1920年にロシア共産主義を批判する本を出版

TPJ-PTB 私たち(ラッセルと翌年正式に結婚するドーラ)は,ポルト(Portos)という名前のフランス汽船に乗って,マルセイユから中国まで船旅をした。(しかし)ロンドンを離れる直前になって,同船で伝染病(ペスト)が発生したために,出航が3週間延期されるということがわかった。だが私たちは,お別れの言葉を二度言うようなことはしたくなかったのでパリに行き,そこで3週間を過ごした。このパリ滞在中に私は,ロシアに関する著書(The Practice and Theory of Bolshevism)を書き終えた。そうして,大変躊躇した後,その本の出版を決意した。ボルシェヴィズム(ロシア共産主義)への反対意見を述べることは,当然のことながら,ロシア革命に反対する者(反動側)を利することであり,私の友人たちの大部分は,ロシアについてはロシア(革命)に好意的なものでない限り自分の考えを言ってはならない,という見方をしていた。けれども私は,第一次世界大戦期間中,愛国者たちからの同様の議論(注:自国がたとえ間違っていても,自国の誤りを指摘することは敵国を利することになる。大英帝国万歳!)に耐えた(という経験がある)し,長い目で見ると,沈黙を守ることによってはいかなる良い目的も達成されないだろうと,私には思われた。私とドーラとの個人的関係の問題は,当然のことながら,事態をいっそう複雑にしていた。ある暑い夏の夜,彼女が寝てしまってから私は起き上がり,ホテルの部屋のバルコニーに坐り,夜空の星を凝視した。私は,熱した党派的感情から離れて,冷静に問題を理解しようと努めた。そして,カシオペア座と語りあっている自分を想像した。私には,ボルシェヴィズム(ロシア共産主義)について私が考えていることを発表しないよりは発表する方がずっと星との調和を保てるだろうと思われた。そこで私は,執筆を続け,私たちがマルセイユに向かって出発する前夜にその本を書き終えた。

We travelled to China from Marseilles in a French boat called Portos. Just before we left London, we learned that, owing to a case of plague on board, the sailing would be delayed for three weeks. We did not feel, however, that we could go through all the business of saying goodbye a second time, so we went to Paris and spent the three weeks there. During this time I finished my book on Russia, and decided, after much hesitation, that I would publish it. To say anything against Bolshevism was, of course, to play into the hands of reaction, and most of my friends took the view that one ought not to say what one thought about Russia unless what one thought was favourable. I had, however, been impervious to similar arguments from patriots during the War, and it seemed to me that in the long run no good purpose would be served by holding one’s tongue. The matter was, of course, much complicated for me by the question of my personal relations with Dora. One hot summer night, after she had gone to sleep, I got up and sat on the balcony of our room and contemplated the stars. I tried to see the question without the heat of party passion and imagined myself holding a conversation with Cassiopeia. It seemed to me that I should be more in harmony with the stars if I published what I thought about Bolshevism than if I did not. So I went on with the work and finished the book on the night before we started for Marseilles.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 3: China, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB23-010.HTM

[寸言]
民主主義国であれ、社会主義国(あるいは共産主義国)であれ、理念がどんなに素晴らしくても、権力を握った集団は、必ず、その理念に反する強権政治や情報統制を行うようになる。
ラッセルには有名な権力に関する本(Power, 1938)があるが、ラッセルは早くから権力の問題の重要性を指摘(権力は常に監視しなければならない、権力はできるだけ分散させなければならない、権力には必ずチェック機構が必要だとの主張)をしてきた。

共産主義国であろうが、民主主義国であろうが、「民主主義の手続き」(麻生元副総理が推奨した「ナチスの手口」)によって、しだいに独裁へと進んでしまう。特定秘密保護法、教育基本法、憲法の解釈変更に続いて、テロ対策のための非常事態措置法、憲法への非常事態対処のための国民の権利の制限へと進んでいく危険性があるが、気がついた時にはもう遅いということにならないか!?

