しかし,かなりの余暇時間がなければ,人間は(人生における)最良のものの多くから切り離される。国民(民衆)の大部分がこの最良のものを奪われて苦しまなければならない理由はもはやまったくない。愚かな禁欲主義のみが -それは通常’身代わり’のものであるが- 今日ではもはや必要のない’過度の労働’(の必要性)を強調し続けるのである。
But without a considerable amount of leisure a man is cut off from many of the best things. There is no longer any reason why the bulk of the population should suffer this deprivation; only a foolish asceticism, usually vicarious, makes us continue to insist on work in excessive quantities now that the need no longer exists.
出典:In Praise of Idleness, 1935
詳細情報:なし
<寸言>
余暇が少し増えても、その時間をギャンブルで消費するのでは逆効果。
もちろん支配層や富裕層は,自分たちが余暇を優雅に過ごせることに優越感をもっていて、余暇をギャンブルなどに費やす人間を軽蔑しています。しかし、与党政治家の多くは軽蔑はしていても、ギャンブル関連の企業は多額の献金をしてくれるので,「娯楽産業を成長産業に!」といって持ち上げます。パチンコ業界から自民党への献金額の多さは注目に値します。
注: vicarious asceticism の意味は,ラッセル「身代わりの禁欲主義について」を参照。)
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