明日は明日の風が吹く - ケセラセラ(Que Sera, Sera)

Que-Sera_Sera_Doris-Day 仕事が終われば仕事のことは忘れ,翌日再開するまで思い出さない人は,その間ずっと仕事のことを気にかけている人よりも,ずっとよい仕事をしそうである.
https://www.youtube.com/watch?v=2uBiLsQl8v8
The man who can forget his work when it is over and not remember it until it begins again next day is likely to do his work far better than the man who worries about it throughout the intervening hours.

出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap. 15: Impersonal Interests]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA26-010.HTM

<寸言>
単純な事実であり,多くの人がそう思っている。しかし,このことを実感し,体得するまでには,少し時間(や経験や訓練)がかかるのが普通。
仕事と余暇の切り替えがうまくできるようになれば後は楽になる。ただし,宮仕えしている場合には,急な仕事や依頼をうまくさばく知恵や技術を身につける必要がある。

不都合な真実や事実に目を塞ぎたい大人ー子どもを守るためと言いながら・・

saru_mizaru-iwazaru-kikazaru 子供は’ごまかし’を嫌うが,通常,そのような気持ちは年をとれば消滅する。(従って)子供に不快な真実を知らせない慣行,決して大人たちが考えるように子供たちのために採用されたのでない。それは大人にとって卒直さが苦痛であるがゆえに採用されるのである。

They have a dislike of humbug, which usually disappears in later life. The habit of screening them from the knowledge of disagreeable truths is not adopted for their sakes although adults may think it is; it is adopted because adults themselves find candour painful.
出典:Bertrand Russell: On Protecting Children from Reality,Oct. 5, 1933. In: Mortals and Others, v.1 (1975)]
詳細情報:http://russell-j.com/CHILD-P.HTM

<寸言>
inconvenient_truth_trump 現実を直視することが苦痛であっても,現実から逃げないで直視し続ければしだいに慣れていく。それに対し自分や自国に不都合な真実から目をそらしてきた場合には,なんとかしてそういった事柄はなかったことにしてしまい,真実があかるみに出そうになると,個人情報の保護や偏向だ,特定秘密だ,自虐だと言って,そういった報道や言動をつぶそうとする

由らしむべし知らしむべからず - 従順な国民づくり

G-Orwell_most-effective-way-to-destroy-people しかし,たとえば,ある特定の地域に住む人間やある金額を越える収入を稼ぐ人間は特別な長所を持っているといったような,政府当局が基本としている信念の大半は,これと同じはずである。正しく推論を行う方法を(生徒や学生に)教えると,これらの信念の基礎を掘り崩す恐れがあるため,民衆(国民)に正しく推論する方法を教えることは(為政者である政治家にとって)好ましくないのであろう。この種の信念が色褪せれば,人類の災厄は回避されるが,政治家は災厄を逃れることはできない。それゆえ,(政治家・統治者は)いかなる代償を払っても,我々(被統治者・被選挙民)を愚鈍な状態にしておかなければならないのである。

But so are most of the beliefs upon which governments are based, such as the peculiar merit of persons living in a certain area, or of persons whose income exceeds a certain sum. It would not do to teach people to reason correctly, since the result would be to undermine these beliefs. If these beliefs were to fade, mankind might escape disaster, but politicians could not. At all costs, therefore, we must be kept stupid.
出典:Bertrand Russell: On astrologers,Oct. 2, 1933. In: Mortals and Others, v.1 (1975)]
詳細情報:http://russell-j.com/ASTROLOG.HTM

<寸言>
由らしむべし知らしむべからず。
tokuteihimitu_abe
国民は愚かで従順なほうが統治し易いので、自分たちに都合の悪い情報はできるだけ広まらないように務める。どうしても広まりそうであれば、それを打ち消す、あるいは緩和するための情報を,御用学者や御用マスコミを使ってばらまこうとする。そのための方法は,協力者に対する「助成金」や「賄賂」だけでなくポスト(官職の地位)や各種審議会や委員会の委員への指名、いろいろな権限の付与、叙位叙勲者の恣意的な選択、愛人の手配、その他、いろいろな手がある。

