賢者の愚かな側近はやはり愚か-愚か者の証言は・・・

クセノフォン(クセノポン:古代ギリシアの軍人、著述家)は真実でないことを考えだすほど知恵を持っていないので,クセノフォンが言ったこと(書いたこと)は全て真実に違いないと考える傾向があった。これはまったく説得力のない論拠である。
(訳1)賢い人間が言ったことを愚かな人間が伝えると(とき),正確であったためしがない。なぜなら,愚かな人間は,自分が聞いたことを自分が理解できる内容(もの)に無意識に翻訳(誤変換)してしまうからである。
momota-naoki_baka (私の意見が伝えられる場合には)私は哲学に無知な友人によってではなく,むしろ哲学者の中で私を最も厳しく批判する人によって伝えてもらいたい。それゆえ,クセノフォンの言うことが、哲学上の難しい点に関係しているか,あるいは,ソクラテスは不当に断罪されたということを証明しようとする議論の一部である場合には,我々はその証言を受け入れることはできない。

(訳2)
利口な人の言ったことに関する愚かな人の記録は,決して正確であったためしがない。なぜなら愚かな人は,自分の聞いたことを自分が理解できる何物かに,無意識のうちに反訳(誤訳)してしまうからである。

There has been a tendency to think that everything Xenophon says must be true, because he had not the wits to think of anything untrue. This is a very invalid line of argument. A stupid man’s report of what a clever man says is ★ never accurate, because he unconsciously translates what he hears into something that he can understand. I would rather be reported by my bitterest enemy among philosophers than by a friend innocent of philosophy. We cannot therefore accept what Xenophon says if it either involves any difficult point in philosophy or is part of an argument to prove that Socrates was unjustly condemned.
出典:A History of Western Philosophy, 1945, chap. 11 (Socrates), p.101(第3パラグラフ)

[寸言]
* 佐々木高政著『(新訂)英文解釈考』p.77の注: ‘never’ は,’not at all, in no way’ ではなく,’in no instance’ の意味