バートランド・ラッセル「黙想の衰退」(1931年11月7日) (松下彰良 訳)* 原著:The decay of meditation, by Bertrand Russell* Source: Mortals and Others, v.1, 1975 |
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* 一部未訳の部分がありましたので,全訳化しました。(2010.12.25) 現代人は,科学技術や産業の急速な発達のおかげで,過去の人間には不可能であった非常に多くのことを経験できるようになりました。しかしそれらのおかげで生活が豊かになった反面,逆説的に人間の(精神)生活を貧しくしたという面も少なくないようです。 個々人に与えられた時間は決して長くはありませんので,できるだけくだらないことに時間を費やしたくないものです。(松下) 100年前の,150年前はなおさらそうであるが,裕福な人々は -現在に比べてその数は少なかったが- (現在の裕福な人々よりも)確実によりすぐれた教養を持っていた。当時の金持ちは,ラテン語の詩を引用し,イタリア・ルネッサンスの絵画を見る目があり,クラシック音楽を鑑賞する耳を持っていることを期待されていた。また彼らは,自国の文学と(その人がフランス人でなくとも)フランス文学に関するかなりの知識を身に着けていた。 今日では,このような博識は,大学教授にしか,さらに言えば,大学の各学科(の専門)の教授にしか期待できない。ある教授はラテン語を知っており,別の教授は昔の絵画の巨匠について知っており,またある教授は音楽に詳しく,また別の教授は現代文学に関するほとんど価値のないことを何でも知っている(といった具合である)。今日の金持ちは,そういった種類の知識を持つことは(逆に)自分の体面にかかわると思うだろう。無知は社会的地位の高さの'品質証明マーク'となっている。 多分,この種のことは全て,それほど深刻なことではないだろう。私は生まれてからこれまで,ギリシヤ神話の学芸の女神の名前や黄道十二宮(Zodiac)を知る必要にせまられたことはないが,このような知識を私の祖母は子供の頃に教わり,80歳になっても覚えていた。 今の世の中には,時間のゆとりがほとんどないが,それは,昔よりも人々が忙しく働いているからではなく,楽しみを持つことが仕事同様に努力を要する事柄になったためである。その結果,人間は小利口にはなったが,知恵が少しずつ蒸留されるゆったりと考える時間(余裕)を持てないために,知恵は減少してしまった。戦争防止のような問題は,その緊急性は誰にも明らかであるが,くよくよ考えなくても状況の変化で何とかなるだろうと思い,肩をすくめてやり過ごす。だが,成り行きにまかせているだけで事態が好転するほど,状況は甘くない。 大変逆説的ではあるが,時間を節約する発明・工夫がこのような結果(現代人の多忙さ)を生みだしている。たとえば,'交通機関'について考えてみよう。より速く旅行ができるようになればなるほど,人間はそれだけ多くの時間を旅行に費やす。今では,人間は電車を利用して自宅から会社まで行くのに1時間も要している。同様のことが,人の家を訪問する場合にも言える。昔は自分の馬が過度に疲労しないでいくことができる隣人だけを訪問したが,今では100マイル以内であれば,どこにでも人を訪ねて行くことができる。 あるいはさらに電話を例にしてみよう。私はかつて'耳の遠い'老紳士と長距離電話で会話したことがある。私は電話に出て,「バートランド・ラッセルです」と言うと,彼は「なんですって」と言った。より大きな声で繰り返し名乗ったが,彼は再び「なんですって?」と言った。そこでついに,自分の肺が破裂するほど大きな声を出し,それによって,彼は私が言っていることを聞き取ることができた。「いや,あなたがラッセルさんだということは分かってますよ」という言葉が返ってきた。それ以上,通話する時間は残されていなかった。電話とは実に有益なものである。 このような無益でつまらないことが積もって,毎日を多忙とし,仕事をしたことについてのまったく偽りの印象を与える。クエーカー教徒が大部分の現代人よりも知恵を持っているのは,彼らの'沈思黙考'によるところが大である,と私は思う。もし毎日30分間黙想し,じっとしていれば,我々は,個人的,国家的,国際的なもろもろのものごとを現在よりももっと正常に取り扱っていけるだろう,と私は確信している。 第一次世界大戦の休戦記念日に,毎年2分間の黙祷が捧げられるだけで,1年の残りの時間のほとんどは空騒ぎに費やされる。この時間配分は間違いである。もしも静かにしている時間がもっと長ければ,そういった騒ぎも無益さがより減少するだろう。 |
Nowadays, such erudition is only expected of professors; and then only in departments - one professor knows Latin, another knows the old masters, another knows music, and yet another knows whatever is least worth knowing in modern literature. The rich would think it beneath their dignity to have such knowledge, and ignorance has become the hallmark of social eminence. All this is perhaps not very serious. I have found few occasions in life when it was necessary to know the names of the Muses or the signs of the Zodiac, both of which were taught to my grandmothers in childhood and still remembered at the age of eighty. In the modern world there is hardly any leisure, not because men work harder than they did, but because their pleasures have become as strenuous as their work. The result is that, while cleverness has increased, wisdom has decreased because no one has time for the slow thoughts out of which wisdom, drop by drop, is distilled. A problem such as the prevention of war, the urgency of which is obvious to every one, is dismissed with a shrug of the shoulders in the hope that circumstances will solve it without the aid of human thought. But circumstances, unaided, are not likely to be so kind.
Or again, take the telephone. I once had a long-distance conversation with a deaf old gentleman who had rung me up. I said, 'It's Bertrand Russell speaking.' He said, 'What?' I repeated my statement more loudly, but he again said, 'What?' At last, by nearly bursting my lungs, I made him hear, and he replied, 'Why, I knew that.' There was no time for further conversation. A useful invention, the telephone. The accumulation of such futilities fills busy days and gives a wholly fictitious impression of work done. Quakers, who retain more wisdom than most moderns, owe it, I believe, largely to their practice of silent meditation. If we spent half an hour every day in silent immobility, I am convinced that we should conduct all our affairs, personal, national, and international, far more sanely than we do at present. Two minutes a year, on Armistice Day, are given to silence, and all the other minutes of the year to largely futile bustle. The proportion is wrong; if the silence were longer, the bustle would be less futile. |
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