しかしながら,(一時的な)流行追求や趣味は,多くの場合-多分大部分-、根本的な幸福の源泉ではなく,現実からの逃避のための手段になっている。即ち,直視するには大きすぎる苦痛を当面の間忘れるための手段になっている。根本的な幸福は,ほかの何にもまして,人(間)や事物に対する友好的な関心とも言うべきものに依存しているのである。
出典:ラッセル『幸福論』第10章「今でも幸福は可能か?」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA21-060.HTM
Fads and hobbies, however, are in many cases, perhaps most, not a source of fundamental happiness, but a means of escape from reality, of forgetting for the moment some pain too difficult to be faced. Fundamental happiness depends more than anything else upon what may be called a friendly interest in persons and things.
[寸言]
他者(マスコミ,親,組織,その他)から与えられる(既成のもの)もので満足できるのなら,それはそれでよいだろう。しかし,通常は,作られる流行にのってばかりいる自分がいやになったり,人からみればどんなに小さなものでも,自分で創作したり,他者からのすすめを無視して自分で探し選びとりたくなるものであろう。
世の中には,スポーツ,グルメ,ファッション,その他,商業主義にもと,作られた流行が横行している。それらを追いかけていれば,気はまぐれ,そこそこの満足が得られるだろう。しかし,年をとってそういったものに興味を持てなくなれば悲劇である。それに対し,たいしたものでなくても,長い間につちかった,つみあげた喜びは,そう簡単に消え去るものではない。
所有衝動よりも創造衝動を! 所有物は消えてなくなりやすいが,他人と共有できる創造物は末永い喜びの源泉となるだろう。