宗教に頼らずに,人類(生命)の歴史に慰めと希望を見出すこと

hisitory_of_life この世で幸福になるためには,特に青年期が過ぎてからは,自分のことを,’まもなく一生を終える孤立した個人として感じるだけでなく,最初の胚種から遠い未知の将来へととどまることなく流れていく生命の流れの一部だと感じることが必要である。

To be happy in this world, especially when youth is past, it is necessary to feel oneself not merely an isolated individual whose day will soon be over, but part of the stream of life flowing on from the first germ to the remote and unknown future.
出典:ラッセル『幸福論』第13章「家族」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA24-060.HTM

<寸言>
Curious-Large-Family-Tree-Template 生命誌全体から見て,自分は生命の誕生から繋がっている(生命の流れの一部)と理解することはできても,生命としての一体感を感じることは難しいかも知れない。しかし,最初の一人の人類から自分まで人類は遺伝子で繋がっている(人類は皆兄弟))と考えることは,想像力とある程度の知性があれば可能であろう。

若いうちは,あたかも自分は永久に死なないように,あるいは少なくとも平均寿命くらいは生きられるだろうから,(肉親や親しい知人が死んでない限り))死はまったく他人事のように感じられる。

東北大地震(東日本大震災)が起こった時はさすがに,他人の死他人事ではないと思った人が多かったと思われる。しかし,そう思わない(思わなかった)人も少なくないようだ。そうでなければ,原発の再稼働がどんどん申請されているのに抗議するひとが余り多くないように見えるのは理解に苦しむ。
原発の再稼働に賛成している(あるいは仕方がないと思っている)人も,原発が自宅の近くにないからであり,自宅の近くにあれば反対するだろう

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