ラッセル『結婚論』第19章 性と個人の福祉 n.3

『結婚論』第19章 性と個人の福祉 n.3:道徳的恐怖心をもたせること

 幼年期と少年期(幼少年期)は,人生において,いたずらや腕白や禁じられた行為をすることが自然で,自発的なものであり,行きすぎないかぎりは嘆くにあたらない時期である。しかし,性的な禁止の違反は(違反をすると),大人は他の規則を破った場合とはまったく違った扱いをするので,子供はこれ(性的な事柄)はまったく違った種類(カテゴリー)に属するものだと感じるようになる。子供が食料貯蔵室(食料棚)から果物を盗むと,あなたは怒って,子供をきつく叱るだろうが,道徳的恐怖(心)はまったく感ずることはなく,また,何かぞっとするようなことが起こったという感じを子供に伝えることはない。一方,あなたが旧式の考えの持ち主であり,子供がマスターベーションをしているのを見つけるならば,あなたの声には他の場合には子供が絶対に耳にしないような調子がこもるだろう。この調子は,卑屈な恐怖心を生み出す。おそらく,子供は,あなたの非難を招いた行動をやめることができないので,その恐怖(心)はますます大きくなる(のである)。子供はあなたの真剣さに印象づけられて,マスターベーションはあなたの言うとおりに邪悪なものだと深く信じ込む。それにもかかわらず,それをやめようとしない。こうして,おそらく一生涯続く病的な傾向の基礎が築かれる。

少年期のごく早い時期から,子供は自分のことを罪人(つみびと)だと考える。やがて彼は,こっそり罪を犯すことを学び,誰も彼(自分)の罪を知らないということに中途半端な慰め(a half-hearted consolation)を見いだすようになる。彼は,とても不幸なので,似たような罪を彼ほどうまく隠しおおせなかった人々を罰することで,世間に復讐しようととする(注:自分は細心の注意をはらってわからないようにやっているのに,あいつは堂々とやっている。あいつを処罰すべきだ,といった感情)子供のころに嘘をつくことに慣れたので,大人になっても平気で嘘をつくようになる。こうして,彼は,病的に内向的な偽善者でありかつ迫害者になる。これは,両親が判断を誤って子供を自分たちの考える道徳的な人間にしようと試みた結果である。

Chapter XIX: Sex and Individual Well-being, n.3

Childhood and youth form a period in life when pranks and naughtiness and performances of forbidden acts are natural, spontaneous, and not regrettable except when carried too far. But infraction of sex prohibitions is treated by grown-up people quite differently from any other breach of rules, and is therefore felt by the child to belong to a quite different category. If a child steals fruit from the larder you may be annoyed, you may rate the child soundly, but you feel no moral horror, and you do not convey to the child the sense that something appalling has occured. If, on the other hand, you are an old-fashioned person and you find him masturbating, there will be a tone in your voice which he will never hear in any other connection. This tone produces an abject terror, all the greater since the child probably finds it impossible to abstain from the behaviour that has called forth your denunciation. The child, impressed by your earnestness, profoundly believes that masturbation is as wicked as you say it is. Nevertheless, he persists in it. Thus the foundations are laid for a morbidness which probably continues through life. From his earliest youth onward, he regards himself as a sinner. He soon learns to sin in secret, and to find a half-hearted consolation in the fact that no one knows of his sin. Being profoundly unhappy, he seeks to avenge himself on the world by punishing those who have been less successful than himself in concealing a similar guilt. Being accustomed to deceit as a child, he finds no difficulty in practising it in later life. Thus he becomes a morbidly introverted hypocrite and persecutor as a result of his parents’ ill-judged attempt to make him what they consider virtuous.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM19-030.HTM

ラッセル『結婚論』第19章 性と個人の福祉 n.2

『結婚論』第19章 性と個人の福祉 n.2: サディズム 対 マゾヒズム
 サディズムもマゾヒズムも両方とも,穏やかなかたちでは正常なものであるが,有害な表れ方をした場合は,性的な罪悪感と結びついている。マゾヒストは,性に関して自分自身の罪を痛切に意識している人である。サディストは,誘惑者としての女性の罪をいっそう意識している人である。後年に現われるこれらの結果は,幼年期における不当に厳格な道徳教育によって生み出された(植えつけられた)初期(幼児期)の印象(刻印)がどれほど深刻であったかを示している。このことについては,子供の教育,特に幼児の世話にたずさわっている人びとは,前よりも啓発(啓蒙)されてきている。しかし,不幸なことに,啓発(啓蒙)は法廷にまでは及んでいない

