自己欺瞞(人格の分裂)に陥っている人は自他ともに不幸をもたらす

tpp-hantai_jiminto 全ての不幸は,ある種の分裂あるいは’統合の欠如’にその原因がある。意識的な精神と無意識的な精神とをうまく調整できないと,自我の中に分裂が生じる。自我と社会とが客観的な関心や愛情によって結合されていないと,両者間に’統合の欠如’が生じる。幸福な人とは,これらの統一のいずれにおいてもうまくいかないということで苦しんでおらず,自分の人格が内部で分裂していなくて,世界と対立してもいない人のことである。そのような人は,自分は’宇宙の市民’であると感じ,宇宙が提供するスペクタクルや,宇宙が与える喜びを存分に享受し,また,自分の後から来る人々(子孫その他)と自分とは本当に別個な存在だとは感じないので,死を恐怖して悩むこともない。最も大きな歓喜が見いだされるのは,‘生命の流れ’との深く本能的な結合においてである。

All unhappiness depends upon some kind of disintegration or lack of integration; there is disintegration within the self through lack of coordination between the conscious and the unconscious mind; there is lack of integration between the self and society where the two are not knit together by the force of objective interests and affections. The happy man is the man who does not suffer from either of these failures of unity, whose personality is neither divided against itself nor pitted against the world. Such a man feels himself a citizen of the universe, enjoying freely the spectacle that it offers and the joys that it affords, untroubled by the thought of death because he feels himself not really separate from those who will come after him. It is in such profound instinctive union with the stream of life that the greatest joy is to be found.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 17:The happy man
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA28-030.HTM

<寸言>
ラッセル曰く:
hypocrite 「自己欺瞞に支えられているときにしか仕事のできない人たちは,自分の職業を続ける前に,まず最初に,真実に耐えることを学習したほうがよい。」

多くのものが面白いという理由(だけ)で信じられている

onajiahonara-odoranya-sonson_ahoren 中庸は,面白くない教義(信条)であり,私は若い時には中庸を軽蔑と憤りをもって退けたことを覚えている。なぜなら,その当時,私が賛美したのは英雄的な極端であったからである。だが,真理はいつも面白いわけでないけれども,多くの事柄が-実際には,面白いという以外に有利な証拠はほとんどないが-面白いという理由だけで信じられている。中庸が一つの適例である。中庸は面白くない教義かもしれないが,実に多くの事柄において正しい教義である。

The golden mean is an uninteresting doctrine, and I can remember when I was young rejecting it with scorn and indignation, since in those days it was heroic extremes that I admired. Truth is not always interesting, and many things are believed because they are interesting; although, in fact, there is little other evidence in their favour. The golden mean is a case in point: it may be an uninteresting doctrine, but in a very great many matters it is a true one.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 16:Effort and resignation
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA27-010.HTM

<寸言>
2okawa_ryuho06_bakabon 一億人が一億人を監視する社会(三浦)
人の噂などというものは頼りない・いいかげんなものであり,多くの場合,間違っている。しかし人は,自分の場合だったら憤慨するようなことも,他人のことの場合は「ありえる」と思ってしまいがち。お互い,人(他人)の噂話は,疑ってかかった方が安全である。噂話の対象が,敵・嫌いな相手であれ,味方・好きな相手であれ・・・。

幸福な時期に幅広い興味・関心を養っておくことの重要性

japan_alcholism_ 私が有害かつ人を堕落させると思っている気晴らしの中には,’泥酔‘や’麻薬‘が含まれている。両者の目的は,少なくとも当面,思考をなくす(消滅させる)ことにある。あるべき進路は,思考をなくすことではなく,思考を新しい方向(方面)に切り替える,あるいは,少なくとも現在の不幸から隔った方向(方面)に切り替えることである。
もしも,これまでの生活がごく少数の興味・関心に集中されていて,しかも,これらの少数の興味・関心が悲しみで覆われてしまっているとしたら,’思考の切り替え’は困難である。不幸に遭遇したときによく耐えるためには,幸福な時期に,ある程度幅広い興味・関心を養っておくことが賢明である。

drug-addiction-and-drug-abuse-1-638Among those that I regard as harmful and degrading I include such things as drunkenness and drugs, of which the purpose is to destroy thought, at least for the time being. The proper course is not to destroy thought but to turn it into new channels, or at any rate into channels remote from the present misfortune. It is difficult to do this if life has hitherto been concentrated upon a very few interests and those few have now become suffused with sorrow. To bear misfortune well when it comes, it is wise to have cultivated in happier times a certain width of interests.
* suffuse (v):(光・色・涙などがーーーを)おおう、いっぱいにする
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 15:Impersonal interests
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA26-050.HTM

