勇気は,知的誠実さにとっても,不可欠

abe_susitomo01 勇気は,肉体上の英雄的資質と同様に,知的誠実さにとっても,不可欠である。

Courage is essential to intellectual probity, as well as to physical heroism.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-210.HTM

<寸言>
権力に従順な勇気のない人々田崎スシロー氏始めとした安倍総理の食客たち、総理の言うことを鸚鵡のように繰り返す現在の多くの自民党議員、多くのマスコミ、その他いろいろ・・・)

黒を白と言う知的不誠実さ知的な勇気のなさ(自分より力のない者の言うことは無視するくせに、権力者の言うことには従順なだけでなく、権力者の言いそうなこと(考えそうなこと)を忖度し、ご機嫌とりの「ヨイショ」の発言をされる方々)。

「知性」とは知識を獲得する知的能力や獲得したいという感性(があること)

「知性」という言葉は,正確に言えば,すでに獲得された知識よりも,知識を獲得する知的能力をさしていることは,疑問の余地はない。しかし,この才能は,ピアニストや曲芸師の才能と同様,訓練なしに獲得されるとは考えられない
abe_under-control もちろん,知性を鍛えないやり方で情報を伝達することは可能である。可能なだけではなく,容易であり,現にしばしば行なわれている。しかし,情報を伝えずに,あるいは少なくとも知識を獲得させようとしないで,知性を鍛えることはできない,と私は信じている。しかも,知性なしには,複雑な現代世界は存続することができないし,進歩することはなおいっそう可能でない。
それゆえ私は,知性の涵養教育の主目的の一つと考える。これは,陳腐な言い方と思われるかもしれないが,実はそうではない。正しい信念だとみなされているものを教えこみたいという欲求のために,教育者は,知性の訓練に対してあまりにもしばしば無関心になった。

abe_rekisi-netuzo_self-deceptionNo doubt the word ‘intelligence’ properly signifies rather an aptitude for acquiring knowledge than knowledge already acquired.; but I do not think this aptitude is acquired except by exercise, any more than the aptitude of a pianist or an acrobat. It is, of course, possible to impart information in ways that do not train intelligence; it is not only possible, but easy, and frequently done. But I do not believe that it is possible to train intelligence without imparting information, or at any rate causing knowledge to be acquired. And without intelligence our complex modern world cannot subsist; still less can it make progress. I regard the cultivation of intelligence, therefore, as one of the major purposes of education. This might seem a commonplace, but in fact it is not. The desire to instil what are regarded as correct beliefs has made educationists too often indifferent to the training of intelligence.
出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-180.HTM

<寸言>
知識人」というのは,単に知識をいっぱい持っている人を指すわけではない。知識をいっぱいもっていても「知性」を感ずることができない人は少なくない。百科辞典的な知識を多くもっている人よりも,発想力・理解力にすぐれ,難しい物事をわかりやすく他人に説明できる人こそ「知性」があると言える。
それにしても,「知性」や「智恵」のある「知識人」は少なくなり,似非知識人が増えつつあるように思われるが気のせいだろうか。過去の偉大な人間に学ぶよりも,まず自分の考えを主張したがる人間が増えてきている。たとえばブログの流行は,「読む人よりも書く人の方が多い」現実?を例証していると言うひとがいるが,いかがであろうか。

被支配民族に対する抑圧が黙認されている根本的な理由

Cartoon boss man looking greedily at a pair of money bags.
Cartoon boss man looking greedily at a pair of money bags.

科学,遠隔地の人びとの生活に対する私たち(現代人・人間)の影響力を非常に増大させたが,その人たちに対する私たちの共感(力)を増大させなかった。
仮に,あなたは,上海で綿糸・綿布を製造している会社の一株主だとしてみよう。あなたは多忙で,投資を行うにあたっては専門家の助言に従っただけであり,上海にも綿糸・綿布にも関心はなく,ただ配当金に関心があるだけかもしれない。しかし,あなたは罪のない人びとを大虐殺するに至る力の一部となり(権力に加担することになり),しかも,もし幼い子供たちが異常かつ危険な仕事を強いられなければ,あなたの配当金は消えてしまうだろう。(しかし)あなたは気にしない。なぜなら,あなたはその子供たちに会ったことも,抽象的な刺激で心が動かされることもないからである。
これが,大規模な産業主義が非常に残酷であり,被支配民族に対する抑圧が黙認されている根本的な理由である。抽象的な刺激に対する感受性を養う教育が行なわれるならば,そういった状況は存在しなくなるだろう。

