若者の精神を形成する影響力のある大部分のもの(人やメディア)によって,金銭面での成功の理想像が若者の前に示される。映画では,若者たちは贅沢を表現したものを見る。金持ちは大理石の大広間を持っており,大広間には華麗な衣装をまとった美女が集まっている。映画の主人公は,たいてい,最後には成功した階級の仲間入りを成就する。芸術家でさえ,稼いだ金額で判断されるようになる。金銭で計れない価値は,見下されるようになる。あらゆる感受性は,競争におけるハンディキャップであるため,失敗の烙印(焼印)と見なされる。
The ideal of financial success is set before the young by most of the influences that form their minds. In the cinema they see representations of luxury, where plutocrats own marble halls and beautiful ladies in splendid dresses. The hero generally succeeds, in the end, in belonging to this successful class. Even artists come to be judged by the amount of money they make. Merit not measured in money comes to be despised. Every kind of sensitiveness, being a handicap in the struggle, is regarded as a stigma of failure.
出典: Hope and Fear, Oct. 7,1932. In Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:https://russell-j.com/HOPEFEAR.HTM
<寸言>
知性や感性よりも「意志の力」が重視され,あらゆるものが,「金銭の尺度」ではかられる現代世界・・・。
「一億総活躍」の名のもとに,また「何度でも活躍できる」(真意=努力すれば,一定の割合だけ助けてあげるよ)との誤魔化しのもとに,競争にあけくれる現代人。競争に敗けた者(負け組)に対しては、「お情けで」ほんの少し税金を使って助ける振りをするが,全員に大してではなく,ここでもその「お情け」を手に入れるための競争をさせる。その際の弁解は「国民の血税だからばらまくことはできない」といったものだが,為政者がやりたいことには血税をヘリコプターマネーのように世界中にばらまく。大企業に対してもいろいろな優遇措置を与えるが,大企業が富めばそのおこぼれが全国民にいく(いわゆるトリクル・ダウン・セオリー)とでもいった説明をする。トリクル・ダウン・セオリーの観点に立ってはいないと最近では言っているが,これまでその考え方を吹聴してきたことについてはなんの責任も感じておらず、そんなことは言ったことはないと開き直る。