隣人恐怖症(注:隣人や親しい人の視線を恐れること)は、われわれの心の最も根深い感情の一つであり、これは居間の家具調度の飾りつけのような比較的簡単なことにおいてさえ、われわれが何事かを成し遂げようとする場合に障害となる。われわれは、意地悪い批評を通じてこの恐怖をお互いに隣人に押しつけ合い、その結果、お互いを面白味のない人間にし、自由な自己表現をする活力のある個性の目をみはるような光景から得られる喜びをお互いに奪い合う。そういうわけで、見苦しい家具が存在する原因(根源)は、戦争や宗教上の迫害や人間生活における主要な害悪が発生する原因と同じである。
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「家具とエゴ」
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Fear of our neighbours is one of our most deep-seated emotions and is the enemy of all achievement, even in so comparatively simple a matter as furnishing a sitting room. We force this upon each other by our unfriendly censoriousness, by means of which we make each other dull and deprive ourselves of the pleasures to be derived from the spectacle of vigorous individuality expressing itself freely. Thus the source of ugly furniture is the same as the source of war and religious persecution, and of all the major evils of human life.
[寸言]
画一化にひそむ危険を指摘する。
「個性尊重」は民主主義・自由主義尊重につながる。自分より秀でた人間の足をひっぱり、自分と同じレベルにひきおとすことによって「平等」を実現しようとするのは、民主主義の精神ではないということ。個性を尊重しない精神は、「他者を迫害する心」を生み出し、戦争の原因にもなったりする。