Chapter XIX: Sex and Individual Well-being, n.2

Both sadism and masochism, although in their milder forms they are normal, are connected, in their pernicious manifestations, with the sense of sexual guilt. A masochist is a man acutely conscious of his own guilt in connection with sex. A sadist is a man more conscious of the guilt of the woman as temptress. These effects, in later life, show how profound has been the early impression produced by unduly severe moral teaching in childhood. On this matter, persons connected with the teaching of children, and especially with the care of the very young, are becoming more enlightened. But unfortunately enlightenment has not yet reached the law-courts.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM19-020.HTM

ラッセル『結婚論』第19章  n.1

『結婚論』第19章 性と個人の福祉 n.1: 幼年期のタブー

本章では,性と性道徳が個人の幸福と福祉に及ぼす影響について,前のいくつかの章で述べたことを要約する(要点を繰り返す)つもりである。この問題において我々が関心を持つのは,人生における性的に活動的な時期だけでも,また,現実の性関係ばかりでもない。性道徳は,幼年期,思春期,さらに老年期にまで,ありとあらゆる形で,状況に応じて,良くも悪くも影響する(のである)。

 因習的な道徳は,幼年期にタブーを押し付けることで,その活動を始める(働き始める)。子供は,ごく幼い頃に,大人が見ているときには,体のある部分にさわってはいけないと教えられる。排泄したい気持ち(排泄欲求)を表現する際には,小声で言い,その結果として起こる行為をする際には,人目につかないように(他人に見られないように)しなさい,と教えられる。身体のある部分やある行為には,子供にはすぐには理解できない特別な性質があり,そのために,そういうものは神秘と特別な興味を子どもに与えることになる。赤ん坊はどこからくるかといった,いくつかの知的な問題は,黙って考えなければならない。大人によって与えられる答えは,その場逃れ(evasive あいまい),あるいは,明らかな嘘であるからである。
長いので ・・・ 後略 ・・・。
全訳は 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM19-010.HTM を見てください。

In the present chapter I propose to recapitulate things said in earlier chapters as regards the effects of sex and sexual morals upon individual happiness and well-being. In this matter we are not concerned only with the actively sexual period of life, nor with actual sex relations. Sexual morality affects childhood, adolescence, and even old age, in all kinds of ways, good or bad according to circumstances.

Conventional morality begins its operations by the imposition of taboos in childhood. A child is taught, at a very early age, not to touch certain parts of the body while grown-up people are looking. It is taught to speak in a whisper when expressing an excretory desire, and to preserve privacy in performing the resulting action. Certain parts of the body and certain acts have some peculiar quality not readily intelligible to the child, which invests them with mystery and a special interest. Certain intellectual problems, such as where babies come from, must be thought over in silence, since the answers given by grown-ups are either evasive or obviously untrue. …
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM19-010.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.13

『結婚論』第十八章 優生学 n.13:科学の暴政に感情的ではなく科学的に対抗

・・・前略・・・。

 宗教は歴史が始まる前から存在してきたが,一方,科学はせいぜい四世紀前から存在しているにすぎない。しかし,科学が年月を経て尊ばれるようになれば,宗教と同じように我々(人間)の生活をコントロールするだろう。人間精神の自由を好む人々は皆,科学の暴政に反逆しなければならない時期がくることを私は予感する。にもかかわらず暴政が避けられないとすればその暴政は科学的なものであるほうがよい。(注:科学の暴政は,科学を壊すことではなく,科学的な思考によってコントロースするほうがよい。)

Chapter XVIII: Eugenics, n.13

Religion has existed since before the dawn of history, while science has existed for at most four centuries; but when science has become old and venerable, it will control our lives as much as religion has ever done. I foresee the time when all who care for the freedom of the human spirit will have to rebel against a scientific tyranny. Nevertheless, if there is to be a tyranny, it is better that it should be scientific.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-130.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.12

