私は,自制心などまったくなしで済ませることができる,などと言うつもりはない。それどころか,誰も,自制心なしには首尾一貫した生活を送ることはできない。私が言おうとしているのは,自制心が必要とされるのは,教育が前もって備えていないような,不測の事態の時に限る,ということである。戦時に必要な勇気を努力なしにもたせるように,国民全体を訓練するのは,たとえ可能だとしても,馬鹿げたことだろう。こういう勇気は,例外的・一時的に必要とされるだけであるし,また,あまりにも異常なものなので,塹壕の中で必要な習慣を若者たちに徐々に植え付けられたとしたら,それ以外の教育はことごとく発達を妨げられてしまうだろう。
I do not mean to suggest that self-control can be dispensed with entirely ; on the contrary, no man can live a consistent life without it. What I do mean is, that self-control ought only to be needed in unforeseen situations, for which education has not provided in advance. It would have been foolish, even if it had been possible, to train the whole population to have, without effort, the sort of courage that was needed in the war. This was an exceptional and temporary need, of so extraordinary a kind that all other education would have had to be stunted if the habits required in the trenches had been instilled in youth.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 4: Fear.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE04-100.HTM
[寸言]
「常在戦場」(常に、戦場にいるような心構えで真剣に事に当たれ)の精神が好きな人々が少なくない。
下位の者(部下/人によっては国民の大部分)が「常在戦場」の精神で日頃全力を尽くしてくれれば都合が良く、心地良い。だから、若い内に、自衛隊に体験入隊させたほうがよいと考える者までいる。(そういった人々は、「一億◯◯」といった言葉が好きな人が多く、違和感を覚えることがない。「一億総活躍社会」なども同様であろう。