必要な自制心の違い - 平時と戦時

ichioku-sokatuyaku_abe 私は,自制心などまったくなしで済ませることができる,などと言うつもりはない。それどころか,誰も,自制心なしには首尾一貫した生活を送ることはできない。私が言おうとしているのは,自制心が必要とされるのは,教育が前もって備えていないような,不測の事態の時に限る,ということである。戦時に必要な勇気を努力なしにもたせるように,国民全体を訓練するのは,たとえ可能だとしても,馬鹿げたことだろう。こういう勇気は,例外的・一時的に必要とされるだけであるし,また,あまりにも異常なものなので,塹壕の中で必要な習慣を若者たちに徐々に植え付けられたとしたら,それ以外の教育はことごとく発達を妨げられてしまうだろう。

I do not mean to suggest that self-control can be dispensed with entirely ; on the contrary, no man can live a consistent life without it. What I do mean is, that self-control ought only to be needed in unforeseen situations, for which education has not provided in advance. It would have been foolish, even if it had been possible, to train the whole population to have, without effort, the sort of courage that was needed in the war. This was an exceptional and temporary need, of so extraordinary a kind that all other education would have had to be stunted if the habits required in the trenches had been instilled in youth.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 4: Fear.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE04-100.HTM

[寸言]
jozai-senjo 「常在戦場」(常に、戦場にいるような心構えで真剣に事に当たれ)の精神が好きな人々が少なくない。
下位の者(部下/人によっては国民の大部分)が「常在戦場」の精神で日頃全力を尽くしてくれれば都合が良く、心地良い。だから、若い内に、自衛隊に体験入隊させたほうがよいと考える者までいる。(そういった人々は、「一億◯◯」といった言葉が好きな人が多く、違和感を覚えることがない。「一億総活躍社会」なども同様であろう。

意志(力)によって抑圧された恐怖心は仕返しをする!

hyakuningiri 私は,意志によって恐怖心をコントロールすることだけが唯一の真の勇気だとは思わないし,それが最上の勇気だとさえ思わない。近代の道徳教育の秘訣は,以前は自制と意志(の力)によって生み出された(または生み出そうと試みられた)結果を,良い習慣(を身につけること)によって生み出す点にある。志(の力)による勇気は,種々の神経障害を引き起こすが,それについては「戦争神経症(砲弾ショック)」が多数の事例を与えている。抑圧された恐怖心,内観によっては認識できないような仕方で,無理矢理に表面に出てきたのである。

nihongun-hodohanI do not regard control of fear by the will as the only true courage, or even as the best form of courage. The secret of modern moral education is to produce results by means of good habits which were formerly produced (or attempted) by self-control and will-power. Courage due to the will produces nervous disorders, of which ” shell-shock ” afforded numerous instances. The fears which had been repressed forced their way to the surface in ways not recognizable to introspection.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 4: Fear.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE04-100.HTM

[寸言]
senso-sikakenin 論理的思考能力が乏しくて相手を説得できる自信がない者は、権力(地位の差)によって相手を押さえつけ、相手が納得しないことでも強制してやらせようとする。その際には、相手に「意志力」を求めることが多い。
道徳教育によって、若者に、体制従属の保守的な考え方や愛国心を教え込もうとする為政者も「意志力」の重要性を強調する。

恐怖心の克服 -不合理な恐怖心はできるだけ取り除いていくべき

fear_of_the_dark さらにもう一つ要点がある。私の息子の場合,また,おそらくは他の子供の場合も,恐怖心を克服したという経験はとても嬉しいものである。男の子のプライドをかきたてることは易しい。彼は勇気を示して褒められると,その日はずっと輝くばかりに幸福である。もっと後の段階で,臆病な少年が,他の少年たちに馬鹿にされて苦悩しても,その時にはもう,新しい習慣を身につけることはずっと困難である。それゆえ,恐怖に関しては,幼児期に自制心を養わせ,身体的な冒険を教えこむことは,非常に重要であり,多少思いきった方法を使ってもよいのではないか,と私は考えている。

