.HTM

[寸言]
全て、それぞれの分野の専門家(いわゆる「有識者」)におまかせ

特に、国家的な問題は、時の政権が選んだ「公平な立場に立つ(と権力者が勝手に言う)」有識者におまかせするが,その有識者会議・委員会の半分のメンバー及び議長・委員長は,時の政権の考え方に近い人間が意図的に選ばれている。
一般国民は意見を言う権利はあるが,公聴会なども「儀式」にすぎす、聞き流されるだけ
goyogakusha_umami

権力への追従者になるか,反抗者になるか・・・

nandmoari-no-sekai_furinrengo 現代の若者のほとんどは,巨大な組織の末端の地位から人生のスタートを切らざるをえない。彼の上司が経験豊かな学校の先生が持っている寛容の精神の持主であるのは稀であり,組織の中の「良い」子に昇進の道を与えがちである。・・・。人に従うことを覚えた人間は,自分の個人的創意を全部失うか,権力に対する怒りを燃すに至り,破壊的で残忍な志向を身につけるに至る。

But nowadays almost every young man has to begin with a very subordinate post in some vast organisation. His superiors seldom have the tolerance of the experienced schoolmaster and are likely to give promotion to the ‘good’ boy. … The man who has learnt to obey will either have lost all personal initiative or will have become so filled with rage against the authorities that his initiative will have become destructive and cruel.
出典: On being good (written in Nov. 18, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/BEING-G.HTM

[寸言]
あなたが若者なら,どちらのタイプ?

abe-muto_homojanai 安倍チルドレンなんてのは,後者のタイプの典型であり,「人に従うことを覚えた人間は,自分の個人的創意を全部失うか,権力に対する怒りを燃すに至り,破壊的で残忍な志向を身につけるに至る。」ということで,権力に服従している反動で,自分より権力のない者に対しては必要以上に権力を振るうことになります。

「一億総活躍」を連呼する為政者とアベノミクスの一兵卒とされる民衆

ichioku-sozange 我々は今まで余りにも仕事に支配され続けており,肉体労働や頭脳労働のとりこになっている状態からの解放手段として機械を十分に活用してこなかった。我々はその気になれば,もっと余暇が持てる。我々は皆,その気になれば子供軍隊組織の便利な構成単位(歯車)にしてしまわないで,彼らの衝動に芸術的表現を与えることができる(?)。そうしないのは,我々は美よりも力(権力)を愛するからである。

aikoku-yochienWe have allowed ourselves to be too much dominated by work and have not sufficiently used machines as a means of liberation from the thraldom of manual and mental labour. We could, if we chose, all have more leisure. We give artistic expression to their impulses, rather than so as to be convenient units in a regiment. We do not do this because we love power more than we love beauty.
出典: In praise of artificiality (written in Nov. 9, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/ARTIFICI.HTM

[寸言]
興奮を好み、他者・他社・他国に勝ることを好む人間の性(さが)
(オリンピック,巨大な建築物、軍事力・・・その他いろいろ)
従って、そういうこと(他者に勝ること)が可能となる「力」(権力)を好む
もちろん,他者・他国の権力は否定する。
 しかし、自分たちの力(権力の増大となるもの)は肯定する

 「臨機応変の才(気転を働かせること)」について

winston-churchill-quote-on-tact 「臨機応変の才(tact 気転を働かせること)」が一つの美徳であることは,否定できない。まったく思いがけず,場所にそぐわない発言を次々とする人間は,仲間たち全員から嫌われるだろう。しかし臨機応変の才(気転を働かせること)」は美徳であるが,ある種の悪徳ときわめて密接に繋がっている。即ち,臨機応変の才(気転を働かせること)と偽善の境界(線)はきわめて狭い。両者の違いはその動機にある,と思われる。即ち,(相手を)喜ばせようとする「親切心」からくるものである場合は,「臨機応変の才(気転を働かせること)」は正しいものであるが,それが相手の感情を損なう不安,あるいはおべっか(お世辞)により何らかの利益を得ようとする気持ちにもとづくものであれば,「臨機応変の才(気転を働かせること)」は,あまり好感がもてないものになりやすい。他人との困難な交渉に慣れている人間は,相手の虚栄心に対する,いやむしろ各種の偏見に対する思いやりを体得するが,誠実さを第一と考える者にはそれは非常に不愉快なものである。