<寸言>
つらい経験をしたことが余りない人は,ちょっとした不幸で落ち込んでしまう。人によっては,それが「感受性が豊かな証拠」だと勘違いする人もいる。
ちょっとしたことで動揺する人は,「世間知らず」であり,狭い世界に住んでいる人である。
興味関心の対象が狭いと,それらが失われると,気分転換によって不幸を耐えやすくすることができない。
子供の幸福を望むのであれば,親や社会は,子供に広い視野や興味関心を持てるように家庭の躾や教育をしなければならない。

当面の目的の勝利が遠い将来の破滅につながるとしたら・・・

trump-titan-wonkette 現代の高等教育の欠点の一つは,ある種の技術・技能を獲得するための訓練があまりにも多すぎ,’世界の偏見のない探索(概観)’によって’知性’と’心’を広げることがあまりにも少なすぎる,という点である。たとえば,あなたは政治闘争に没頭し,あなたの政党の勝利のために一生懸命に働くとしよう。そこまでは,それでよいだろう。しかし,闘争の過程で,世界中に憎悪や暴力や疑惑を増大させる見込みのある(予想される)方法の使用を(必然的に)伴う何らかの勝利の機会の出現が,偶然生じるかもしれない。たとえば,勝利を得るには,ある他国民を’侮辱’するのが最良の道であるとあなたは発見するかもしれない。もしも,あなたの’精神の視界’が現在に限られており,あるいは,もしもあなたが,重要なのはいわゆる能率のみであるという教義を受容しているのであれば,あなたは,そういう’疑わしい手段’を採用するだろうそうした手段によって,あなたは,’当面の目的’においては勝利を収めるだろうが,一方もっと遠い将来の結果は,破滅的なものであるかもしれない

dokush25It is one of the defects of modern higher education that it has become too much a training in the acquisition of certain kinds of skill, and too little an enlargement of the mind and heart by any impartial survey of the world. You become absorbed, let us say, in a political contest, and work hard for the victory of your own party. So far, so good. But it may happen in the course of the contest that some opportunity of victory presents itself which involves the use of methods calculated to increase hatred, violence and suspicion in the world. For example, you may find that the best road to victory is to insult some foreign nation. If your mental purview is limited to the present, or if you have imbibed the doctrine that what is called efficiency is the only thing that matters, you will adopt such dubious means. Through them you will be victorious in your immediate purpose, while the more distant consequences may be disastrous.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 15:Impersonal interests
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA26-030.HTM

<寸言>
短期的な成果ばかり求める現代社会や支配層(エスタブリッシュメント)の心性の現れ。

奴隷道徳ではなく,自分が善しとする倫理観のもとに働くこと

andromed 私たちはみな,不当に興奮したり,不当に緊張したり,自分たちの住んでいる世界の片隅や,生と死の間のほんの一瞬の時間重要性を不当に買いかぶる傾向がある。こうした興奮や私たち自身の重要性の過大評価には,望ましいものは何もない。実際,それは,私たちをもっと’懸命に’働かせるかもしれないが,もっと’良く’働かせはしないだろう。

death-from-over_work_tokyoWe are all inclined to get unduly excited, unduly strained, unduly impressed with the importance of the little corner of the world in which we live, and of the little moment of time comprised between our birth and death. In this excitement and over-estimation of our own importance there is nothing desirable. True, it may make us work harder, but it will not make us work better.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap. 15:Impersonal interests
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA26-030.HTM

<寸言>
自分が心から望むものを追い続ける人は,そうでないものに,不当に興奮したり,不当に重要性を強調したりすることはないであろう。

迫害のための組織や団体 ー恐怖や憎悪に支配されている人だけが・・・

chimimouryo_gosei 恐怖に支配されている人だけが,クー・クラックス・クランや,ファシスト党(イタリアのムッソリーニが組織した極右的国家主義団体)に加わるだろう。勇気ある人びとから成る世界には,そうした迫害のための組織は存在しえないだろうし,また,善い生活のために,現在ほど本能に抵抗する必要はなくなるだろう。

Only a man dominated by fear would join the Ku Klux Klan or the Fascisti. In a world of brave men, such persecuting organisations could not exist, and the good life would involve far less resistance to instinct than it does at present.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報;http://russell-j.com/beginner/OE02-220.HTM

<寸言>
aikoku-onna_seijikatachi 「正義を実現するため」と称しながら,実際は他人や特定のグループを迫害することを目的としている組織や団体がいっぱいある。迫害の対象は,国内の一定集団であったり、気に食わない思想信条だったり,外国人や移民だったり、様々である。そういった迫害のための集団も、極右政党新興宗教を装った集団一般市民からなるヘイト集団,その他、様々な形態をとる。
そういった迫害を主目的とした組織や団体の属する者は恐怖や憎悪に支配されており,一部のマスコミを利用しながら、害悪をまきちらす。彼らにとって、知性や思いやりは、意志の弱さでしかなく、自分たちの偽装された「高貴な」憎悪を嫌いな国家や集団や特定の個人にぶつけることが尊いことだと思い込む。