There is a further point. In the case of my own boy, and presumably in other cases too, the experience of overcoming fear is extraordinarily delightful. It is easy to rouse the boy’s pride: when he has won praise for courage, he is radiantly happy for the rest of the day. At a later stage, a timid boy suffers agonies through the contempt of other boys, and it is much more difficult then for him to acquire new habits. I think, therefore, that the early acquisition of self-control in the matter of fear, and the early teaching of physical enterprise, are of sufficient importance to warrant somewhat drastic methods.
* radiant (adj.):光(熱)を放つ;晴れやかな
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 4: Fear.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE04-070.HTM

[寸言]
DOKUSH20 女の子の場合も同様でしょう。
しかし、世の中の男性は、女性を保護したい(自分が優位に立ちたい)ということで、臆病な女性が好きな男性が多いようですが・・・。

自分の子供を世話をする保育士が不適切だといろいろ弊害が・・・

hoikusi-fusoku_naritakunai-riyu (ラッセルの)息子の二歳の終わり頃に新しい保母がついたが,この保母は一般的に言って臆病であり,特に暗がりを怖がった息子は,すぐに彼女の恐怖心を身につけてしまった(初めのうち私たち夫婦は,このことにまったく気がつかなかった)。息子は犬や猫を見ると逃げ出し,暗い食器棚の前では救い難いほど怯え,暗くなると,自分の部屋のすみずみまで灯りをほしがり,(生まれたばかりの)自分の妹を初めて見たときでさえも怖がるほどであった。どうやら息子(彼)は,妹のことを見知らぬ種類の奇妙な動物だと思ったらしい。(注:この恐怖は,機械じかけのおもちゃに対する恐怖と同じものではないかと思われる。息子(彼)が初めて妹を見たとき,妹は眠っていたので人形だと思った。だから,彼女が動いたとき,ビックリしたのである。)このような恐怖は全て臆病な保母から植えつけられたのかもしれない。事実,この保母がいなくなってからは,そういった恐怖は次第に消えていった。

Near the end of his second year, he had a new nurse who was generally timid and especially afraid of the dark. He quickly acquired her terrors (of which we were ignorant at first) ; he fled from dogs and cats, cowered in abject fear before a dark cupboard, wanted lights in every part of the room after dark, and was even afraid of his little sister the first time he saw her, thinking, apparently, that she was a strange animal of some unknown species. (note: I think this fear was the same as the fear of mechanical toys (see below). He saw her first asleep, and thought she was a doll ; when she moved he was startled.) All these fears might have been acquired from the timid nurse; in fact, they gradually faded away after she was gone.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 4: Fear.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE04-030.HTM
* flee (動):逃げる(現在では通常 fly が用いられるが,過去形及び過去分詞形の fled は今でもよく用いられる。)

[寸言]
abesori_kanchigai-hatugen だから、子供に対する愛情があれば誰でも保育士がつとまる(なってよい)わけではないことがよくわかる。
保育士には、児童心理学や健康科学(医学・公衆衛生科学・その他)や幼児教育(知育)の知識が必須であり,無認可保育所ではなく、いろいろなことに気を配れる、非営利的の保育所を全児童に行き渡らせる必要がある。

自民党政権のように、保育士不足対策として、「保育士一人あたりが扱える児童の数を増やす緊急対策」は好ましくない。これまで、先を見通した対策をとってこなかったことの結果が今あるということを自覚すべきである。

安倍総理は、保育士不足問題で野党に追求されると、「(安部政権の成立以来)女性の就業者が90万人以上増えたから無理も無いこと。その意味で、「★うれしい悲鳴」では(も)あるのです」とひどい勘違い発言。 女性の就業者で増えたのは女性の高齢者が中心であり、安倍総理は、40歳以上の女性が就職できてどんどん出産するようになったとでも言っているかのごとくである。
僚が用意した答弁書を読んでいる時はヘマをしなくても、自分の感想をのべる時はいつも思いつきでしゃべっているので、失言の山をつくっている。それを突かれると、開き直って相手を罵倒する(幼児性たっぷりの)ソーリ大臣。