新しい政治哲学の提唱-「所有衝動」よりも「創造衝動」を基本とすべし

CAXTON-H 1915年(注:ラッセル43歳)の夏,私は『社会再建の原理』という書名の本を,--アメリカでは,私の同意なく 「人はなぜ戦うのか」(Why Men Fight)というタイトルに変えられた本- を執筆した。私には『社会再建の原理』のような本を書くつもりはなかった。そして,その本は,私が以前書いたいかなる本とも,まったく趣きを異にしており,自然な(自発的かつ無意識的な)やり方で生み出されたものであった。事実,書き終えてしまうまで,それがどのようなものになるか,自分にも全くわからなかった。その本には,1つの骨組みと(一定形式に表現された)信条(松下注:この後に書いてあるように,「人間生活の形成において,意識的な目的よりも衝動の方がより影響力をもつという信条」)があったが,最初と最後の言葉を除いて,全部を書き終えてから,ようやく両者(骨組みと信条)に気がついたしだいである。その本の中に,私は,人間生活の形成において,意識的な目的よりも衝動の方がより影響力をもつという信条に基づいた’政治哲学’を提示した。私は,衝動を,所有的衝動と創造的衝動の,2つのグループに分け,’最善の生活’は大部分創造的衝動の上に築かれると考えた。私は,所有的衝動が具現化された実例として,国家,戦争,貧困をあげ,創造的衝動の実例として,教育,結婚,宗教をあげた。創造性の解放(発揮)’が’,改革の原理’であるべきであると,私は確信していた。私は,当初,この本を(数回の)講演用として献じたが,後になって出版した。驚いたことに,たちどころに成功をおさめた。私は,読まれるだろうという期待はまったくなしで,ただ信条の告白として,本書を執筆した。しかし,この本は,私に大金をもたらし,その後の私の所得の基礎をおいた。
(写真は、ラッセルが「社会再建の原理」について連続講演を行ったロンドンの Caxton Hall

During the summer of 1915 I wrote Principles of Social Reconstruction, or Why Men Fight as it was called in America without my consent. I had had no intention of writing such a book, and it was totally unlike anything I had previously written, but it came out in a spontaneous manner. In fact I did not discover what it was all about until I had finished it. It has a framework and a formula, but I only discovered both when I had written all except the first and last words. In it I suggested a philosophy of politics based upon the belief that impulse has more effect than conscious purpose in moulding men’s lives. I divided impulses into two groups, the possessive and the creative, considering the best life that which is most built on creative impulses. I took, as examples of embodiments of the possessive impulses, the State, war and poverty; and of the creative impulses, education, marriage and religion. Liberation of creativeness, I was convinced, should be the principle of reform. I first gave the book as lectures, and then published it. To my surprise, it had an immediate success. I had written it with no expectation of its being read, merely as a profession of faith, but it brought me in a great deal of money, and laid the foundation for all my future earnings.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 1:The First War, 1968]
詳細情報http://russell-j.com/beginner/AB21-090.HTM

[寸言]
本書(Principles of Social Construction の邦訳は、大正時代の多くの日本の知識人に影響を与えました。与謝野晶子・鉄幹夫妻、もその中の一人。R落穂拾いでかつてご紹介したものを、以下転載してご紹介します。

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『与謝野寛+与謝野晶子『鉄幹晶子全集・第19巻』(勉誠出版,2005年8月刊)
* 与謝野晶子(よさの・あきこ,1878-1942):明治を代表する歌人で,女性解放運動家。日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』は有名。

* 与謝野晶子は,ラッセルが Principles of Social Reconstruction, 1916 で述べた(所有衝動をできるだけ少なくしていき)「創造衝動をできるだけ増やす努力をする生活」の重要性について言及しています。(同書まえがきより:「最良の生活とは,その大部分がさまざまな創造衝動に基づいて築かれた生活であり,最悪の生活とは,その大部分が所有欲に発しているような生活である,と私は考えます。」) 。