Science has greatly increased our power of affecting the lives of distant people, without increasing our sympathy for them. Suppose you are a shareholder in a company which manufactures cotton in Shanghai. You may be a busy man, who has merely followed financial advice in making the investment; neither Shanghai nor cotton interest you, but only your dividends. Yet you become part of the force leading to massacres of innocent people, and your dividends would disappear if little children were not forced into unnatural and dangerous toil. You do not mind, because you have never seen the children, and an abstract stimulus cannot move you. That is the fundamental reason why large-scale industrialism is so cruel, and why oppression of subject races is tolerated. An education producing sensitiveness to abstract stimuli would make such things impossible.
出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-170.HTM

<寸言>
https://www.youtube.com/watch?v=KpNmRhaBazc
uniqlo_chugoku-zankoku ユニクロなど、日本の国際企業(多国籍企業)中国その他世界中に進出している。人件費が安い国で生産し、我々に安価で上質な衣類などを提供してくれる。
しかし、1年くらい前だったか,ユニクロの中国にある関連会社が中国人を搾取している実態が報道された。それは氷山の一角であり、世界の大企業は、後進国の人々に恩恵を与えるだけでなく、搾取などの被害をもたらしている。
そういったことが露見するのは一部だけであるので、我々は、間接的に世界中の後進国や発達途上国の人々に苦しみを与えていることを知らずにすんでいる。知らなければ責任をとりようがない(=責任をとらなくてよい)ということであるが、知ろうとすれば知ることができないわけではない。

近代科学-特に自然科学は,時間的及び空間的に人間の知的世界を急速に拡大させた。知的世界の拡大は多くの事物に対する理解力・可能性を拡大するが,人間の他者に対する同情心や共感力を必ずしも拡大してこなかった。たとえば,核物理(の応用研究)を例にとれば,原子力の平和利用,核兵器の開発など,自然に対する人間の力を増大させたが,(日本の)被爆者の苦しみに対する共感(思いやり)を増大させてこなかった。ラッセルがここで言っているのは,知的理解による共感力(想像力)の拡大である。従って,被爆者を直接知らなければ共感(思いやり)など持てないというのは的ハズレであろう。

恐怖心の克服 - 「長いものにまかれろ」ではなく・・・

feeding_politician 「何か怖いことがない限り,常に本当のことを言いなさい」というのが,私が幼年時代に教え込まれた格言であった。私は,このような例外を認めることはできない(=怖い時でも本当のことを言うべきである)。恐怖は,行動だけでなく,感情においても克服されなければならない。しかも,意識された感情だけでなく,無意識の感情においても同様に克服されなければならない。
貴族主義的な道徳律を満足させる(だけの)恐怖に対する単なる外面的な勝利は,意識下で働く(作用する)恐怖の衝動を残し,恐怖の申し子として認識されない’邪悪なねじれた反応‘を生じさせる。

‘Always speak the truth except when something frightens you’ was a maxim taught to me in childhood. I cannot admit the exception. Fear should be overcome not only in action, but in feeling; and not only in conscious feeling, but in the unconscious as well. The purely external victory over fear, which satisfies the aristocratic code, leaves the impulse operative underground and produces evil twisted reactions which are not recognised as the offspring of terror.
出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-130.HTM

<寸言>
fear-oikaketekuru 不合理な恐怖心を持つのはよくない。だからといって,そのような恐怖を持つようになる原因-心理的なものも含む-を理解しないで,ただ単に精神主義的な「勇気(蛮勇)」でもって恐怖心を押さえ込むのはよくない。そのように無理やり意識下に押さえ込むと,他人に対する無意識的な残酷な態度など,恐怖心はねじれた邪悪な発露を見つけだす。それゆえ,恐怖心は,意識された感情だけでなく,無意識の感情においても同様に克服されなければならない。

年とってからの不幸-自分に関係ないことに興味なし(孫のこと以外は・・)

rojinsei_utubyou 人間は,(しだいに活力の衰えとともに)自分のことに注意を奪われ,見たり聞いたりすることや自分に直接関係のないものに興味を抱くことができなくなる。これは,人間にとって非常に不幸なことである。なぜなら,それは,よくて退屈を,悪くすれば憂鬱症を伴うからである。

gca_sacrificeHuman beings are prone to become absorbed in themselves, unable to be interested in what they see and hear or in anything outside their own skins. This is a great misfortune to themselves, since it entails at best boredom and at worst melancholia; it is also a fatal barrier to usefulness, except in very exceptional cases. Vitality promotes interest in the outside world; it also promotes the power of hard work. Moreover, it is a safeguard against envy, because it makes one’s own existence pleasant. As envy is one of the great sources of human misery, this is a very important merit in vitality.
出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-110.HTM

