子離れ,親離れ,乳離れ?

tied_to_his mothers_apronstrings もしも,子供に,必要以上に鮮明に危険を意識させるならば,あなたは,多分,子供を自分に依存させておきたいという欲求によって動かされているのである。もしも,子供に慎みのない愛情を与えてお返しを期待するならば,あなたは,多分,子供の感情を利用して子供を自分に繋ぎ止めておこうと努力しているのである。親の所有衝動は,親がよほど用心深いか,あるいは,心が非常に純粋でないかぎり,大小いろいろな方法で,親に道を踏み迷わせる
If you make him too vividly aware of dangers, you are probably actuated by a desire to keep him dependent upon you. If you give him demonstrative affection to which you expect a response, you are probably endeavouring to grapple him to you by means of his emotions. In a thousand ways, great and small, the possessive impulse of parents will lead them astray, unless they are very watchful or very pure in heart.
出典:ラッセル『幸福論』第13章「家族」
詳細衝動:https://russell-j.com/beginner/HA24-090.HTM

<寸言>
長生き(高齢化社会)によって,ますます子離れ、親離れの時期が遅くなる。
ここで,親を国家、子どもを国民、危険や恐怖の対象を敵対国家にしてみよう。外国の脅威をあおることによって、政権(国家)に対する依存度を増すことができる。特に、体制の基盤が弱くなっていく時に外国の脅威をあおり、「今は政権の交代をさせるような状況ではない」と国民に思わせることができれば、成功となる。

宗教に頼らずに,人類(生命)の歴史に慰めと希望を見出すこと

hisitory_of_life この世で幸福になるためには,特に青年期が過ぎてからは,自分のことを,’まもなく一生を終える孤立した個人として感じるだけでなく,最初の胚種から遠い未知の将来へととどまることなく流れていく生命の流れの一部だと感じることが必要である。

To be happy in this world, especially when youth is past, it is necessary to feel oneself not merely an isolated individual whose day will soon be over, but part of the stream of life flowing on from the first germ to the remote and unknown future.
出典:ラッセル『幸福論』第13章「家族」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA24-060.HTM

<寸言>
Curious-Large-Family-Tree-Template 生命誌全体から見て,自分は生命の誕生から繋がっている(生命の流れの一部)と理解することはできても,生命としての一体感を感じることは難しいかも知れない。しかし,最初の一人の人類から自分まで人類は遺伝子で繋がっている(人類は皆兄弟))と考えることは,想像力とある程度の知性があれば可能であろう。

若いうちは,あたかも自分は永久に死なないように,あるいは少なくとも平均寿命くらいは生きられるだろうから,(肉親や親しい知人が死んでない限り))死はまったく他人事のように感じられる。

東北大地震(東日本大震災)が起こった時はさすがに,他人の死他人事ではないと思った人が多かったと思われる。しかし,そう思わない(思わなかった)人も少なくないようだ。そうでなければ,原発の再稼働がどんどん申請されているのに抗議するひとが余り多くないように見えるのは理解に苦しむ。
原発の再稼働に賛成している(あるいは仕方がないと思っている)人も,原発が自宅の近くにないからであり,自宅の近くにあれば反対するだろう

豊かな中小都市づくりをせずに、効率第一に大規模都市づくりを優先

TOKYO, JAPAN - 1997/10/01: Rush hour at Shibuya subway station in Tokyo. (Photo by Gerhard Joren/LightRocket via Getty Images)
TOKYO, JAPAN – 1997/10/01: Rush hour at Shibuya subway station in Tokyo. (Photo by Gerhard Joren/LightRocket via Getty Images)

ロンドンニューヨークのような都市は,非常に大きいので,市外へ出るにはずいぶん時間がかかる。都市に住んでいる人びとは,通例,フラット(flat: 同一の階に1戸分の住まいがあるアパート/つまりメゾネット・タイプになっていないということであり,同一階に複数の世帯がある。)で満足しなければならないし,もちろん,個々のフラットには1インチ平方の土地もくっついておらず,また,そこでは,みの収入の人びとは最小限のスペースで満足しなくてはならないもしも幼い子供がいる場合,フラット住まいは困難である。子供たちには遊び場がなく,また,両親には子供たちの騒々しさから逃れる場所がない。その結果,専門的な職業についている人たちは,ますます郊外に住む傾向がある。これは,疑いもなく,子供の立場からは望ましいことであるが,父親の生活の疲れをかなり増し,家族の中で果たしうる父親の役割を大幅に減らすことになる。