[pp.113-117:与謝野晶子「欲望の調節」(1918年9月)]
(p.114)・・・。欲望に単一なものがあり,複合的なものがあり,それが無限に新しく起伏するのですから,厳密に分類することは不可能ですが,学問上の便宜から之に対し学者に由っていろいろの分類があります。
独逸のシユモラア(Gustav von Schmoller, 1838-1917:ドイツの経済学者)は(一)自存衝動,(二)性的衝動,(三)行動衝動,(四)認識衝動,(五)競争衝動,(六)営利衝動の六種に分け,露西亜のツウガン・バラノヴスキイ(Mikhail Ivanovich Tugan-Baranovsky,1865-1919:ロシアの経済学者)は(一)自己保存並に感覚的快楽を求むる生理的欲望,(二)性欲,(三)同情的衝動,(四)利己・利他的衝動,(五)無関心的衝動の五種に分けました。また英国のバアトランド・ラッセルは(一)創造衝動,(二)所有衝動の二種に大別して,最も多く創造衝動が働き,最も少く所有衝動が働いておる処に最も好い生活が開展して行くと,云って居ります。バラノヴスキイの謂ゆる五種の分類の第一である生理的欲望の実現を直接の目的として,物質の生産及び分配を条件とする経済行為が社会生活の死命を制するまでに法外に優勢を加へつつある現代は,欲望造化の過程に於てまだ非常に低い生活時代にあると,云わねばなりません。現代の生活は,ラッセルに従へば,所有衝動が最も多く働いて居る生活です。シユモラアに従へば自存衝動と営利衝動との上に築かれた生活です。バラノヴスキイの謂ゆる無関心的衝動が抑圧され,シユモラアの謂ゆる行動衝動と認識衝動とが沈滞してゐる生活です。
無関心的衝動とは経済に対して無関心である欲望と云ふ意味です。夫婦の愛も其れ,親子の愛も其れ,学問,芸術,宗教等も其れ。すべて精神的であって,他の欲望の手段とならず,欲望其れ自身を目的として其れの満足を以て終結するものを云ふのです。ラッセルの創造衝動と云ひ,シユモラアの行動衝動とは之を云ふのです。・・・。
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婦人参政権の主張の急速かつ完璧な勝利以上に驚くべきものは他にほとんど見あたらない

Women'sSufflage この問題(注:婦人参政権)に関するジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806-1873/ミルはラッセルの名付け親)の著作を思春期に読んで以来,私は,男女同権の熱烈な擁護者であった。それは,私の母が1860年代に婦人参政権(女性参政権)のための運動をずっと行っていたという事実を知るようになる数年前のことであった。文明世界全体を通して,この大義(婦人参政権の主張)の急速かつ完璧な勝利以上に驚くべきものは,他にほとんど見あたらない。それほど成功した事柄に,私も一定の役割を果たしたということは,嬉しいことである。

I had been a passionate advocate of equality for women ever since in adolescence I read Mill on the subject. This was some years before I became aware of the fact that my mother used to campaign in favour of women’s suffrage in the ‘sixties. Few things are more surprising than the rapid and complete victory of this cause throughout the civilised world. I am glad to have had a part in anything so successful.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB16-180.HTM

[寸言]
(以下長目の引用ですが、凝縮した文章であり、熟読すべき文章だと思われます。「知的忘恩」や「先人の努力に対する忘恩」は世界中によくみられる現象です。)

市井三郎氏曰く
「わが国で、「近代的」な考え方だとされていることどもは、数多くある。たとえば男女は法的に平等に扱われるべきであり、人間性を抑圧することなく素朴に幸福と感じられることを相互に増進するのがよきことであり、宗教その他の禁忌によって性(セックス)をタブー化すべきではなく結婚制度を神聖化して離婚や再婚それ自体を非難するのはマチガイであり、そのような神聖化をたてまえとしながら、裏ではたてまえの禁ずる欲望にひそかにふける、といった慣行はいっさい排除すべきであり、その種の慣行が教育の実際に、権威主義的にはびこることが、人間の内奥に歴史的に形成された悪しき情熱を永続させることになり、ひいては侵略戦争とか植民地化といった国際的な抑圧形態までを生じさせる要因となる。だから「たてまえ・ほんねの二重分裂」や「偽善」、またいっさいの「権威主義」を排除しなければならない
逆にいえば、外部の権威にたよってではなく、「自分の内面の確信」によって行為を決めねばならないといった考え方ほ、西欧にあっても近代というよりは、二十世紀に入ってようやく社会的に流通するようになった考え方である。
さらに西欧ではとっくの昔に社会慣行になっていたはずだ、とわが国で信じられがちな★民主主義なるもの★も、国内の政治制度としては(たとえば英国でも)ようやく前世紀終りころに労働者階層にまで選挙権がひろげられた。だがそれも男性に対してだけで、イギリス成人女性がすべて参政権を得たのは、よりおくれて1928年(フランス女性の場合は1945年)である。さらに★国際的な民主主義★となると、ずっとおくれる。西欧諸国の政府が「権力政治的な外交政策」を強固にとりつづけたのは周知のとおりであり、一般人民のものの見方も、「自国内の民主主義的慣行」を国外にまでひろげて考える、といった姿勢からは長く縁遠かったのである。
その一般人民の考え方に変化が起り始めたのは、きんきん過去半世紀あまりのことにすぎない。まさに★バートランド・ラッセルは、今世紀のその数十年のあいだに、英国の一般の人々の考え方や慣行に以上のような変化を起させるために、最大の闘いをたたかった思想家・実践者だったといえるだろう。」
【『人類の知的遺産:ラッセル』(講談社,1980年2月)pp.2-3)】