「首尾一貫した目的を持つこと」の重要性

DOKUSHO3 人生を一つの全体としてながめる習憤は,知恵と真の道徳の,いずれにとっても,必要不可欠な役割であり(役割を果たしており),教育において奨励されるべき事柄の1つである。首尾一貫した目的だけでは,人生を幸福にするのに十分ではない。しかし,それは,幸福な人生のほぼ必須の条件である。そして,首尾一貫した目的は,主に,仕事においてその具現化が行われる。

neet_hikikomoriThe habit of viewing life as a whole is an essential part both of wisdom and of true morality, and is one of the things which ought to be encouraged in education. Consistent purpose is not enough to make life happy, but it is an almost indispensable condition of a happy life. And consistent purpose embodies itself mainly in work.
出典:ラッセル『幸福論』第14章「仕事」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA25-060.HTM
<寸言>
(注:安藤訳及び片桐訳では次のようになっています。安藤訳(岩波文庫):「人生を一つの全体としてながめる習憤は,知恵と真の道徳のどちらにとっても,必要不可欠な部分であり,教育において促進されるべき事柄の1つである。」 片桐訳(みすず書房):「人生を一つの全体としてながめる習憤は,知恵と本当の道徳の両方にとって,欠かすことのできない役割を果たす,そしてこれは教育において促進されるべきこどのひとつだ。」

part はここでは安藤訳のように「部分」ではなく「役割」と訳したほうがより適切であり, of wisdom of true morality  の of は,片桐訳のように「知恵と道徳の両方★にとって」という意味ではなく,「知恵と道徳の両方★の」と解釈すべきと考えます。つまり,「・・・習慣は,・・・果たす」のではなく,その役割(「人生を一つの全体としてながめる」こと=役割)を果たすのはあくまでも「知恵」や「本物の教育」(の役割)だと考えます。片桐氏のように「~にとって」としたければ、an essential part for both … としなければならないでしょう。)

短期的成果を追い求め,権力を振るうことに快感を覚える独裁的政治家

Trump_Bulldozer_2017 最も満足できる目的とは、1つの成功から次の成功へと無限に導く、決して終わりのない目的である。そして、この点において、建設は、破壊よりもいっそう’大きな幸福の源’であることがわかるであろう。
The most satisfactory purposes are those that lead on indefinitely from one success to another without ever coming to a dead end; and in this respect it will be found that construction is a greater source of happiness than destruction.
出典:ラッセル『幸福論』第14章「仕事」
https://russell-j.com/beginner/HA25-040.HTM

<寸言>
建設よりも,破壊による快感や権力欲によって動かされる政治家が少なくない。もちろん,相当の大衆が熱狂的に支持するからそういった人間が跋扈できるのではあるが・・・。

破壊の口実-破壊だけでも意義があるかのごとく(破戒僧,破壊大統領)

trump-self-destruction_jibaku-tero しかし、人間は、少なからず、その後に続くべき建設を何ら顧慮しないで、破壊を目的とする活動に従事することがある。しばしば彼は、自分は新たに建設するために古いものを一掃しているだけだと信じる(信じこもうとする)ことによって、このこと(破壊だけが目的であること)を自分に隠そうとする。それが口実の場合には、破壊の後に続く建設とは何であるか尋ねることによって、通例、その(破壊の)口実の仮面をはぎ取ることができる。予備的な破壊については精確かつ熱意を持って語ったにもかかわらず、この話題については、彼は、あいまいかつ情熱もなく語る、ということがわかるだろう。このことは、少なからぬ革命家軍国主義者及びその他の暴力の使徒にあてはまる。彼らは、通常自分では気づいていないが、憎しみに駆られて行動している。自分たちの憎しみの対象の破壊が彼らの真の目的であり、その後に何がくるべきかということには、彼らは、比較的無関心である。

But not infrequently a man will engage in activities of which the purpose is destructive without regard to any construction that may come after. Frequently he will conceal this from himself by the belief that he is only sweeping away in order to build afresh, but it is generally possible to unmask this pretence, when it is a pretence, by asking him what the subsequent construction is to be. On this subject it will be found that he will speak vaguely and without enthusiasm, whereas on the preliminary destruction he has spoken precisely and with zest. This applies to not a few revolutionaries and militarists and other apostles of violence. They are actuated, usually without their own knowledge, by hatred; the destruction of what they hate is their real purpose, and they are comparatively indifferent to the question of what is to come after it.
出典:ラッセル『幸福論』第14章「仕事」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA25-040.HTM

<寸言>
幼児や幼児性が消えていない政治家に多いタイプ。
sekaitekina_gakkyu-hokai 幼児の場合には,「建設」は難しいので「破壊」から始まることは,大人はみな理解する。しかし、大人は,他人のことはわかっても,自分自身のことはわかならい人が少なくないようである。即ち,大人は「破壊」よりも「建設」のほうが重要なことをわかっているはずであるが、「建設のためには破壊が必要だ!」といって「破壊」しておしまいの人が、特に政治家の間には,けっこう見られる。
「破壊」は腕力(権力)さえあれば誰でもできるが,「建設」には知力(頭)や人望が必要である。「知性」を蔑視,あるいは二の次にするような政治家にとっては、新しいものを「建設」(創造)することは不得手である。
従って、そういった政治家は、自分の気に入らないものは「破壊」するとともに、後は自分たちの特権を守るために心血を注ぐ(保守に徹する)ということになる。そうして、発言は幼児性を帯び、「自分を見て!」といった幼児性にあふれたパフォーマンスが大好きである。たとえば,・・・。