Cities like London and New York are so large that it takes a very long time to get out of them. Those who live in the city usually have to be content with a flat, to which, of course, not a square inch of soil is attached, and in which people of moderate means have to be content with the absolute minimum of space. If there are young children, life in a flat is difficult. There is no room for them to play, and there is no room for their parents to get away from their noise. Consequently professional men tend more and more to live in the suburbs. This is undoubtedly desirable from the point of view of the children, but it adds considerably to the fatigue of the man’s life, and greatly diminishes the part which he can play in the family.
出典:ラッセル『幸福論』第13章「家族」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA24-030.HTM

<寸言>
毎日長い時間をかけて通勤する(時間を費やす)ことによる弊害。それがいやだということで,一般の賃金労働者が都心で住めば,住居は狭く,空き地などの遊び場がないので活動的な子供は不幸となる。
これは、経済効率第一に大都市中心の政策(補助金政策、住宅政策、交通整備対策、その他)を推し進めている結果豊かな環境を備えた中小都市づくりに国が力を入れてきたらこのようなことにはならないであろう。政治と経済の癒着東京に全て集中させていることからいっそう起こりやすくなっている。政治と経済の分離大地震対策からも是非必要。(ニューヨークとワシントン/メルボルンとキャンベラ/北京と上海/リオデジャネイロとブラジリア/ベルリンとボン/その他、首都機能と経済機能を分離しているところはかなりある。)
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世界的な「学級崩壊」 - XX first(◯◯ファースト流行り)

私は,人類の文明改善され続けると考えたいが,時々起こるように,まったく逆の考えにとらわれると憂鬱になる。(しかし)今日,当面の見通しが幾分暗い時には,より遠い将来のことを考えると,しばしば元気づけられる

I like to think that civilisation will continue to improve, and the opposite thought when it comes, as it sometimes will, is depressing. In these days, when the immediate outlook is somewhat gloomy, the thought of a more distant future is often cheering.
出典: Taking long views,Mar. 30,1932. In Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:https://russell-j.com/LONGVIEW.HTM
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 <寸言>
どこの国でも,どこの地域でも,「◯◯ファースト」と言っておけば人気がとれるようになってしまった。一見、大衆に呼びかけているように見えてそうでない場合が多い。「アメリカ・ファースト」と愛国心をあおっているトランプも、以前は「自分の会社ファースト」であった。トランプはビジネスに明るいと言っても,他社を出し抜いて自社の利益を最大化するのと、一国全体を繁栄させるのとはかなり異なっている

一転,世界全体で見れば、他国は他社であり、自国(自社)の利益を第一に考えて力で他国(他社)をねじ伏せて従わせようとすれば、アメリカに短期間の繁栄をもたらすであろうが、数年すれば世界に大きな被害を与えることになるであろう。

どこの国も「◯◯ファースト」とさけんで腕力でみずからの欲求を通そうとしていったら、弱肉強食の世界になるだけであり、弱小国のなかの弱者はテロリストとなって、強国(強者)に復讐をすることになるのではないか?
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繊細な感受性は「競争におけるハンディキャップ?」

Trump_luxuary 若者の精神を形成する影響力のある大部分のもの(人やメディア)によって,金銭面での成功の理想像が若者の前に示される。映画では,若者たちは贅沢を表現したものを見る。金持ちは大理石の大広間を持っており,大広間には華麗な衣装をまとった美女が集まっている。映画の主人公は,たいてい,最後には成功した階級の仲間入りを成就する。芸術家でさえ,稼いだ金額で判断されるようになる。金銭で計れない価値は,見下されるようになる。あらゆる感受性は,競争におけるハンディキャップであるため,失敗の烙印(焼印)と見なされる

