1915年(注:ラッセル43歳)の夏,私は『社会再建の原理』という書名の本を,--アメリカでは,私の同意なく 「人はなぜ戦うのか」(Why Men Fight)というタイトルに変えられた本- を執筆した。私には『社会再建の原理』のような本を書くつもりはなかった。そして,その本は,私が以前書いたいかなる本とも,まったく趣きを異にしており,自然な(自発的かつ無意識的な)やり方で生み出されたものであった。事実,書き終えてしまうまで,それがどのようなものになるか,自分にも全くわからなかった。その本には,1つの骨組みと(一定形式に表現された)信条(松下注:この後に書いてあるように,「人間生活の形成において,意識的な目的よりも衝動の方がより影響力をもつという信条」)があったが,最初と最後の言葉を除いて,全部を書き終えてから,ようやく両者(骨組みと信条)に気がついたしだいである。その本の中に,私は,人間生活の形成において,意識的な目的よりも衝動の方がより影響力をもつという信条に基づいた’政治哲学’を提示した。私は,衝動を,所有的衝動と創造的衝動の,2つのグループに分け,’最善の生活’は大部分創造的衝動の上に築かれると考えた。私は,所有的衝動が具現化された実例として,国家,戦争,貧困をあげ,創造的衝動の実例として,教育,結婚,宗教をあげた。創造性の解放(発揮)’が’,改革の原理’であるべきであると,私は確信していた。私は,当初,この本を(数回の)講演用として献じたが,後になって出版した。驚いたことに,たちどころに成功をおさめた。私は,読まれるだろうという期待はまったくなしで,ただ信条の告白として,本書を執筆した。しかし,この本は,私に大金をもたらし,その後の私の所得の基礎をおいた。
(写真は、ラッセルが「社会再建の原理」について連続講演を行ったロンドンの Caxton Hall)
During the summer of 1915 I wrote Principles of Social Reconstruction, or Why Men Fight as it was called in America without my consent. I had had no intention of writing such a book, and it was totally unlike anything I had previously written, but it came out in a spontaneous manner. In fact I did not discover what it was all about until I had finished it. It has a framework and a formula, but I only discovered both when I had written all except the first and last words. In it I suggested a philosophy of politics based upon the belief that impulse has more effect than conscious purpose in moulding men’s lives. I divided impulses into two groups, the possessive and the creative, considering the best life that which is most built on creative impulses. I took, as examples of embodiments of the possessive impulses, the State, war and poverty; and of the creative impulses, education, marriage and religion. Liberation of creativeness, I was convinced, should be the principle of reform. I first gave the book as lectures, and then published it. To my surprise, it had an immediate success. I had written it with no expectation of its being read, merely as a profession of faith, but it brought me in a great deal of money, and laid the foundation for all my future earnings.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 1:The First War, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB21-090.HTM
[寸言]
本書(Principles of Social Construction の邦訳は、大正時代の多くの日本の知識人に影響を与えました。与謝野晶子・鉄幹夫妻、もその中の一人。R落穂拾いでかつてご紹介したものを、以下転載してご紹介します。
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『与謝野寛+与謝野晶子『鉄幹晶子全集・第19巻』(勉誠出版,2005年8月刊)
* 与謝野晶子(よさの・あきこ,1878-1942):明治を代表する歌人で,女性解放運動家。日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』は有名。
* 与謝野晶子は,ラッセルが Principles of Social Reconstruction, 1916 で述べた(所有衝動をできるだけ少なくしていき)「創造衝動をできるだけ増やす努力をする生活」の重要性について言及しています。(同書まえがきより:「最良の生活とは,その大部分がさまざまな創造衝動に基づいて築かれた生活であり,最悪の生活とは,その大部分が所有欲に発しているような生活である,と私は考えます。」) 。
[pp.113-117:与謝野晶子「欲望の調節」(1918年9月)]
(p.114)・・・。欲望に単一なものがあり,複合的なものがあり,それが無限に新しく起伏するのですから,厳密に分類することは不可能ですが,学問上の便宜から之に対し学者に由っていろいろの分類があります。
独逸のシユモラア(Gustav von Schmoller, 1838-1917:ドイツの経済学者)は(一)自存衝動,(二)性的衝動,(三)行動衝動,(四)認識衝動,(五)競争衝動,(六)営利衝動の六種に分け,露西亜のツウガン・バラノヴスキイ(Mikhail Ivanovich Tugan-Baranovsky,1865-1919:ロシアの経済学者)は(一)自己保存並に感覚的快楽を求むる生理的欲望,(二)性欲,(三)同情的衝動,(四)利己・利他的衝動,(五)無関心的衝動の五種に分けました。また英国のバアトランド・ラッセルは(一)創造衝動,(二)所有衝動の二種に大別して,最も多く創造衝動が働き,最も少く所有衝動が働いておる処に最も好い生活が開展して行くと,云って居ります。バラノヴスキイの謂ゆる五種の分類の第一である生理的欲望の実現を直接の目的として,物質の生産及び分配を条件とする経済行為が社会生活の死命を制するまでに法外に優勢を加へつつある現代は,欲望造化の過程に於てまだ非常に低い生活時代にあると,云わねばなりません。現代の生活は,ラッセルに従へば,所有衝動が最も多く働いて居る生活です。シユモラアに従へば自存衝動と営利衝動との上に築かれた生活です。バラノヴスキイの謂ゆる無関心的衝動が抑圧され,シユモラアの謂ゆる行動衝動と認識衝動とが沈滞してゐる生活です。
無関心的衝動とは経済に対して無関心である欲望と云ふ意味です。夫婦の愛も其れ,親子の愛も其れ,学問,芸術,宗教等も其れ。すべて精神的であって,他の欲望の手段とならず,欲望其れ自身を目的として其れの満足を以て終結するものを云ふのです。ラッセルの創造衝動と云ひ,シユモラアの行動衝動とは之を云ふのです。・・・。
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