婦人参政権実現のために戦ったラッセルとそれに対する大衆の反応

Rat2 この後,私は,自由貿易連合のために‘自由貿易’擁護の演説を始めた。私は以前一度も公開演説を試みたことがなく,最初の時は,自分を全く無能者にしてしまうほど,’内気’で’神経質’であった。けれども,しだいに私は,神経質でなくなっていった。1906年の選挙が終わり,保護貿易’の問題が一時下火になると,私は婦人参政権のための活動に着手した。平和主義者としての立場から,私は主戦論者(好戦的な人間)を嫌い,いつも立憲主義的政党とともに活動した1907年に私は,国会議員補欠選挙の時,女性の選挙権を擁護して,立候補さえもした。(ロンドン郊外の)ウィンブルドン地区における選挙戦は,(選挙戦)期間が短く,また困難なものであった。Rat2のちに,私は第一次世界大戦反対の運動をおこなったが,その時の一般大衆の抵抗は,1907年に婦人参政権論者が受けた一般大衆の抵抗の激しさに比べれば,比較にならないほど,より穏やかなものであった。婦人参政権に関する全ての問題は,大多数の民衆からは,単なる’お祭り騒ぎ’のための話題として扱われていた。群衆は,婦人(大人の女性)に向かっては,「家ヘ帰って赤ん坊の世話をしなさい!」と,また,男性に向かっては,その年齢に関係なく,「君がこうして外に出ていることを,お母さんは知っているかい?」というように,嘲笑的な言葉を大声で叫んだものである。腐った卵が私をねらって投げつけられ,それが妻に命中した。私が参加した最初の集会の時,女性たちを驚かせるため鼠が放たれ,そうしてその謀略に加わっていた女性たちは,自分たちの’性’を辱めるために,故意に恐怖をよそおって叫び声をあげた。Rat2

[寸言]
After this I took to speaking in defence of Free Trade on behalf of the Free Trade Union. I had never before attempted public speaking, and was shy and nervous to such a degree as to make me at first wholly ineffective. Gradually, however, my nervousness got less. After the Election of 1906, when Protection ceased for the moment to be a burning question, I took to working for women’s suffrage. On pacifist grounds I disliked the Militants, and worked always with the Constitutional party. In 1907 I even stood for Parliament at a by-election, on behalf of votes for women. The Wimbledon Campaign was short and arduous. It must be quite impossible for younger people to imagine the bitterness of the opposition to women’s equality. When, in later years, I campaigned against the first world war, the popular opposition that I encountered was not comparable to that which the suffragists met in 1907. The whole subject was treated, by a great majority of the population, as one for mere hilarity. The crowd would shout derisive remarks: to women, ‘Go home and mind the baby’; to men, ‘Does your mother know you’re out?’ no matter what the man’s age. Rotten eggs were aimed at me and hit my wife. At my first meeting rats were let loose to frighten the ladies, and ladies who were in the plot screamed in pretended terror with a view to disgracing their sex.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB16-160.HTM

[寸言]
(注:ラッセルは,1907年に,Wimbledon 選挙区より,婦人参政権,自由貿易論を主張し,全国婦人参政権協会連合会の推薦を受け,下院議員補欠選挙に自由党から立候補したが落選した。対立候補は保守党の大物 H. Chaplinであった。