<寸言>
(これは以前投稿したと思いますが、再録します。)
年をとってからの,短い楽しみ、長い退屈

活力が悪い方向に向けられると不幸な結果を生むが,概ね,活力人間にとってよい性質である。子供の頃は大体活力にあふれているが,教育や躾によってしだいにおとなしくなり,年とともに活力が少なくなっていく。日本の場合は受験の影響がかなり大きいと思われるが,周囲の目を気にする国民性も大きな影響を与えている。逆に言えば,いろいろなことに興味が持てれば,活力の減退を少なくすることができる。

「国民(全員)のために」各々の国民は自己犠牲を,と呼びかける政治家

 inada_kokumin-minna-jieitai-keiken子供や若者は,彼らの幸せを純粋に願う人と,彼らを何らかの計画のための原材料(素材)としか考えない人との違いを,本能的に感じとる。教師に愛情が欠けている場合には,性格も知性も,十分に,またのびのびとは発達しないだろう。そうして,この種の愛情は,本質的に言って,子供を’目的’として感じることの中にある。

Children and young people feel instinctively the difference between those who genuinely wish them well and those who regard them merely as a raw material for some scheme. Neither character nor intelligence will develop as well or as freely where the teacher is deficient in love; and love of this kind consists essentially in feeling the child as an end.
出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-090.HTM

<寸言>
aikoku-yochien 子供の気持ちや考えを無視し,あなた(たち)のためだから親の言うことを聞きなさいと,しばしば,大人は言う。しかし,子供のためといいながら,「子供の」気持ちよりも,子供を思う「自分の」気持ちを大事にしていることが少なくない。これは自己欺瞞の一種であるが,政治家のお家芸か?

情熱的な愛(恋愛)に正当な位置をあたえること(の重要性)

rikonritu_nenreibetu 幸福な,相互的な愛という,深い親密さと強い交わりを経験したことのない人びとは,人生が提供する最上のものを失ったことになる。彼らは,意識的ではないにせよ,無意識的にこのことを感じており,その結果生じる失望のために,ねたみや抑圧や残虐に傾いていく。したがって,情熱的な愛に正当な位置をあたえることは,社会学者にかかわる問題であるはずである。なぜなら,男性も女性も,もしもこの経験の機会を逃すとすれば,完全な精神的成長をとげることはできず,世界のほかの人びとに対して,寛容で温かい気持ちをいだくこともできないからである。この気持ちがなければ,まずまちがいなく,彼らの社会活動は有害なものになる。

Those who have never known the deep intimacy and the intense companionship of happy mutual love have missed the best thing that life has to give; unconsciously, if not consciously, they feel this, and the resulting disappointment inclines them towards envy, oppression and cruelty. To give due place to passionate love should be therefore a matter which concerns the sociologist, since, if they miss this experience, men and women cannot attain their full stature, and cannot feel towards the rest of the world that kind of generous warmth without which their social activities are pretty sure to be harmful.
出典: Marriage and Morals, 1929, chap.9: The Place of Love in Human Life.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM09-050.HTM

<寸言>
同様の趣旨のことを,ラッセル『幸福論』第12章「愛情」で次のように述べています。

相互的な愛情が開花することに対する’心理的・社会的な障害‘は,重大な害悪であり,それによって,世界はいつも苦しんできたし,いまなお苦しんでいる。人びとは,与える相手を間違うかもしれないという恐れから,なかなか相手をほめようとはしない。また,人びとは,愛情を注ぐ人(=対象・相手)によって,またはケチをつけたがる世間によって,苦しめられるかもしれないという恐れから,なかなか愛情を注ごうとしない。道徳の名において,また世俗的な知恵の名において,用心(深くあること)を強いられる。その結果,愛情が関わるところでは,寛大さも冒険心も,水を差される。これら全ては,人類に対する’臆病さと憤りを生じさせやすい。なぜなら,(それらの心理的・社会的障害によって)多くの人びとは,真に根本的に必要なものを生涯捕らえ損なうとともに,十中八九まで,幸福になるために不可欠な条件や世間に対する包容力のある態度を捕らえ損なう(逸してしまう)ことになるからである。・・・。おのおのが自分の心をさらけ出すまいと努めている。おのおのが根本的な孤独を保ち続けている。おのおのが無傷のままでいるゆえに(傷つかないようにしているため),実を結ばない。・・・。
http://russell-j.com/beginner/HA23-090.HTM

「死ぬまで愛し続けます」という誓約 - 仮面夫婦になっても努力を続け・・?