好奇心 - 一人でも生きていける力を身につけるために外界を知る

kokisin_katamari 生後第二年は,すこぶる幸福な年であるべきである。
 歩くことやおしゃべりすることは,新しく身につけた能力であり,そこから,自分は自由かつ力があるという感覚を子どもにもたらす。子供は,日毎にこの二つの能力を伸ばしていく。(ラッセル注:これは,ことによると,厳密に言えば正確ではないかも知れない。大部分の子どもには,見かけ上進歩が停滞する時期があり,経験不足の親の心配の種を与える。だが,多分,こういう期間中も,容易に知覚できない仕方で進歩があるのであろう。)
【岩波文庫の安藤貞雄訳では,apparent のところは「’明らかに’進歩が止まる時期がある」と訳されているが,それでは「こういう期間中も,容易に知覚できない仕方で進歩があるのであろう」という文章と矛盾してしまう。この apparent は「見かけ上は」と訳すべきであろう。

yoji-kokisin 独りで遊ぶこともできるようになり,子供は「世の中を見る」ということについて,大人が地球上を最大限飛び回って得られる以上の,生き生きした感覚を持つようになる。鳥や花,川や海,自動車や汽車や汽船は全て,幼児に喜びや強い興味をもたらす。好奇心は無限である。この時期一番多く使われる言葉は,「見たい」である。
小児用ベッドや乳母車に閉じこめられていた後,庭や野原や海辺を自由に走り回ることによって,解放されたという精神的高揚感がわいてくる。消化力も,通例,一年目よりも強くなり,食べ物の種類も多様化し,ものをかんで食べることも新しい喜びとなる。
以上のような理由で,もし子供が世話が行き届き健康であれば,子どもにとって人生はすばらしく甘美な冒険となる。

The second year of life should be one of great happiness. Walking and talking are new accomplishments, bringing a sense of freedom and power. Every day the child improves in both.(note: This is perhaps not strictly accurate. Most children have periods of apparent stagnation, which cause anxiety to inexperienced parents. But probably throughout these periods there is progress in ways that are not easily perceptible.) Independent play becomes possible, and the child has a more vivid sense of “seeing the world” than a man can derive from the most extensive globe-trotting. Birds and flowers, rivers and the sea, motor-cars and trains and steamers all bring delight and passionate interest. Curiosity is boundless : “want to see” is one of the commonest phrases at this age. Running freely in a garden or a field or on the seashore produces an ecstasy of emancipation after the confinement of cot and pram. Digestion is usually stronger than in the first year, food is more varied, and mastication is a new joy. For all these reasons, if the child is well cared for and healthy, life is a delicious adventure.
* mastication (n):噛むこと,咀嚼
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 4: Fear.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE04-010.HTM

[寸言]
人間だけでなく、いかなる動物も、幼い頃は外界に対する好奇心が旺盛である。それ(好奇心)は、一人で生きていける力を早く身につけるために必要な、生まれつき備わった性質なのであろう。

小学校にあがる前に道徳教育を完了させる必要あり

4-chara 子供が六歳になるまでには,道徳教育はほぼ完成していなければならない。即ち,後年必要になるであろうそれ以上の道徳的美点については,既得の良い習慣と,既に刺激を受けた野心の結果として,少年少女が自発的に伸ばしていくべきものである。その年齢以後に,道徳教育がいろいろと必要になるのは,幼年期の道徳教育がなおざりにされたか,あるいは,良くなかったかという場合のみである。

By the time the child is six years old, moral education ought to be nearly complete ; that is to say, the further virtues which will be required in later years ought to be developed by the boy or girl spontaneously, as a result of good habits already existing and ambitions already stimulated. It is only where early moral training has been neglected or badly given that much will be needed at later ages.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 4: Fear.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE04-010.HTM