『結婚論』第十八章 優生学 n.12:

 個人道徳(注:private morals 私的道徳。社会道徳に対峙するもの)の観点からすると,性倫理は,科学的で迷信的でないなら,第一に優生学的な考慮を優先するだろう。即ち,性交に対する既存の抑制がどんなに緩和されるとしても,良心的な男女は,自分たちの子供(progeny 子孫)が将来予想される価値について真摯に考えることなく,子供を生むようなことはしないだろう。避妊法は,親になることを自発的なものにし,もはや,性交の自動的な結果ではなくした(のである)。前の方のいくつかの章で考察した,種々の経済的理由により(経済的理由のために),父親は将来,子供の教育と扶養(maintenance)に関して,過去よりも重要でなくなりそうに思われる。従って,女性が,愛人または友達として好む男性を子供の父親として選ばなければならない強い(人を納得させる)理由は,それほどなくなるだろう。(注:恋愛は好きな男性とし,子どもの父親は有能な男性を選ぶというような判断をすることが増えるのではないか,ということ)

未来の女性は,幸福をひどく犠牲にすることなく,優生学的な考慮(配慮)から子供の父親を選び,他方,普通の性的なつきあいでは,個人的感情のおもむくままに自由に高度することが,とても容易にできるようになるかもしれない。男性にとっては,子供の母親を,親として望ましいという理由で選ぶことが,いっそう容易になるだろう。
私のように,性行動は,子供を伴う場合(子どもが生まれた場合)に限って社会と関わってくる(関係してくる)と考えている者は,この前提から,将来の道徳に関して二重の結論を引き出すに違いない。即ち,一方では,子供と関係のない恋愛(子どもが生まれない恋愛)は自由であるべきであること,しかし,他方では,子供を作ることは,現在よりもずっと注意深く,道徳的考慮によって規制(調整)される問題(matter 事柄)であるべきだ,ということである。しかし,そのこと関係する考慮は,従来認められたものとはいくらか異なるだろう。ある場合の出産が道徳的と見なされるためには,牧師がある言葉を発したり,(戸籍)登記官がある書類を作成したりする必要(性)は,最早なくなるだろう。そういった行為が子供の健康や知能に影響するという証拠は,まったくないからである。

必要だと見なされること(の全て)は,当の男女が,(現在の)自分自身においても,自分たちが伝える遺伝の面においても,望ましい子供を生む見込みがあるようでなければならない,ということである。この問題について,科学が現在よりも確実な判断を下せるようになる時,社会の道徳的意識は,優生学的見地から見ていっそう厳格なものになるかもしれない。最も優れた遺伝子を持った男性が,父親として熱心に探し求められるようになるかもしれないし,一方,(それ以外の)他の男性は,愛人としては受け入れられるかもしれないが,父親になろうとすると,拒絶されるかもしれない。これまで存在してきた結婚制度では,こういった計画はいずれも人間性に背くものとされてきたので,優生学が実際に利用される可能性はきわめて少ない,と考えられていた。

しかし,人間性が,将来も同様な障壁を設けると想定しなければならない理由はない。というのは,避妊法によって,子供を生むことと,子供を伴わない性関係とが分離されつつあるし,父親も将来は,以前のように子供と個人的な関係を持たなくても済みそうであるからである(注:国家の関与がますます増大していくため)。過去の道学者たち(モラリストたち)が結婚に付与した厳粛さと崇高な社会的目的は,世界が倫理の面でもっと科学的になるなら,生殖だけに付与されることになるだろう。