一億人が一億人を監視する社会になる前に・・・

DOKUSH47 隣り近所を恐れることは、疑いもなく、以前よりは少なくなっているが、新しい形の’恐れ’が現在存在している。すなわち、新聞(松下注:現在で言えば、週刊誌やテレビなどのマスコミ)が何か書くかも知れないという恐れである。これは、’中世の魔女狩り‘に結びついているものに劣らず大変恐ろしいものである。新聞(注:「マスコミ」と読み替え)が、まったく無害かも知れない人間をスケープゴート(生け贄)にしようとしたら、その結果はまことに恐ろしいものになる可能性がある。幸いなことに、現在のところ、★大部分の人たちは無名であるために、こうした運命からは、免れているが、しかし、’宣伝’がしだいにそのやり方を完壁なものにするにつれ、この新手の社会的迫害の危険は増大していくだろう。★

Fear of immediate neighbours is no doubt less than it was, but there is a new kind of fear, namely the fear of what newspapers may say. This is quite as terrifying as anything connected with mediaeval witch-hunts. When the newspaper chooses to make a scapegoat of some perhaps quite harmless person, the results may be very terrible. Fortunately, as yet this is a fate which most people escape through their obscurity, but as publicity gets more and more perfect in its methods, there will be an increasing danger in this novel form of social persecution.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chapt. 9: Fear of Public Opinion
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA19-070.HTM

[寸言]
お互いがお互いを監視する社会。(福祉担当の某地方公務員が,介護対象の人のためだったか,勤務時間中にスーパでその人のために代わりに買い物をしたところ,その姿を見た一市民が,市の職員が勤務中に「さぼって」買い物をしていたとの「告発」の投書をしたというのがありました。)
オーム事件の時にマスコミによって犯人扱いされた河野さん・・・週刊誌の記事は,読者が求めるので,針小棒大な記事が多いが・・・。
複数の人間が協力すれば、無実の人を、たとえば「痴漢」にしたてあげることは簡単にできそう。

自国優先主義の民主主義の限界ーメディア・リテラシーに欠けている人々

tv-watching 我々は学校を卒業すると,我々の外国に関する知識は,お寒いことであるが,新聞(注:現代においては「マスコミ」)を通じてであり,新聞(注:TVなどのマスコミ)が我々の外国に関する偏見を満足させない限り(偏見に迎合しない限り),我々はその新聞を買おう(注:TVを見よう)としない。その結果,我々の外国についての知識は,我々の偏見と感情を強めるようなものに限定される。(例:イスラムに対する偏見)
これは,国際問題を正常に扱っていく上での最大の困難の一つである。自国優先主義の民主主義の制限内において,国際問題をどのように処理していったらよいか,私にはわからない。(注:つまり,もっと国際主義的な観点が必要だということ)。

After people leave school their knowledge of foreign countries, such as it is, is derived from the newspapers, and they will not buy a newspaper unless it flatters their prejudices. Consequently, the only knowledge they obtain is such as to confirm their pre-conceptions and passions.
This is one of the great difficulties in the way of a sane conduct of international affairs, and I do not see how it is to be dealt with within the limits of nationalist democracy.
出典:As others see us, Mar. 23, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/AS-O-SEE.HTM

[寸言]
マスコミは貴重な情報源ですので,大いに活用した方がよいと思います。しかし,,そのためには,できるだけ多くの人がメディアリテラシーを身につけなければなりません。そう考えている人も少なくないと思われます。
しかし、それならどうして,日本では,カナダなどでさかんに行われている,具体例にもとづいたメディアリテラシー教育がほとんどなされていないのでしょうか?(カナダでは、過去にマスコミや時の政権によって悪い方向に国民が誘導させられた事例を義務教育の「教材」として活用しています。日本では「偏向教育」として排除されてしまうでしょうが・・・。)

 「由らしむべし知らしむべからず」が基本姿勢の為政者や文教関係者が,公教育で自分たちの不利になるような教育を行うとは期待できません。そういった人たちが政府を形成し,マスコミがそれに迎合したら,たとえば,(国営放送ではない)公共放送のNHKまでもが政府その他の権力者のことを気にしだして,自己規制しだしたら,大変です。すでに、それは始まっていますが・・・。