[寸言]
gizen_aida-mituo 幼いうちに(6歳までに)できるだけ良い習慣を身につけることが重要。良い習慣をいっぱい身につけていれば、道徳的であろうと努力しなくても、「道徳的な」人間であることができる。
小学校にあがってから必要な道徳教育は、価値判断をするにあたって、知識や情報が必要なものが中心となるべきであり、「道徳」を説教によって強制的に身につけさせるようなことをしては逆効果となる。
その意味合いを理解しない政治家や教育行政担当官(教育行政を担当している国家公務員や地方公務員)が多すぎる。(なかには、それに気づいて、幼稚園も義務教育の範疇に入れて、少国民に対する愛国心教育が必要だと考えている「愛国的な」政治家も一定程度存在している。「従順な」国民づくりは幼児から、といった思いか。)

成功体験を積むことにより,親が言わなくても自分で努力するようになる

seikoutaiken_youji-tumiki 子供たち(幼児)は,マイペースで学習するので,無理じいするのは誤りである。生涯を通じて,努力ヘの大きな刺激となるのは,最初の困難を切り抜けて成功するという経験である。その困難は,落胆させるほど大きくてもいけないし,努力ヘの刺激にならないほど小さくてもいけない。生まれてから死ぬまで,これは根本的な原則である。

Children learn at their own pace, and it is a mistake to try to force them. The great incentive to effort, all through life, is experience of success after initial difficulties. The difficulties must not be so great as to cause discouragement, or so small as not to stimulate effort. From birth to death, this is a fundamental principle.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 3: the first years.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE03-080.HTM

[寸言]
INDECENC 少し努力すればうまくいくという「成功体験」を積み、少し自分には難しそうと思える目標でも、たとえば10のステップ(なかには数十のステップ)を踏めば不可能ではないということを実感するようになれば、生涯を通じて、自分で目標をたてて努力するというよい習慣を身につけることができる。
後は、その目標がどれだけ自分にとって魅力的かということであろう。つまり、そういった生涯に渡っての努力も苦にならない魅力的な目標を発見できるかどうかで、その人がどこまで成長できるかが決まってくると言えるであろう。

「おくるみ」の光と影!?

okurumi-1 なぜこんなに長い間,「おくるみ」(注:赤ん坊を包む長い布)を着せる習慣に固執してきたのか,ほとんど想像がつかない。このことは,親の愛情でさえ,怠惰にうち勝つことが難しい(=親も赤ん坊にかかりっきりになれない/休息をとりたい)ことを示している。というのは,赤ん坊の手足が自由になれば,ますます目が離せなくなるからである。

How our ancestors can have so long persisted in the practice of swaddling-clothes is almost inconceivable ; it shows that even parental affection has difficulty in overcoming laziness, since the infant whose limbs are free needs more attention.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 3: the first years.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE03-060.HTM

[寸言]
真綿やおくるみにくるんで赤ん坊を大事に扱っているようにみえても、そこには赤ん坊ばかりにかまっていられないという親(多くの場合母親)の防衛策がひそんでいるのか!?

★ 親(母親)と赤ん坊にアンケート調査実施。

母親へ: 「おくるみ」は赤ん坊にとって窮屈だ、赤ん坊によっては「虐待」になると思いませんか?
赤ん坊へ: 「おくるみ」は好きですか?(快適ですか?) 窮屈で邪魔ですか?

★ 動物(特に犬)にもアンケート調査実施
okurumi_nekoyo
 いろいろ窮屈そうな服を着せられていますが、はた迷惑ではないですか?(自分で体温調節できなくなっていませんか?
「お仕着せ」だと思いますか?  あるいは飼い主のあなたに対する深い愛情だと思いますか? それとも,餌をもらうために我慢しなければならない「仕事着」(制服)だと思いますか?