The ideal of financial success is set before the young by most of the influences that form their minds. In the cinema they see representations of luxury, where plutocrats own marble halls and beautiful ladies in splendid dresses. The hero generally succeeds, in the end, in belonging to this successful class. Even artists come to be judged by the amount of money they make. Merit not measured in money comes to be despised. Every kind of sensitiveness, being a handicap in the struggle, is regarded as a stigma of failure.
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「希望と恐怖」
詳細情報:http://russell-j.com/HOPEFEAR.HTM

<寸言>
知性や感性よりも「意志の力」が重視され,あらゆるものが,金銭の尺度ではかられる現代世界・・・。

VIRTUE 最近の日本の若い人は無駄使いしない人が増えているとのことで,その点は高度成長期の少し傲慢な大人よりはまともだと思われる。ただし,政治においては保守党や保守主義を支持する若者が多いようであり,ジャーナリズムやマスコミの権力に対する弱腰批判精神の欠如)に危機感を覚えていないのは残念というか,なげかわしい。

金から得たいものは他人に対する優越感ではなく「安心して楽しめる余暇」

trump-home 私はと言えば,私が金から得たいと思うものは,「安心して楽しめる余暇」である。ところが,典型的な現代人が金で手に入れたがっているものは,もっと金をもうけることであり,なんのためかといえば,人に見せびらかし,豪勢さほこり,これまで対等であった人たちを追い越すことである。アメリカの社会的階級(階層)は,段階が不明確で,絶えず変動している。その結果,社会的な序列が固定化しているところよりも俗物根性がおさまらない(血が騒ぐ)ことになる

For my part, the thing that I would wish to obtain from money would be leisure with security. But what the typical modern man desires to get with it is more money, with a view to ostentation, splendour, and the outshining of those who have hitherto been his equals. The social scale in America is indefinite and continually fluctuating. Consequently all the snobbish emotions become more restless than they are where the social order is fixed, …
出典:ラッセル『幸福論』第3章「競争」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA13-030.HTM

<寸言>
ラッセルは,続けて次のように書いています。

michibata_nenshu5000man 金はそれ自体では人間を ‘立派’ にするに十分でないが,金なしに’立派’になることはむずかしい。その上,もうけた金の額が一般に,頭のよさの尺度とされている。金をたくさんもうける人間は’賢く’,もうけない人間は賢くない,とされる。だれだって愚かだとは思われたくない。そこで,株式市場が不安定な状態になると,人は試験中の子供のような気むずかしい気持ちになる

「ウィン、ウィンの関係?」-犠牲者はいないかのごとく・・・

competition-tor-survival それゆえ,人びとが生存競争という言葉で意味しているものは,実際は,成功のための競争にほかならない。この競争に参加しているとき,人びとが恐れているのは,明日の朝食にありつけないのではないか,ということではなくて,隣人に勝る(勝つ)ことができないのではないか,ということ(恐れ)である。

What people mean, therefore, by the struggle for life is really the struggle for success. What people fear when they engage in the struggle is not that they will fail to get their breakfast next morning, but that they will fail to outshine their neighbours.
出典:ラッセル『幸福論』第3章「競争」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA13-010.HTM

<寸言>
3-Outcome-of-Conflict 勝者がいれば敗者も必ず多数でてきます。よく「ウィン・ウィンの関係」を築くことの重要性を強調する人が少なくないですが,過当競争によって,多数の犠牲者や敗者が出ることに目をつぶっていることに対する「煙幕」や」免罪符」にもなっています。「勝ち組」とか「負け組」とかいう言葉を無神経な人が少なくないのも残念です。

ラッセルのこの文章の少し前に,こう書かれています。

「さて,ビジネスマンが”生存競争”と言うとき,彼が言おうとしているのは,そういうことではない。”生存競争“というのは,本質的に些細な事柄をもったいつけるために見つけた不正確な言いまわしである。」

人の振り見て我が振り直せ One man’s fault is another’s lesson.

kuchi-ni-chakku 最も親しい友人までが、自分(あなた)をからかって、機知をきかせて皮肉を言って楽しむ傾向があることを初めて知ると、そのような経験は非常に辛いものであり、本人も他人に対し同様のことをよくやっていることに気づいていても、ひどく立腹する。しかし、少し経験や反省をすれば、自分だけが例外でありまた自分の欠点を他人から笑われないことを期待することはできない(虫がよすぎる)と、誰もが確信するだろう。

