子どもが嘘をつくのは大人のまね -この親(政治家)にしてこの子(国民)あり

恐怖(心)なしに育てられた子供は,正直であるはずであるが,それは,道徳的に努力しているからではなく,誠実(正直)である以外の考えが頭に浮かんでこないだけのことであろう。賢明に,かつ親切に取り扱われてきた子供は,卒直なまなざしをしており,知らない人に対しても,ものおじしない態度をとる。
Orwell_Speak-Truth 一方,うるさく小言を言われたり,厳格な扱いをされたりしてきた子供,しかられはせぬかと絶えず恐れており,自然にふるまったときには,いつも,何かルールに違反したのではないかとおびえている。嘘をついてもよいという考えは、幼い子供には,最初は浮かんでこない嘘をつくことができるというのは,一つの発見であり,それは,恐怖にかられておとなの顔色を窺うことから生じるものである。子供は,おとなが彼に嘘をつくことや,おとなに本当のことを言うのは危険だということ,を発見する。このような事情のもとに,子供は嘘をつくようになる。こうした誘因をなくしてやれば,子供は嘘をつこうとは思わないだろう。

The child brought up without fear will be truthful, not in virtue of a moral effort, but because it will never occur to him to be otherwise. The child who has been treated wisely and kindly has a frank look in the eyes, and a fearless demeanour even with strangers; whereas the child that has been subject to nagging or severity is in perpetual terror of incurring reproof, and terrified of having transgressed some rule whenever he has behaved in a natural manner. It does not at first occur to a young child that it is possible to lie. The possibility of lying is a discovery, due to observation of grown-ups quickened by terror. The child discovers that grown-ups lie to him, and that it is dangerous to tell them the truth ; under these circumstances he takes to lying. Avoid these incentives, and he will not think of lying.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 8: Truthfulness
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE08-020.HTM

[寸言]
良きにつけ悪きにつけ、子どもは親に似てしまう。良い点が似るのはよいが、往々にして、悪いことでも、親がやっているのだからと、「免罪符」を得たかのように思ってやってしまう。
子どもが嘘をよくつくのも、やはり親が何らかの形で嘘をつくのを子どもが目撃した結果であることが多いであろう。

sidehara_shougen-kaizan 二世や三世の政治家であれば、親や祖父が(嘘も方便ということで)何度も国民に対し嘘をつくのを目撃すると、「不必要に事を荒立たせないほうがよい」ということで、自分もよく嘘をつくようになってしまう。本当のことを言えば落選してしまうと思っている者も少なくない。どこの国でも「嘘は政治家の始まり」というのが諺になっているようであるが、政治家がよく嘘をつくのは、国民も「心地良い嘘」に騙されたいと、無意識的に思っているのかも知れない。嘘はいやだと真剣に思うようになるのは、戦争中か、世界大恐慌が起こった後とか、原発事故のような大惨事が起こった時であろう。
幸か不幸か、再度の原発事故、大地震、アベノミクス崩壊、年金資金の株運用による蒸発、海外での紛争(小規模な戦争)、その他、政治家や支配層の嘘に気づく機会が、今後けっこうありそうである。(安倍首相が嘘をついた事例は、道徳の副読本の材料に大量採用できそう。)