快楽を得るための幼児の「嘘泣き」-俳優は何時でもどんな時でも泣ける!

usonaki_joyu しかし,赤ん坊が本当に苦痛を感じている場合は,可能であれば,その苦痛を取り除いてやらなければならないので,泣くことが快い結果と結びつくようになることは不可避である。それゆえ,間もなく,赤ん坊は,身体の苦痛を感じるからではなく,快楽が欲しいために泣くようになる。これこそが,赤ん坊の知性の最初の勝利の一つである。

But since any real pain that the child may be suffering must, if possible, be removed, it is inevitable that crying should come to be associated with pleasant consequences. The child therefore soon begins to cry because it desires a pleasure, not because it feels a physical pain ; this is one of its first triumphs of intelligence.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 3: the first years.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE03-050.HTM

[寸言]
nonomura_gokyu まあ、「身体の苦痛を感じるからではなく,快楽が欲しいために泣くようになる」というのも、ある程度は仕方ないことでしょうね。
ただし、大人になってもこのやり方(「泣きによる騙し」のテクニック)の上手な人がいますので、それが助けてあげるべき本当の窮状か、あるいは(半分は)演技か、どちらであるか見抜くことができる推理力や判断力を養っておく必要があります。
野々村議員の号泣は嘘泣きだと判断できても、(自分の好きなタイプ)の美人の嘘泣きをあなたは見ぬくことができるでしょうか!?

新生児の世界-徐々に外界を認識し、習慣を形成し、生きる力を身につけ・・・

pampers_sinseiji 前に見たように,新生児(赤ん坊)は,習慣を(まだ)身につけておらず,反射作用と本能だけが備わっている。したがって,新生児の世界は「事物」から成り立っていないことになる。(事物を)認識できるためには,経験をくりかえすことが必要であり,「事物」の概念が生ずるためには,認識(すること)が必要である。小児用ベッドの感触,母親の乳房(または哺乳瓶)の感触と臭い,母親や乳母の話し声などが,すぐに親しいものに感じられるようになる。母親や小児用ベッドがはっきり見えるようになるのは,もう少しあとである。なぜなら,新生児は,ものの形をはっきりと見えるように目の焦点を合わせる方法を知らないからである。

The new-born infant, as we observed before, has no habits, but only reflexes and instincts. It follows that his world is not composed of ” objects “. Recurrent experiences are necessary for recognition, and recognition is necessary before the conception of an “object” can arise. The feel of the cot, the feel and smell of the mother’s breast (or the bottle), and the mother’s or nurse’s voice will soon come to feel familiar. The visual appearance of the mother or the cot comes somewhat later, because the new-born child does not know how to focus so as to see shapes distinctly.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 3: the first years.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE03-050.HTM

[寸言]
masuzoe_ganmenhoukai-kujyu 多くの野生動物は、生まれるとすぐに立てるようになり,急速に成長し、子孫を残すことに成功すれば、間もなく死んでいってしまう。
これに対し、生命が高等化すればするほど大人になるのに時間がかかるようになる。特に、人間の場合は、子孫を産んでもすぐに亡くなることはなく、医療の発達もあいまって、長い「余生」を過ごすことになる。
新生児は(潜在能力はすばらしくても)肉体的に何と無力なことか!? 目の焦点の合わせ方も、食べ物の取り方も、あらゆるものを学習しなければならない。いや、そうだからこそ、人類の進歩に追いつくことができる、また、新しい行動様式を身につけることができるのであろう。
生まれたばかりの時、赤ん坊にとって、周囲は「混沌の世界」であり、意識によって外界を意味づけることによって、その子どもにとっての「秩序」が生まれ、外界に適応していくことができるようになる。
外界(自然界及び人間世界)に適応できている時は安定した精神状態にいられるが、不適応な状態になると「人間(性)崩壊」が生じる危険性が高まる。(適応できなくなった舛添知事の表情の変化はすさまじい。)

2022年はラッセル生誕150年