高学年の教育においては,社会的な建設性が刺激されなければならない。つまり,十分な知能を持っている者(生徒)は,想像力を駆使して,既存の社会的な力を活用したり,新しい社会的な力を創り出したりするための,よりいっそう生産的な方法を考え出すように,奨励されなければならない。
プラトンの『国家篇(Republic)』を読む人はいるが,彼らは,それをどこかで現在の政治に結びつけようとはしない(注: Republic はここでは「共和国」ではなく、「国家」)。1920年のロシアは(プラトンの)『国家篇』の理想とほぼ同じような理想を抱いていたと,私が述べたとき,より大きなショックを受けたのはプラトン主義者であったか,それとも,ボルシェビ-キ(注:ロシア共産主義者)であったかは,言い難いものであった。
人びとは,文学の古典を読むとき,それがブラウン,ジョーンズ,ロビンソンといった一般庶民の生活から見て,どういう意味あいを持つかは,考えてみようとはしない。これは,ユートピア文学を読むとき特によく起こる。なぜなら,現在の社会制度からユートピアヘ至る道(道程)については何も語られていないからである。
こういう事柄において価値ある能力は,次にどんな手を打つべきかについて正しく判断する能力である。
In the later years of education, there should be a stimulation of social constructiveness. I mean, that those whose intelligence is adequate should be encouraged in using their imaginations to think out more productive ways of utilizing existing social forces or creating new ones. Men read Plato’s Republic, but they do not attach it to current politics at any point. When I stated that the Russian State in 1920 had ideals which were almost exactly those of the Republic, it was hard to say whether the Platonists or the Bolsheviks were the more shocked. People read a literary classic without any attempt to see what it means in terms of the lives of Brown, Jones, and Robinson. This is particularly easy with a Utopia, because we are not told of any road which leads to it from our present social system. The valuable faculty, in these matters, is that of judging rightly as to the next step.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 6: Constructiveness.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE06-070.HTM
[寸言]
理想社会を夢見ることやイメージを述べることはそれほど難しいことではない。しかし、そういった理想社会をつくるために、現代社会に対してどのような手をうっていくべきか、その具体的な道筋を示すことは難しい。
即ち、それを可能にするためには、1)適格な現状認識(もちろんそのためには非常に幅広い分野に対する理解力)が必要であり、2)理想社会を思い浮かべる想像力、3)理想社会を実現するための具体的なステップを提案するための論理的推論能力、の3つの能力が必要である。
ラッセルにはこの3つの能力が備わっていたが、残念ながら、現代の日本の政治家や学者や知識人は、それぞれにおいて不十分であるだけでなく、3つの能力が備わっている者はほとんどいない。