見果てぬ夢と目標を胸に・・・

utopia_creating 必要とされる技能(技術)が変化に富むか、あるいは際限なく向上させうるものであれば、技能(熟練)を要する仕事は全て、楽しいものにすることができる。(しかし)もしこういった条件がなければ、(その人が獲得可能な)最高度の技能(技術)を身につけたときには、仕事は面白くなくなってしまうであろう。

All skilled work can be pleasurable, provided the skill required is either variable or capable of indefinite improvement. If these conditions are absent, it will cease to be interesting when a man has acquired his maximum skill.
出典:ラッセル『幸福論』第14章「仕事」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA25-030.HTM

<寸言>
そういった意味では、生涯をかけても到達できそうもない夢や目標を持つのが賢明。

社交辞令としての「微笑み」-オ・モ・テ・ナ・シ → 即ち,裏ばかり?

bored-kitty 退屈を隠すために微笑する癖を身につけた人間は,やがて他のもっとうしろめたい感情を隠すためにも微笑を利用しがちとなる。

Having learned to smile in order to conceal boredom, men tend to use the smile to conceal other less innocent emotions
出典:Bertrand Russell, On smiling, Aug. 17th, 1932.
In: Mortals and Others, v.1 (1975)]
詳細情報:https://russell-j.com/SMILING.HTM

<寸言>
inamuri_tachiagare-nippon 国会議員の多くがアクビをかいているのは,国会の質問や答弁が出来レースが多くて退屈だと思っている(それを正直に表している)だけでなく,国会外の活動(武藤議員の不倫活動、接待したりされたりする夜の外交やクラブ活動?等)でお疲れなんでしょう。

専門職としての保育士の重要性

early-childhood-ed しかし、全ての母親は(が)誰か他の女性がもっとうまくやれることであっても自分自身でやるべきである、と要求するような社会慣行があってはならない。多くの母親がそうであるように、我が子に対して当惑と無能力を感じる母親は、この仕事への適性があり、必要な訓練を受けている女性に、我が子の世話を委ねることをためらってはならない。我が子に対してなすべき正しいことを女性に教えてくれる天から与えられた本能などない。また、ある一定の限度を越えた’気づかい’は、所有欲のカムフラージュ(偽装)である。多くの子供が、母親の無知で感傷的な扱いによって心理的に駄目にされる

infantsBut there should be no convention demanding that every mother should do herself what some other woman can do better. Mothers who feel baffled and incompetent when faced with their children as many mothers do, should have no hesitation in having their children cared for by women who have an aptitude for this work and have undergone the necessary training. There is no heaven-sent instinct which teaches women the right thing to do by their children, and solicitude when it goes beyond a point is a camouflage for possessiveness. Many a child is psychologically ruined by ignorant and sentimental handling on the part of its mother.
出典:ラッセル『幸福論』第13章「家族」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA24-100.HTM

<寸言>
母性本能はあっても(強くても),幼児の健康増進や知育をどうやったらよいかという知識がないと,母親の無知で感傷的な扱いによって.幼児の健康を損ねたり,幼児を心理的に駄目にしたりする危険性がある。
質の高い保育所に預ければ,費用がかなりかかり,働いて得る給料の多くを保育費にとられるかも知れないが,(核家族において)少なくとも子育ての仕方がわからずにパニックになることはなく、精神的なゆとりがでるという大きなメリットがある。

子どもをペットのようにかわいがるのはよくない

kodomo_oet 子供を支配する権力よりも純粋に子供の幸せを望む親は,何をするべきで,何をするべきでないかについて述べている精神分析の教科書は必要なく,衝動によって正しく導かれることだろう。そして,その場合には,親子関係は,最初から最後まで調和しており,子供には反抗心はおきないし,親には挫折感をもたらさないだろう。しかし,そのためには,親の側に最初から子供の人格に対する尊重の念が必要となり,その尊重は,道徳的であれ知的であれ,単に原則の問題ではなく,所有欲と抑圧がまったく不可能になるまで,ほとんど神秘的な確信をもって深く感じられるものでなくてはならない。

The parent who genuinely desires the child’s welfare more than his or her power over the child will not need textbooks on psycho-analysis to say what should and what should not be done, but will be guided aright by impulse. And in that case the relation of parent and child will be harmonious from first to last, causing no rebellion in the child and no feeling of frustration in the parent. But this demands on the part of the parent from the first a respect for the personality of the child – a respect which must be not merely a matter of principle, whether moral or intellectual, but something deeply felt with almost mystical conviction to such a degree that possessiveness and oppression become utterly impossible.
出典:ラッセル『幸福論』第13章「家族」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA24-090.HTM

<寸言>
子どもをペットのようにかわいがる親がけっこういる。

2022年はラッセル生誕150年