‘刑務所は罰を受けるところだ・・・”と言われてしまったラッセル

brixton 因習的な(伝統的な)学校に入れるのにはあまりに繊細すぎるリットン(Lytton Strachey、1880-1932)は,彼の母の眼には聡明と映り,献身的な雰囲気のもと,著作家の生涯を送るよう育てられた。彼の著作は,当時の私には,楽しくかつ面白く思われた。私は,彼の『著名なヴィクトリア朝時代人』を,出版前に,彼が声に出して読んでいるのを聞いたが,私は獄中(注:ラッセルは第一次世界大戦時に反戦運動をしたために約5ケ月間ブリクストン監獄に投獄された。/写真はそのブリクストン刑務所)で再び黙読した。大変面白く,大声で笑ってしまったので,看守が私の独房にやって来て,’刑務所は罰を受けるところだということを忘れてはならない’と言った。

Lytton, who was too delicate to be sent to a conventional school, was seen by his mother to be brilliant, and was brought up to the career of a writer in an atmosphere of dedication. His writing appeared to me in those days hilariously amusing. I heard him read Eminent Victorians before it was published, and I read it again to myself in prison. It caused me to laugh so loud that the officer came round to my cell, saying I must remember that prison is a place of punishment.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 3:Cambridge, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB13-310.HTM

[寸言]
brains-b 刑務所の外に対してメッセージを送ったりしなければ、刑務所内で何をしてもよいといわれたため、ラッセルは投獄されていた約5ケ月間1918年5月始めに入獄し9月に出獄/囚人番号2917番)、多くの読書をし、執筆活動を行った。獄中で執筆したラッセルの An Introduction to Mathematical Philosophy も出獄した翌年の1919年に出版されている。(また,The Analysis of Mind の執筆も開始しており,それは1921年に出版されている。勁草書房から出ている邦訳書名は『心の分析』。)

なお,兄フランクの尽力等により,絨毯が敷きつめられた,普通の独房より広い特別室(ただし週2シリング6ペンスの室料の支払いが必要)に入ることができた。机,椅子,ベット付。毎週3人だけ面会が許された。普通は午後8時消灯であるが,特別に午後10時消灯が許された。

・刑務所での日課:
 4時間の哲学に関する著述
 4時間の哲学関係の読書
 4時間の一般的読書

まあ、読書好きでないと、自由にしてよいと言われても大部分の人にとっては刑務所は退屈で苦痛だと想像されます。ラッセルにとっては、責任感から解放されてかなり快適だったそうです。(ただし、愛人=恋人のコレットが他に恋人をつくったことを聞いて嫉妬に苦しんだと告白しています。ラッセル『幸福論』の中の「嫉妬」の章は、その時の経験が役立っています。