The first time one learns that one’s best friends are liable to be wittily satirical at one’s expense, the experience is very painful, and one feels furious in spite of the consciousness of often having done the ame thing oneself; but a little experience and a little reflection will convince anybody that he cannot hope to be an exception and to have none of his foibles ever laughed at.
出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ』の中の「嫉妬について」
詳細情報:http://russell-j.com/JEALOUS.HTM

<寸言>
人の振り見て我が振り直せ
同じことをやっているというこたがわかれば,お互い非難し合うことが少なくなり,お互いが楽になる。

若い時に満たされなかった欲求の穴埋めのために・・・

gluttony-oogui  不幸な人間の典型は、若いときに何らかの正常な満足を奪われたため、その一種類の満足を他の何よりも価値があると思うようになり、それゆえ、自分の人生に一方的な方向性を与え、その目的に関連した活動ではなく、その目的の達成のみをまったく不当に強調するようになった人である。
The typical unhappy man is one who, having been deprived in youth of some normal satisfaction, has come to value this one kind of satisfaction more than any other, and has therefore given to his life a one-sided direction, together with a quite undue emphasis upon the achievement as opposed to the activities connected with it.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chapt.2:
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA11-040.HTM

<寸言>

Cartoon boss man looking greedily at a pair of money bags.
Cartoon boss man looking greedily at a pair of money bags.

若い人にはいろいろな可能性(あくまでも「可能性」)があります。驚くほど成長する人もあれば,神童だと言われてた人が面白みのない凡人になってしまうこともあります。
他人がどのようなものを偏愛しようがどうでもいいことかも知れないですが,家族がある場合はそうも言っていられません。なんらかのものに偏執的な愛着を覚える場合は,その原因をじっくり反省したほうがよさそうです。
過度な飲酒博打大食漢稼ぎを無視した高額商品買い,常に興奮を求めること,その他いろいろ・・・。

孤独だったラッセルが自分の子どもを持つことになり感じた幸福感

(以下は,1920年秋から1921年夏までの間、ラッセルが北京大学客員教授として北京にいっていた時にインフルエンザにかかり、生死をさまよった時の経験です。下の記事は、日本の新聞記者が誤解して打電した「ラッセル氏逝く」の誤報です。)

R-GOHO・・・。私は,自分が生き残っただけでなく,子供を持つことになったことがわかると,回復期間中,もろもろの一連の軽い病気を併発していたにもかかわらず,自分が回復の途上にあるということにはまったく無頓着になった。主要な病名は,両側肺炎であったが,それに加えて心臓病,腎臓病,赤痢,静脈炎併発していた。けれども,そのいずれも,私の申し分のない幸福感を妨げることはなかった。そうして,これらあらゆる陰気な徴侯にもかかわらず,回復後は,いかなる悪い影響も後に残らなかった。
もう死なないということを感じながらベットに横たわっていることは,驚くほど愉快なことであった。その時まで私は,自分は根本においては悲観的な人間であり,生きていることに大きな価値をおいていない,と常に想っていた。しかしそのように考えることは完全な間違いであり,人生は無限に甘美なものだということを,私は発見した。

<寸言>
ラッセルが命をとりとめたのは,皮肉なことに,ラッセルがあまりよく思っていなかったロックフェラーが北京に設立した血清研究所のおかげであった。

幼い時に両親が亡くなり、自分は生涯,幸福になれないだろうとずっと思っていたラッセル。しかし、ラッセルは、異郷の地で病床にあっても、恋人のドーラが妊娠して自分にも子供を持てることがわかり、50歳近くになって初めて幸福感にひたることができた。
1911年秋以降、(初婚相手の)アリスとは別居していたが、当時の英国の法律では、どちらかに結婚生活を継続できない重大な事実(違反)がない限り、離婚ができなかった。しかし、日本経由で帰国が、「不倫の罪で」晴れて離婚が成立し、ドーラと再婚できることになった。

2022年はラッセル生誕150年