‘ねたみ’は最悪の結果をもたらしやすい

SITTO ’ねたみ‘が、異なる階級、異なる国家、また異なる性の間に、公正・公平をもたらす主な動因になっていることは事実であるが、同時に、ねたみの結果として期待される公正・公平は、最悪の種類のものになりがちであることもまた事実である。つまり,公正・公平といっても、不幸な人たちの楽しみを増すよりも、むしろ、幸運な人たちの楽しみを減らすようなものになりがちである。
(イラスト:第一次世界大戦中に反戦運動のため収監されたブリクストン監獄内で嫉妬に苦しむラッセル

While it is true that envy is the chief motive force leading to justice as between different classes, different nations, and different sexes, it is at the same time true that the kind of justice to be expected as a result of envy is likely to be the worst possible kind, namely that which consists rather in diminishing the pleasures of the fortunate than in increasing those of the unfortunate.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chapt. 6: Envy
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA16-070.HTM

[寸言]
難しいところですね。恵まれた人々の足をひっぱり,みんな惨めになるだけなら,社会は全体としてもよくなりません。そうかといって,不正や不公平な状態をほっておくのもよくありません。従って,行き過ぎにならないように,少しつづ正していくしかありません。

常に裕福で快適な生活をしている人は民主主義を信じない!?

Madame-Roland2 民主主義理論推進力を与えたのは,疑いもなく,ねたみ’の情熱である。ロラン夫人(フランス革命の時のジロンド派指導者の1人)は,しばしば,民衆に対する献身の念から行動した高貴な女性だとされているが,彼女の『回想録』を読んでみると,彼女をあれほど熱烈な民主主義者にしたのは,ある貴族の館を訪れた折に召使い部屋に案内された経験であったことがわかる。
出典:ラッセル『幸福論』第6章「ねたみ」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA16-010.HTM

And the passion that has given driving force to democratic theories is undoubtedly the passion of envy. Read the memoirs of Madame Roland, who is frequently represented as a noble woman inspired by devotion to the people. You will find that what made her such a vehement democrat was the experience of being shown into the servants’ hall when she had occasion to visit an aristocratic chateau.

[寸言]
ねたみ(envy)と嫉妬とを混同する人が時々いるようです。
ロラン夫人はフランス市民革命の時にギロチン台で処刑されましたが,次の言葉は有名なのでご存知の方も多いと思います。
 「自由よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか・・・」
才色兼備だったロラン夫人は,「平民出身だったために貴族に受けいられず、共和主義者になった。」とのことです。ラッセルは「彼女の『回想録』を読んでみると,彼女をあれほど熱烈な民主主義者にしたのは,ある貴族の館を訪れた折に召使い部屋に案内された経験であったことがわかる。」と書いていますが,「名誉」貴族にでもしてもらったら,人民を苦しめる側にたったかも知れないということです。
たとえて言えば,御用学者になれれば,権力者の番犬になる人が少なくないということでしょうか?

人間の「妬み(ねたみ)」を利用する政治家や社会運動家

hasimoto_toru 私生活に荒廃をもたらす’情熱は、公的生活にも同様の荒廃をもたらす。‘ねたみ’のような悪しきものからよい結果が生まれるとは考えられない。それゆえ、理想主義的な理由から、社会組織を根本的に変革し、社会正義を大幅に増やしたいと思う人は、ねたみ以外の力が改革の助け(手段)になることを、望まなければならない。
出典:ラッセル『幸福論』第6章「ねたみ」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA16-070.HTM

Passions which work havoc in private life work havoc in public life also. It is not to be supposed that out of something as evil as envy good results will flow. Those, therefore, who from idealistic reasons desire profound changes in our social system, and a great increase of social justice, must hope that other forces than envy will be instrumental in bringing the changes about.

[寸言]
公私をはっきりわけていても,私的な悪しき情熱が底にある場合は,公的な生活にも影響を与え,いつかほころびができるということですね。
政治家はよく叩く対象を決めて,(定めて)相手を罵倒し,選挙民(一般大衆)を煽ったりしますが,そういうやりかたからは良い結果が生まれない。従って,そういう政治家には同調しないように,気をつけましょう。たとえば,・橋本徹大阪市長とか・・。
民衆を扇動するデマゴーグのやり方は、ラッセルが言うように次のとおりです。

