しかし、人間は、少なからず、その後に続くべき建設を何ら顧慮しないで、破壊を目的とする活動に従事することがある。しばしば彼は、自分は新たに建設するために古いものを一掃しているだけだと信じる(信じこもうとする)ことによって、このこと(破壊だけが目的であること)を自分に隠そうとする。それが口実の場合には、破壊の後に続く建設とは何であるか尋ねることによって、通例、その(破壊の)口実の仮面をはぎ取ることができる。予備的な破壊については精確かつ熱意を持って語ったにもかかわらず、この話題については、彼は、あいまいかつ情熱もなく語る、ということがわかるだろう。このことは、少なからぬ革命家や軍国主義者及びその他の暴力の使徒にあてはまる。彼らは、通常自分では気づいていないが、憎しみに駆られて行動している。自分たちの憎しみの対象の破壊が彼らの真の目的であり、その後に何がくるべきかということには、彼らは、比較的無関心である。
But not infrequently a man will engage in activities of which the purpose is destructive without regard to any construction that may come after. Frequently he will conceal this from himself by the belief that he is only sweeping away in order to build afresh, but it is generally possible to unmask this pretence, when it is a pretence, by asking him what the subsequent construction is to be. On this subject it will be found that he will speak vaguely and without enthusiasm, whereas on the preliminary destruction he has spoken precisely and with zest. This applies to not a few revolutionaries and militarists and other apostles of violence. They are actuated, usually without their own knowledge, by hatred; the destruction of what they hate is their real purpose, and they are comparatively indifferent to the question of what is to come after it.
出典:ラッセル『幸福論』第14章「仕事」
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/HA25-040.HTM
<寸言>
幼児や幼児性が消えていない政治家に多いタイプ。
幼児の場合には,「建設」は難しいので「破壊」から始まることは,大人はみな理解する。しかし、大人は,他人のことはわかっても,自分自身のことはわかならい人が少なくないようである。即ち,大人は「破壊」よりも「建設」のほうが重要なことをわかっているはずであるが、「建設のためには破壊が必要だ!」といって「破壊」しておしまいの人が、特に政治家の間には,けっこう見られる。
「破壊」は腕力(権力)さえあれば誰でもできるが,「建設」には知力(頭)や人望が必要である。「知性」を蔑視,あるいは二の次にするような政治家にとっては、新しいものを「建設」(創造)することは不得手である。
従って、そういった政治家は、自分の気に入らないものは「破壊」するとともに、後は自分たちの特権を守るために心血を注ぐ(保守に徹する)ということになる。そうして、発言は幼児性を帯び、「自分を見て!」といった幼児性にあふれたパフォーマンスが大好きである。たとえば,・・・。