隠せば隠すほど知りたくなる/見たくなる - 祖母の浅知恵

いろんなことを私(幼少年期のラッセル)に知らせまいとする祖母の試みはめったに成功しなかった。その後少したって,チャールス・ディルク卿(1843-1911)のとてもスキャンダラスな離婚問題の渦中,祖母は私に知らせないように,毎日,新聞を焼くという予防対策をとったが,しかし私は,リッチモンド・パーク(下の地図参照)の門まで,祖母のために新聞をとりにゆく習慣があったので,新聞を祖母に渡すまでの間に,この離婚問題の記事を一語も残らず読んでしまった。私は一度彼と一緒に教会に行ったことがあるため,それだけこの離婚問題は私の興味をよりいっそう引くこととなり,彼が(教会で)モーゼの十戒の7番目(松下注:汝,姦淫することなかれ)を聞くときどんな感情を抱いただろうかと思案し続けた。
richmond
Her attempts to prevent me from knowing things were seldom successful. At a somewhat later date, during Sir Charles Dilke’s very scandalous divorce case, she took the precaution of burning the newspapers every day, but I used to go to the Park gates to fetch them for her, and read every word of the divorce case before the papers reached her. The case interested me the more because I had once been to church with him, and I kept wondering what his feelings had been when he heard the Seventh Commandment.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 1, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB11-190.HTM

[寸言]
日高一輝(氏)は, the Park を「ハイドパーク」と勝手に思い込み、「私は,祖母のために★ハイドパークの入り口まで新聞をとりにいくのがならわしであった。」と誤訳されている(理想社刊の『ラッセル自叙伝』第一巻)。
しかし, 、ラッセルが住んでいた Pembroke Lodge は ロンドン郊外にある Richmond Park の端にあり, the Park は「リッチモンド・パーク」のこと(上の地図参照。ラッセルの住んでいた Pembroke Lodge は左側の真ん中に楕円で囲んだところにある。)。ロンドン市内のハイドパークまで幼いラッセルが新聞を毎日とりにいくなどということはありえず,少し論理的に考えればすぐにわかるはず。