ものを考えること(思考)においても誠実(正直)であることは重要

ohkawa-getemno 誠実(正直)であるという習慣を身につけることは,道徳教育(倫理教育)の主な目的の一つでなければならない。私が言っているのは,発言(in speech)の上で誠実(正直)であることだけではなく,ものを考えること(思考)においても誠実(正直)であることも含んでいる。事実,両者のうち,後者のほうが私には一段と重要であるように思われる。私は,最初無意識的に自分をあざむいているうちに,やがて自分は道徳的であり誠実(正直)であると思いこむような人よりも,自分が何をしているかを十分意識しながら嘘をつく人のほうを,むしろ好む。

【訳注:岩波文庫版の安藤訳では,「真実を語る習慣を養うことは,道徳教育の主な目的の一つでなければならない。私が言っているのは、言葉の上で真実を語ることだけではなく,思考の中でも真実を語るこでとある。」となっている。ラッセルは「思考や思想においても」と言っているのであるから,ここは「真実を語る習慣」ではなく,「誠実(正直)であるという習慣」と考えたほうがよいと思われる。また,安藤氏は「ことばの上で真実を語ること」と訳しているが,in speech (発言の上で)と書かれており,文章(としての言葉)は含まれていないことにも注意を払うべきであろう。】

To produce the habit of truthfulness should be one of the major aims of moral education. I do not mean truthfulness in speech only, but also in thought; indeed, of the two, the latter seems to me the more important. I prefer a person who lies with full consciousness of what he is doing to a person who first sub-consciously deceives himself and then imagines that he is being virtuous and truthful.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 8: Truthfulness
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE08-010.HTM

[寸言]
nipponkaigi_abenaikaku-members 安部政権の関係者のなかには、「無意識的に自分をあざむいているうちに,やがて自分は道徳的であり誠実(正直)であると思いこむような人たち」が、掃いて捨てるほどいます。そういった人たちを支持する人たちは、騙されやすい人か、あるいは安部政権関係者同様に「ものを考えること(思考)において誠実(正直)でない知性を軽視する」人たちが多いように思われます。

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