欺瞞(の「努力」)を要する職業は高給保証-政治家,御用評論家・・・

hypocrite 我々(人間)は,もちろん皆高潔であるべきではあるが,自分の美徳をどの程度まで公言すべきかは職業によって異なる。’馬喰’(バクロウ)や’競馬ののみ屋’は信心深い態度を示すことを期待されていないし,’船乗り’の言葉遣いが,’かかりつけの医者’ほど丁寧であることも期待されていない。
自分の思うままに自然に振る舞える職業は,概して,かなりの欺瞞を要する職業に比べて,金銭的利益が少なくなるのは当然のことである。企業の顧問弁護士,腐敗した政治家や人気のある精神科医は,道徳的な感想(や意見)を,ごく真面目に頻繁に述べなければならないが,こういった困難な仕事の見返りに,彼らはそれ相応の報酬が与えられる。

br-quote_who-desire-own-happiness-thanWe all ought, of course, to be highly virtuous, but the degree to which we ought to proclaim our own virtue depends upon our profession. A horse dealer or a bookmaker is not expected to have an air of piety, a sailor is not expected to be as nice in his diction as a family physician.
The professions in which a man is allowed to behave in a natural manner are, of course, on the whole less lucrative than those in which a high standard of humbug is required. The corporation lawyer, the corrupt politician, and the popular psychiatrist are expected to utter moral sentiments with profound earnestness and great frequency, but in return for this hard work, they are allowed a suitable remuneration.
出典: On being edifying (written in June 11, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:https://russell-j.com/EDIFY.HTM

[寸言]
我が子の教育にあたる教師は,高い道徳的な観念を持っていてほしいと多くの親が望みます。しかし,ラッセルが言うように,「正しいことを教える(あるいは説教する)」ことばかりに力をいれる教師は余り良い教師とは言えません。現代日本ではむしろ,受験を意識した「知識の詰め込み」教育をしている教師の方が多いかもしれませんが,ラッセルがこのエッセイでのべているような ,教化(善導)を主張する教育関係者の悪意や迫害性を自覚している人はどれだけいるでしょうか?

教育者の場合、自分が正しいと思ってひどい教育を行う者がいますが、政治家の場合は、権力を得るために、あるいは権力を保持し続けるために、偽善者を演じ通す人間が少なくありません。
自分の偽善を自覚している人と、自分の偽善に気づかない人の、どちらがより罪が重いでしょうか?