nightingale_hosinIt cannot be denied that tact is a virtue. The sort of person who always manages to blurt out the tactless thing, apparently by accident, is a person full of dislike of his or her fellow creatures. But although tact is a virtue, it is very closely allied to certain vices; the line between tact and hypocrisy is a very narrow one. I think the distinction comes in the motive: when it is kindliness that makes us wish to please, our tact is the right sort; when it is fear of offending, or desire to obtain some advantage by flattery, our tact is apt to be of a less amiable kind. Men accustomed to difficult negotiations learn a kind of tenderness towards the vanity of others and indeed towards all their prejudices, which is infinitely shocking to those who make a cult of sincerity.
出典: On tact (written in Feb. 1, 1933 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/TACT.HTM

[寸言]
ishihara-shintaro_gekido 自分が行った悪事も長い年月がたつと,そういった悪事を行ったことさせも忘れてしまう。しかし,ふとした偶然のきっかけから(あるいは第三者にあばかれて),辻褄のあわないことを指摘され,「記憶にありません」とか言って逃げていても,しだいにいろいろ証拠をつきつけられ,マスコミにとりあげられるようになり,弁解がきかなくなり,ついには逃げられなくなり,最悪の場合は自己崩壊してしまう。

政治家が一番よく使う手が「記憶にありません」という逃げ口上。それは国民によく知られていて,政治家ブラック企業の経営者悪徳官僚だけでなく,権力のない一般国民も,自分の立場があぶなくなると,彼らのマネをして「記憶にありません」を多用するこのごろ。

人々に「偏見」や「先入観」を醸成する大量の「客観的」知識や情報

latvia たとえば,ほとんどのアメリカ人,ラトヴィア好悪の感情なく見る。その結果,アメリカ人はラトヴィアについては何一つ知らないということになる。もしもアメリカ人がある国を好きになったり,嫌いになったりすれば,自国アメリカの新聞は,事情しだいで(場合に応じて),その国に関する好意的なあるいは悪意のある情報を国民に提供するので,アメリカ人のその国に対する偏見は,大量の知識らしいものによって,しだいに強められるようになるだろう。
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「他者の視点で見ること」
詳細情報:http://russell-j.com/AS-O-SEE.HTM

I imagine that most Americans view Latvia, for example, without either love or hate, and the consequence is that they know nothing about Latvia. If they love or hate a country their newspapers will supply them with favourable or unfavourable information, as the case may be, and their prejudices will gradually come to be confirmed by a mass of what appears to be knowledge.

[寸言]
従って,マスコミと賢くつきあうためには,メディアリテラシー教育が非常に重要です。

tpp-hantai_jiminto 「時の」政権を批判することになる題材は,公教育では無理でしょうから,「過去の」政権(いかなる政党であっても)が政権発足当初に言っていたことと実際にやったことを比較する教育を行えば,自ずといろいろな教訓が得られるのではないかと思われます。
ですが、自民党は,野党の時,「TPP絶対反対」をとなえていましたので,そんな題材を教科書あるいは副読本にとりいれたら「検定」はパスしないでしょう。

しかし,自国のことは嫌がっても、外国のことであればどの国も平気で非難できます。それなら、トランプ氏が選挙戦で公約で言っていたことと、大統領になった後、発言がどのように変わっていくか、実際に何をやるか、正確な記録をとって、メディア・リテラシー教育に活用すると賢い選挙民づくりに役立つのではないでしょうか?