しかし,赤ん坊が本当に苦痛を感じている場合は,可能であれば,その苦痛を取り除いてやらなければならないので,泣くことが快い結果と結びつくようになることは不可避である。それゆえ,間もなく,赤ん坊は,身体の苦痛を感じるからではなく,快楽が欲しいために泣くようになる。これこそが,赤ん坊の知性の最初の勝利の一つである。
But since any real pain that the child may be suffering must, if possible, be removed, it is inevitable that crying should come to be associated with pleasant consequences. The child therefore soon begins to cry because it desires a pleasure, not because it feels a physical pain ; this is one of its first triumphs of intelligence.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 3: the first years.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE03-050.HTM
[寸言]
まあ、「身体の苦痛を感じるからではなく,快楽が欲しいために泣くようになる」というのも、ある程度は仕方ないことでしょうね。
ただし、大人になってもこのやり方(「泣きによる騙し」のテクニック)の上手な人がいますので、それが助けてあげるべき本当の窮状か、あるいは(半分は)演技か、どちらであるか見抜くことができる推理力や判断力を養っておく必要があります。
野々村議員の号泣は嘘泣きだと判断できても、(自分の好きなタイプ)の美人の嘘泣きをあなたは見ぬくことができるでしょうか!?