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「天才になるための秘訣の最重要要素の一つは,非難の技術の習得である。あなた方は必ず,この非難の対象になっているのは自分ではなくて他人であると読者が考えるような仕方で非難しなければならない。そうすれば,読者はあなたの気高い軽蔑に深く感銘するだろうが,非難の対象が他ならぬ自分自身だと感じたと同時に,彼はあなたを粗野で偏屈だと非難するだろう。
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権力と虚栄心-権力は(必ず)腐敗する、なぜなら・・・

TPJBRSHM BBCのインタビュー番組(「ラッセルは語る」)から

質問は,ウッドロウ・ワイアット(BBCテレビ解説者兼労働党下院議員)による。>
・・・前略・・・。

問 立派な事をやりたい(善行をなしたい)と思っている人が,どちらかというと虚栄心から権力を欲しがることもまた,しばしば起こるのではないですか?

ラッセル はい,非常にしばしば起こります。それはみな,あれこれやりたいという願望(思い)よりも,(混ぜ物のない)全くの権力愛が勝るからです。アクトン卿(1834-1902,英国の歴史家)が「権力は腐敗する,なぜなら,権力をふるう喜びは権力を実際に経験する(実際に権力をふるう経験をする)につれて成長して大きくなってゆくものだからである」と言ったのはまったく正しいというのは,そういった理由です。たとえば,クロムウェルの例をとってみましょう。クロムウェルが政界に身を投じた時,まったく立派な動機を持っていたことは疑いありません,なぜなら,そこには英国にとってごく重要と彼が思う一定の事柄があり,それがなされるのを目にしたいと思ったからです。しかし,彼はある一定の期間,権力の座について以後,まぎれもなく権力そのものを欲しがりました。そして,それが,彼が,臨終に際して,自分は神の恩寵に背いたと思う,と言った理由です。いや,確かにそうですね。精力があふれている人は,権力を欲しがると思います。しかし,私の場合は,ただ一種類の権力が欲しいだけです。私は世論に影響を与える権力が欲しいと思います。

問 世論に対してあなたがこれまで持ってきた権力のために,自分が腐敗したとお考えになりますか。

ラッセル さあ,腐敗したかどうかは分りません。それは私が言うべきことではありません。その点については,私以外の他の方々が審判者でなければいけないと,思います。

Woodrow Wyatt: Doesn’t it very often happen that the person who wants the good things also wants power because he’s rather vain?

Bertrand Russell: Yes, it does very often happen, all because the sheer love of power outweighs the wish to get this or that done. That is why Lord Acton was quite right to say that power corrupts, because pleasure in the exercise of power is something that grows with experience of power. Take, for example, Cromwell. I have no doubt that Cromwell went into politics with entirely laudable motives because there were certain things he thought were extremely important to the country that he wanted to see done. But after he’d been in power for a certain length of time he just wanted power, and that is why on his deathbed he said that he was afraid he’d fallen from grace. Oh, certainly, yes. I think every person who shows much energy wants power. But I only want one sort of power. I want power over opinions..

Woodrow Wyatt: Do you think that the power you’ve had over opinions has corrupted you?

Bertrand Russell: Well, I don’t know if it has. It’s not for me to say that. I think other people will have to be the judge of that.
出典: Bertrand Russell Speaks His Mind, 1960.
詳細情報:http://russell-j.com/cool/56T-0601.HTM

[寸言]
多くの人が同意することを権力者(政治家ほか)が実現・実施できたとしても,権力者は満足感をそれほど得ることはできない。むしろ、多くの反対者の意向に反したことを強制することができることで、権力者は自分の権力の大きさを実感し、満足感を得ることができる。

反対する国民の数のほうが多くても安保法制を国会を通過させることができた安倍総理は、自らの権力の強大さに満足している(酔っている)ことであろう。自衛隊が容認されるようになったのと同じように、いずれ、国民にも安保法制は受け入れられていくだろうと思っているのであろう。その証拠に安倍内閣の支持率が現在少しずつあがりつつある,と意を強くしている。

マスコミへの介入(報道規制を通じての自己検閲への誘導)、(義務教育段階における)愛国心教育の強化等を通じての「美しい」日本の建設・・・・。アベノミクスがひどい結果に終わるか、原発がまた大きな事故を起こさない限り、国家権力による情報統制の恐ろしさを実感する国民は大幅に増えることはなさそうである。