「多様性や個性の尊重」 対 「画一化,悪平等化」

UNIFORMITY 第一級の名声を勝ちうるのは,オールラウンドの教育や幅広い興味によってではない。感情と知性の両面における,精神力の集中と目標の限定が必要である。すべての若者が同じ環境にあり,同一の基準を受けいれなければならない世界においては,このような条件は容易に起こらない。傑出した人物を生み出すには多様性が必要であり,画一的な教育は,平凡な大人を生みだす傾向がある。従って今後は,昔と違い,個人的名声を得ることはより稀なものになるだろう。

t is not by an all-round education or by catholicity of interests that first-rate eminence is achieved: it is achieved by concentration and a certain narrowness both emotional and intellectual. In a world where all young people have the same environment, and the same standards presented for their acceptance, this does not easily happen. Diversity is necessary to distinction, and uniformity in education tends to produce mediocrity in adult life. We must therefore expect that individual eminence will be rarer in the future than it has been in the past.
出典:The influence of fathers, June 1, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:https://russell-j.com/FATHER.HTM

<寸言>
uniformity-many-same-people 先進国(北欧、英国など)においては、社会福祉の対象は「ゆりかごから墓場まで」というように人間生活全般に拡大しつつある。従来であれば親や家族(あるいは親類縁者)が担っていた役割のかなりの部分を社会(国や地方自治体)が果たすようになってきている。それにつれて親(特に父親)の影響力が相対的に大幅に低下していっている。そのこと自体は望ましい面が多く悪いことではないが、(引用した文章の前の方で)ラッセルが指摘するような画一化、悪平等化の危険もひそんでいる。多様性や個性を尊重しない社会は、たとえ社会福祉が充実していても生き甲斐のある社会とはならない。