国や国民性が異なれば,皮肉(や冗談)は皮肉(や冗談)でなくなる

irene-and-frederic-joliot パリ滞在中,この計画(注:ラッセル=アインシュタイン宣言の発表)についてフレデリック・ジョリオ=キュリー(Frederic Joliot-Curie, 1900年-1958年8月14日:フランスの原子物理学者で,1935年に妻イレーヌ・ジョリオ=キュリーとともにノーベル’化学賞’受賞。イレーヌとは1926年に結婚したが,その際,姓を2人の旧姓を組み合わせ「ジョリオ=キュリー」とした。晩年はパグウォッシュ会議の設立にも尽力) と長時間に渡って語り合った。
fukushimaunderground2fzz1 彼は,心からこの計画を歓迎してくれるとともに,ただ一句を除いて,この声明(文)に賛成してくれた。(その一句というのは,)私が次のように書いたところであった。「もしも多数の原爆が使用されるならば,全人類の死(全体的破滅)に到る恐れがある。それは,少数の者だけにとっては幸運にも一瞬の出来事(即死)であるが,大多数の者にとっては徐々に進行する病気と人間崩解の責め苦である」。
キュリーは,私がその少数者を’幸運にも’と表現したところを好まなかった。「死ぬことは幸運なことではない」と彼は言った。おそらく,彼の言うことは正しかったであろう。 ‘皮肉’というものは,国を越えると,’悪ふざけ’ととられる場合がある(から注意が必要である)。ともかく私は,その句を削除することに同意した。英国に帰国してしばらくの間,彼から何のたよりも来なかった。後に知ったことであるが,その時彼は病気をしていたとのことであった。

While I was in Paris I had a long discussion about my plan with Frederic Joliot-Curie. He warmly welcomed the plan and approved of the statement except for one phrase: I had written, ‘It is feared that if many bombs are used there will be universal death – sudden only for a fortunate minority, but for the majority a slow torture of disease and disintegration’. He did not like my calling the minority ‘fortunate’. ‘To die is not fortunate’, he said. Perhaps he was right. Irony, taken internationally, is tricky. In any case, I agreed to delete it. For some time after I returned to England, I heard nothing from him. He was ill, I learned later.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 2: At home and abroad, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB32-200.HTM

[寸言]
皮肉(や冗談)が皮肉(や冗談)ととられずに,批判されたり,誤解されたりすることは少なくない。国(や国民性)が同じでも,生まれ育った環境や背景的知識が大きく異なると,感性が異なり,お互いの意図や感覚が伝わらないことがたまにある。facebook 上でもそのようなことがたまにあるが,後から,書き方の工夫で誤解を招かなかっただろうと反省することもある。と同時に,言葉尻をとらえてほしくないなあ,と思うことも時々ある。

なお,フレデリック・ジョリオ=キュリーは,3年後の1958年8月14日に死亡。妻のイレーヌは長年の放射能研究により1956年白血病で死亡しているが,夫のフレデリックも同様と思われる。