Chapter XVIII: Eugenics, n.12

From the standpoint of private morals, sexual ethics, if scientific and unsuperstitious, would accord the first place to eugenic considerations. That is to say that, however the existing restraints upon sexual intercourse might be relaxed, a conscientious man and woman would not enter upon procreation without the most serious considerations as to the probable value of their progeny. Contraceptives have made parenthood voluntary and no longer an automatic result of sexual intercourse. For various economic reasons which we have considered in earlier chapters, it seems likely that the father will have less importance in regard to the education and maintenance of children in the future than he has had in the past. There will therefore be no very cogent reason why a woman should choose as the father of her child the man whom she prefers as a lover or a companion. It may become quite easily possible for women in the future, without any serious sacrifice of happiness, to select the fathers of their children by eugenic considerations, while allowing their private feelings free sway as regards ordinary sexual companionship. For men it would be still easier to select the mothers of their children for their desirability as parents. Those who hold, as I do, that sexual behaviour concerns the community solely in so far as children are involved, must draw from this premise a twofold conclusion as regards the morality of the future. On the one hand, that love apart from children should be free, but on the other hand, that the procreation of children should be a matter far more carefully regulated by moral considerations than it is at present. The considerations involved will, however, be somewhat different from those hitherto recognized. In order that procreation in a given case may be regarded as virtuous, it will no longer be necessary that certain words should have been pronounced by a priest, or a certain document drawn up by a registrar, for there is no evidence that such acts affect the health or intelligence of the offspring. What will be considered necessary is that the given man and woman, in themselves and in the heredity which they transmit, should be such as are likely to have desirable children. When science becomes able to pronounce on this question with more certainty than is possible at present, the moral sense of the community may come to be more exacting from a eugenic point of view. The men with the best heredity may come to be eagerly sought after as fathers, while other men, though they may be acceptable as lovers, may find themselves rejected when they aim at paternity. The institution of marriage, as it has existed hitherto, has made any such schemes contrary to human nature, so that the practical possibilities of eugenics have been thought to be very restricted. But there is no reason to suppose that human nature will in future interpose a similar barrier, since contraceptives are separating procreation from childless sexual relations, and fathers are likely in future to have no such personal relaition with their children as they have had in the past. The seriousness and the high social purpose which moralists in the past have attached to marriage will, if the world becomes more scientific in its ethics, attach only to procreation.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-120.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.11

『結婚論』第十八章 優生学 n.11:科学の悪用

 ここでも(注:劣等民族の増大の危険性を強調する西欧の狂信的愛国主義などでも)また,以前の二つの場合と同様に,国際的な無政府状態が続いている間に科学が進歩していくなら,我々は,人類の前途にある危険に直面する。科学は我々(人類)のいろいろな目的の達成を可能とするが,我々の目的が邪悪なものであれば,結果は災いとなる。もしも,世界が依然として悪意と憎悪に満ちているなら,世界が科学的になればなるほどますます恐ろしいものになる。それゆえ,こういう感情の毒々しさを減らすことが,人類の進歩の要件である。こういった悪しき感情は(their existence),大部分,誤った性倫理と悪い性教育によってもたらされてきている。文明の将来のためには,ぜび,新しい,よりよい性倫理がなくてはならない。性道徳の改革が,現代の最重要な必要(なもの)の一つになるのは,まさに,この事実によっている。

Chapter XVIII: Eugenics, n.11

Here again, as on two former occasions, we are confronted by the dangers facing mankind if science advances while international anarchy continues. Science enables us to realize our purposes, and if our purposes are evil, the result is disaster. If the world remains filled with malevolence and hate, the more scientific it becomes the more horrible it will be. To diminish the virulence of these passions is, therefore, an essential of human progress. To a very great extent their existence has been brought about by a wrong sexual ethic and a bad sexual education. For the future of civilization a new and better sexual ethic is indispensable. It is this fact that makes the reform of sexual morality one of the vital needs of our time.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-110.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.10

『結婚論』第十八章 優生学 n.10:

 ユリウス・ヴォルフは,統計のある主要国の全てについて,人口1,000人あたりの死亡に対する出生の超過(数)の表を示している(前掲書, pp.143-144)。フランスが最低で(1.3),次がアメリカ(4.0),それからスウェーデン(5.8),英領インド(5.9),スイス(6.2),イギリス(6.2)である。ドイツは7.8,イタリアは10.9,日本は14.6,ロシアは19.5,エクアドルは世界第一で,23.1である。中国は,この表に出ていない。実情が不明であるからである。(注:生身の人間を生きたまま分割できないので,1.3人はおかしく思われるかも知れないが,たとえば,10,000人あたり13人超過ということであればおかしくなく,それを1,000人あたりにすれば当然1.3人になる)

