自国優先主義の民主主義の限界ーメディア・リテラシーに欠けている人々

tv-watching 我々は学校を卒業すると,我々の外国に関する知識は,お寒いことであるが,新聞(注:現代においては「マスコミ」)を通じてであり,新聞(注:TVなどのマスコミ)が我々の外国に関する偏見を満足させない限り(偏見に迎合しない限り),我々はその新聞を買おう(注:TVを見よう)としない。その結果,我々の外国についての知識は,我々の偏見と感情を強めるようなものに限定される。(例:イスラムに対する偏見)
これは,国際問題を正常に扱っていく上での最大の困難の一つである。自国優先主義の民主主義の制限内において,国際問題をどのように処理していったらよいか,私にはわからない。(注:つまり,もっと国際主義的な観点が必要だということ)。

After people leave school their knowledge of foreign countries, such as it is, is derived from the newspapers, and they will not buy a newspaper unless it flatters their prejudices. Consequently, the only knowledge they obtain is such as to confirm their pre-conceptions and passions.
This is one of the great difficulties in the way of a sane conduct of international affairs, and I do not see how it is to be dealt with within the limits of nationalist democracy.
出典:As others see us, Mar. 23, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/AS-O-SEE.HTM

[寸言]
マスコミは貴重な情報源ですので,大いに活用した方がよいと思います。しかし,,そのためには,できるだけ多くの人がメディアリテラシーを身につけなければなりません。そう考えている人も少なくないと思われます。
しかし、それならどうして,日本では,カナダなどでさかんに行われている,具体例にもとづいたメディアリテラシー教育がほとんどなされていないのでしょうか?(カナダでは、過去にマスコミや時の政権によって悪い方向に国民が誘導させられた事例を義務教育の「教材」として活用しています。日本では「偏向教育」として排除されてしまうでしょうが・・・。)

 「由らしむべし知らしむべからず」が基本姿勢の為政者や文教関係者が,公教育で自分たちの不利になるような教育を行うとは期待できません。そういった人たちが政府を形成し,マスコミがそれに迎合したら,たとえば,(国営放送ではない)公共放送のNHKまでもが政府その他の権力者のことを気にしだして,自己規制しだしたら,大変です。すでに、それは始まっていますが・・・。