kamen-fufu_jimin-to-komei 結婚に際して新郎新婦は,今後末永くたがいに愛しあうことが「義務」だと教えられるが,所詮愛情は一つの情緒であって,意志の働きに服する余地はなく,したがって義務の部類には入りえない。思慮深い振舞いは,義務に属すると言えても,愛は天与の資質である。この感情が消滅する時,それを喪失した人を憐れむのはよいが,非難することは筋違いである。

In marrying, bride and bridegroom are informed that it will henceforth be their ‘duty’ to love one another, although, since love is an emotion, it is not subject to the control of the will and therefore cannot come within the scope of duty. Considerate behaviour may be a duty, but love is a gift from heaven: when the gift is withdrawn, the one who has lost it is to be pitied, not blamed.
出典: On expected emotions (written in July 13, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/EXPECTED.HTM

<寸言>
嫌いなのに好きなふりをしてもらいたくない,というのが普通の気持ち。仮面夫婦世間体のために夫婦を続ける「努力」をしている夫婦のことを言う。努力自体はよいがその努力がただ世間体のためだとしたら,それは相手に対する裏切りあるいは不誠実な態度とも言える。

恋愛と結婚(との関係あるいは混同)

famous-quotes-about-love-marriage-by-bertrand-russell-italy-and 現代のトラブルの多くは,詩的で無政府的衝動であるロマンチックな恋愛を,単なる社会制度にすぎない結婚と混同することに由来している。フランス人はこの種のまちがいをおこさない。だから概して,彼らはこの点で英語を話す国民よりもずっと幸福である。

A great deal of our modern trouble has come from mixing up romantic love, which is a poetic and anarchic impulse, with marriage, which is a social institution. The French have not made this mistake, and on the whole they are considerably happier in these respects than English-speaking nations
出典: Sex and happiness (written in Aug. 5, 1931 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.]
詳細情報:http://russell-j.com/SEX-HAPY.HTM

<寸言>
russell_and_edith ラッセルの結婚観は realistic(現実主義的) ,恋愛観は idealistic(理想主義的) であると言ったらよいでしょうか?
恋愛と結婚についての考え方は人様々ですが,結婚制度の法的意味合いを軽視している人が多いように思われます。法律は犯罪防止や弱者保護の側面が大きいですが,結婚や離婚及び性道徳については、弱者保護の視点が重要となります。たとえば「離婚」について言えば,離婚によって不利益を受ける弱い人間(妻,夫,子供,ケースによっていろいろ)を保護するという側面が重要です。
ラッセルの『結婚と性道徳(通称、結婚論)』1929年に出版されましたが、主張が過激だ(進歩的すぎる)と非難されました。それが原因で,ラッセルを招聘しようとしたニューヨーク市高等教育局が裁判に敗け,ラッセルのニューヨーク市立大学教授の任命が取り消されてしまいました。
しかし、第二次世界大戦後、性の自由化が進み、ラッセルの主張の多くは常識化し、1950年には『結婚論』も受賞理由の一つにあげられ、ノーベル文学賞を受賞しました。

「一億総活躍」の本音- 労働生産性をあげたら労働時間を減らしてあげるよ!

ichioku-sokatuyaku_abe しかし,かなりの余暇時間がなければ,人間は(人生における)最良のものの多くから切り離される。国民(民衆)の大部分がこの最良のものを奪われて苦しまなければならない理由はもはやまったくない。愚かな禁欲主義のみが -それは通常’身代わり’のものであるが- 今日ではもはや必要のない’過度の労働’(の必要性)を強調し続けるのである。

But without a considerable amount of leisure a man is cut off from many of the best things. There is no longer any reason why the bulk of the population should suffer this deprivation; only a foolish asceticism, usually vicarious, makes us continue to insist on work in excessive quantities now that the need no longer exists.
出典:In Praise of Idleness, 1935
詳細情報:なし

<寸言>
gamble_izonsho 余暇が少し増えても、その時間をギャンブルで消費するのでは逆効果。
もちろん支配層や富裕層は,自分たちが余暇を優雅に過ごせることに優越感をもっていて、余暇をギャンブルなどに費やす人間を軽蔑しています。しかし、与党政治家の多くは軽蔑はしていても、ギャンブル関連の企業は多額の献金をしてくれるので,「娯楽産業を成長産業に!」といって持ち上げます。パチンコ業界から自民党への献金額の多さは注目に値します。
注: vicarious asceticism の意味は,ラッセル「身代わりの禁欲主義について」を参照。)
http://russell-j.com/KINYOKU.HTM