 ヴォルフは,西洋世界は,東洋,即ち,ロシア,中国,日本に圧倒されるだろうという結論を出している。私は,エクアドルを信用することでヴォルフの議論(argument 論証)に反駁する(反証をあげる)つもりはない(注:エクアドルが一番数字が大きいので,エクアドルが世界を圧倒するだろうなんて馬鹿なことは言うつもりはない,という意味での皮肉)。むしろ,ロンドンの金持ちと貧乏人との間の出生率の比較を示すヴォルフの数字(すでに言及した)を示すことにしよう。それは,貧乏人の出生率は,数年前の金持ちの出生率よりも低くなっていることを示している(のである)。

同様なことが,もっと長い期間を必要とするが(長い期間がかかるが),東洋にもあてはまる。即ち,東洋が西欧化するにつれて,必然的に出生率は下がるにちがいない(訳注:そのことはアフリカにもあてはまる)。一つの国が軍事的な意味で恐るぺきものになるには,工業化されることによってしかないし(注:産業が発達しなければ兵器も製造できないために軍事強国にはなりえないという意味),そうして,工業化は,子供(の数)を制限することにつながるような心的傾向をもたらす。それゆえ,われわれは,西欧の狂信的愛国主義者(前ドイツ皇帝に続く/後継する)が恐ろしいと偽って公言している(profess to dread)東洋の支配(東洋による世界支配)は,かりに起こったとしても(if = even if),大した不幸にはならないだろうし,また,そういうことが起こると予期するべき確かな証拠はない,と結論せざるをえない。にもかかわらず,戦争屋たち(war-mongers)は,多分,国際的な権威(国際的権力=国際的政府や世界政府)が,各国の人口の許される割り当てを決めることができるような時期がくるまでは,とりわけ,この悪霊(bogy)を利用し続けるだろう

Chapter XVIII: Eugenics, n.10

Julius Wolf (note: Op. cit., pp. 143-4) gives a table of the excess of births over deaths per 1,000 of the population in all the principal countries for which statistics exist. France is lowest (1.3), U.S.A. next (4.0), then Sweden (5.8), British India (5.9), Switzerland (6.2), England (6.2). Germany has 7.8, Italy 1O.9, Japan 14.6, Russia 19.5, and Ecuador, which leads the world, 23.1. China does not appear in the list, since the facts are unknown. Wolf draws the conclusion that the Western world will be overwhelmed by the East, i.e. by Russia, China, and Japan. I shall not attempt to rebut his argument by pinning my faith on Ecuador. Rather I shall point to his figures (already referred to) for the relative birth-rates among rich and poor in London, showing that the latter are now lower than the former were a few years ago. The same thing, though with a longer time-interval, applies to the East : as it becomes Occidentalized, its birth-rate will inevitably fall. A country cannot become formidable in a military sense except by becoming industrialized, and industrialism brings with it the type of mentality that leads to family limitation. We are therefore forced to conclude, not only that the domination of the East, which Western Chauvinists (following the ex-Kaiser) profess to dread, would be no great misfortune if it occurred, but also that there is no valid ground for expecting that it will come about. Nevertheless, war-mongers will probably continue to use this bogy, among others, until such time as an international authority can assign the permissible quota of increase for the populations of the various States.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-100.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.9

『結婚論』第十八章 優生学 n.9:狂信的愛国主義の口実としての人種優生学

 極端な場合,ある民族が他の民族よりも優秀な場合があることは,ほとんど疑いがない。北アメリカ,オーストラリア,ニュージーランドは,まだ原住民が住んでいる(注:他の先進民族が住んでいない)と仮定した場合よりも,確かに,世界の文明にいっそう大きな貢献をしている。黒人が,平均して,白人よりも劣っているという十分な理由はまったくない。ただし,黒人は,熱帯での仕事になくてはならないので,黒人の絶滅は(人道上の問題を別にしても),はなはだ望ましくないだろう(注:これは冗談のつもりだろうが、今では不適切な発言)。しかし,ヨーロッパの諸民族の間に区別(差別)をつけようとすれば,政治的偏見をささえるために,大量の悪しき科学を持ち込まなくてはならない。また,黄色人種がわれわれ高貴な人種よりもいくらかでも劣っているとみなすべき正当な根拠は,私には見つからない。こういう場合は全て,人種優生学は狂信的愛国主義の口実にすぎない。

(注:修正前のテキストでは,「大体において,黒人は平均して,白人よりも劣っている,と見てさしつかえないようである」と書かれていた。知人に「誤解を招く恐れがある」と指摘されて上記のように修正されている。ただし,ページを増やさずに同一ページ内で処理したために,その後の但し書きの although との相性がよくなく,多少「苦しい」書き方になってしまっている。
古い版(テキスト)は明らかにラッセルの表現の仕方がよくなかった。安藤貞雄氏は,岩波文庫版の邦訳(ラッセル『結婚論』)を初版の第6刷(1938年刊)を底本とし,Unwin Books の第7刷(1972年)によって誤植を訂正したと邦訳書の巻末解説で書かれているが,誤植だけ確かめるために Unwin Books を参照したとのことで,残念である。1972年版のテキストは手元にないのでどうなっているかわからないが,少なくとも,私が所蔵している1976年版のテキストでは新しいテキストになっている。

なお,ラッセルは15歳の少女からの手紙(『結婚論』等に対する質問)に対し,次のように弁解の返事を書いている

わたしは今まで,黒人が’先天的に’劣等であるなどと考えたことは一度もありません。『結婚と性道徳』の記述は,黒人がおかれた状況(環境)について言及したものですそこのところは,明らかに不明瞭な書き方になっていて違った意味にとれられる恐れがあるため,あとの版では削除しました。」(R.カスリルズ,B.フェインベルグ(編),日高一輝(訳)『拝啓バートランド・ラッセル様(市民との往復書簡集)』)
https://russell-j.com/beginner/DBR4-28.HTM

Chapter XVIII: Eugenics, n.9

In extreme cases, there can be little doubt of the superiority of one race to another. North America, Australia, and New Zealand certainly contribute more to the civilization of the world than they would do if they were still peopled by aborigines. There is no sound reason to regard negroes as on the average inferior to white men (Old text: It seems on the whole fair to regard negroes as on the average inferior to white men), although for work in the tropics they are indispensable, so that their extermination (apart from questions of humanity) would be highly undesirable. But when it comes to discriminating among the races of Europe, a mass of bad science has to be brought in to support political prejudice. Nor do I see any valid ground for regarding the yellow races as in any degree inferior to our noble selves. In all such cases, racial eugenics is merely an excuse for Chauvinism (chauvinism).

(For your information:
“… I never held Negroes to be inherently inferior. The statement in Marriage and Morals refers to environment conditioning. I have had it withdrawn from subsequent editions because it is clearly ambiguous.”
(From: Dear Bertrand Russell; a selection of his correspondence with the general public, 1950 – 1968. Allen & Unwin, 1969.)
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-090.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.8

『結婚論』第十八章 優生学 n.8:人種優生学

 あるタイプの政治家や政治評論家(publicists 時事評論家)に大変人気のある一種の優生学がある。これを人種優生学 (race eugenics) と呼んでもよいだろう。この優生学は,ある人種または国民は(もちろん,筆者もそれに属している(冗談)),他の全ての民族よりもずっと優秀であるから,劣った種族を犠牲にして数(人口)を増やすために軍事力を行使すべきだ,という主張から成り立っている。この最も注目すべき例は,アメリカ合衆国における北欧人のプロパガンダで,それは,移民法の中で立法上の承認に勝利することに成功している。この種の優生学は,ダーウィンの適者生存の原理に訴えることができる。しかるに,奇妙なことに,その最も熱心な主唱者は,ダーウィン説(注:進化論)を教えることは違法とするべきだ,と考えている連中である。人種優生学に結びついている政治的プロパガンダは,大部分,望ましくない類のものである。しかし,このことは(今は)忘れて,この問題をその真価(merits 功罪)によって換討してみよう。

Chapter XVIII: Eugenics, n.8

There is a kind of eugenics, very popular with certain types of politicians and publicists, which may be called race eugenics. This consists in the contention that one race or nation (of course that to which the writer belongs) is very superior to all others, and ought to use its military power to increase its numbers at the expense of inferior stocks. The most noteworthy example of this is the Nordic propaganda in the United States, which has succeeded in winning legislative recognition in the immigration laws. This kind of eugenics can appeal to the Darwinian principle of survival of the fittest; yet, oddly enough, its most ardent advocates are those who consider that the teaching of Darwinism should be illegal. The political propaganda bound up with racial eugenics is mostly of an undesirable sort; but let us forget this, and examine the question on its merits.
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-080.HTM

ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.7

『結婚論』第十八章 優生学 n.7:国家による「品質の良い」人間の繁殖政策?

 けれども,この種の科学的知識を適用(応用)するためには,本書でこれまで熟考してきたいかなることよりも家族に関して,いっそう根本的な変動(upheaval 激変)が必要になるだろう。(人間の)科学的な品種改良を完璧に実行しようとするなら,各世代ごとに,男性の約2,3パーセント,女性の約25パーセントを繁殖の目的のために取りのけておかなければならない。たぶん思春期に試験が行われ,その結果,合格しなかった候補者は,全員断種されるだろう。父親は,その子孫に対して現在の雄牛や種馬(a bull or stallion)くらいの関係しか持たない(以上の関係を持たない/の関係に過ぎない)だろうし,母親は,特別な専門職になり,生活様式は他の女性(子どもを産まない女性)とは異なったものになるだろう。私は,こういう事態が起ころうとしている,と言うのではない。ましてや,それを望んでいる,と言うのでもない。正直言って,それは,たまらなく嫌悪を催させるからだ。

 にもかかわらず,この問題(人間の科学的繁殖)を客観的に吟味すると,そういった計画はめざましい結果を生むかもしれないことがわかる。議論のために,この計画が日本で採用され,三世代の終わりには,大部分の日本人男性がエジソンのように頭がよくて,プロボクサー(a prize-fighter)のように強健になっていると仮定しよう。もしも,その間,世界のほかの国家が,事態を自然の成り行きにまかせたままにしておくならば,戦争で日本に太刀打ちすることはまったくかなわなくなるだろう(注:強力な兵器と体力を持つことになるから)。疑いもなく,日本人は,このような高度の能力を身につけたからには,どこかほかの国家の男を兵士として雇う方法を見いだすだろうし,勝利を得るために科学的技術に頼り,そして,まずまちがいなく,勝利を収めることだろぅ。このような制度では,国家に対する盲目的な忠誠を若者に注入するのは,いともたやすいことだろう。将来,この種の発展がありえない,と誰が言えようか。

Chapter XVIII: Eugenics, n.7

To apply scientific knowledge of this sort, however, would demand a more radical upheaval as regards the family than anything hitherto contemplated in these pages. If scientific breeding is to be carried out thoroughly, it will be necessary to set apart in each generation some two or three per cent. (= percent) of the males and some twenty-five per cent. (= percent) of the females for the purpose of propagation. There will be, presumably at puberty, an examination, as a result of which all the unsuccessful candidates will be sterilized. The father will have no more connection with his offspring than a bull or stallion has at present, and the mother will be a specialized professional, distinguished from other women by her manner of life. I do not say that this state of affairs is going to come about, still less do I say that I desire it, for I confess that I hd it exceedingly repugnant. Nevertheless, when the matter is examined objectively, it is seen that such a plan might produce remarkable results. Let us suppose, for the sake of argument, that it is adopted in Japan, and that at the end of three generations most Japanese men are as clever as Edison and as strong as a prize-fighter. If, meanwhile, the other nations of the world had continued to leave matters to nature, they would be quite unable to stand up against Japan in warfare. Doubtless the Japanese, having reached such a pitch of ability, would find ways of employing the men of some other nation as soldiers, and would rely upon their scientific technique for victory, which they would be pretty sure to achieve. In such a system, blind devotion to the State would be very easy to instil in youth. Can anyone say that a development of this sort in the future is impossible?
出典: Marriage and Morals, 1929.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-070.HTM