子供と老人- 好奇心の量と質

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動物,機械,雷雨,及び,あらゆる種類の手細工が子供の好奇心をかき立てる。子供の旺盛な知識欲(知識に対する渇望)は,最も知的なおとなもしのぐ。この衝動は,年をとるにつれて弱くなり,ついには,おなじみでないものは嫌悪感を抱かせるだけで,もっとよく知りたいという欲望はまったく抱かなくなる。人々が,この国は没落しつつある(going to the dogs)とか,「いろんなことが,自分の若い頃とは違ってしまっている」などと言い出すのは,この段階である。遠

Animals, machines, thunderstorms, and all forms of manual work, arouse the curiosity of children, whose thirst for knowledge puts the most intelligent adults to shame. This impulse grows weaker with advancing years, until at last what is unfamiliar inspires only disgust, with no desire for a closer acquaintance. This is the stage at which people announce that the country is going to the dogs.
出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2 The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-190.HTM

<寸言>
grandpa_and%ef%bc%bfgrandson 子供の好奇心は旺盛である。大人になると疲れてくるので,しだいに新鮮な好奇心を抱けなくなる。したがって,年をとってもいろいろなものに好奇心をもっていることは希少価値があるということで,「子供のような(素直な)心を持っている」と褒める。しかし何も知らない子供がいろいろなものに好奇心を持つのは,早く大人になって自立しなければならない動物にとって共通の,欠くべからざる天与の性質である。それに好奇心の質は必ずしも高いとはいえない。その点,大人は,好奇心が持てる対象(量)は減るだろうが,「質」は高めることは’可能’である。可能’なだけだが・・・。

習慣は第二の天性! Habit is second nature.

habit_is_second_natute 子供たちは,概して,その置かれている状況に応じて,良い方向にも悪い方向にも展開可能な衝動を有している。さらに,子供たちは,新しい習憤を身につけることがいまだ容易な年頃にある。そして,よい習慣は,’徳’のほとんどを自動的なものとする(良い習慣を身に着ければ,良い行いをしようと意識的に努力しなくても,良い行いを自動的・無意識的にする(できる)ようになる。)

neet_hikikomoriChildren have, as a rule, impulses which can be developed in good or bad directions according to the situations in which they find themselves. Moreover, they are at an age at which the formation of new habits is still easy; and good habits can make a great part of virtue almost automatic.
出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1:Postulates of modern educational theory.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE01-130.HTM

<寸言>
mini-girl-reading-a-book-bookend 良い習慣は「第2の天性」である。幼少期に良い習慣を身につければ(親が子供に良い習慣を身につけさせることができれば)他人から良く思われようと意識的な努力をしなくても,普通に振舞うだけで,他人から好かれ,周囲に良い影響を与える。子供に良い習慣をつけさせることの重要性を理解していない親が少なくない。

学びたいという自発的な願望を「教育の推進力」とすべきである

undo-noryoku_hatttu 歩いたり話したりしようとする努力において示されているように,正常な子供が皆持っている’学びたいという自発的な願望’が,教育の’推進力‘とならなければならない。この推進力を’むち’に代替させたことは,現代の大きな進歩の一つである。

The spontaneous wish to learn, which every normal child possesses, as shown in its efforts to walk and talk, should be the driving-force in education. The substitution of this driving-force for the rod is one of the great advances of our time.
出典:On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 1:Postulates of modern educational theory.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE01-120.HTM

<寸言>
aikoku-yochien 自分が幸福であれば,他人に対しても親切になれるというのが通常の姿であろう。しかし,個人の幸福よりも,「国家に役立つ人間をつくること」が教育の第一の目標になると,結果として,不幸な人間を大量に生み出すことになりかねない。

自分の子供が欲しいという強い欲求-ドーラとの恋愛

dorablk ドーラと私は,ルルワース(Lulworth)に彼女が来た時,恋人同士になった。彼女がルルワースに滞在していた夏の期間(注:夏の全期間ではなく,ドーラがいた期間)は,この上なく楽しいものだった。私とコレットとの間の主要な困難は,彼女が子供を持つことをいやがったことであり,また,私が子供を持つつもりであればこれ以上この問題を棚上げにしておくことはできないと私が感じたこと,であった。ドーラは,結婚をするしないにかかわらず,心から子供を持ちたがっており,それで,私たちは初めから予防措置をとらなかった(避妊しなかった)
彼女は,二人の関係が即座といってよいほど早く結婚と全く同じ性質を帯びてしまったことに気づき,少し失望した。また,私が,(1911年以来,長期間別居中のアリスと)離婚をして彼女と再婚できればうれしいと言うと,彼女は突然泣き出してしまった。結婚は’自立’と’気楽さ’の終焉を意味すると感じたからであろう。しかし,私たちが共有した感情には,ふまじめな関係をいっさい不可能にするような安定性があったように思われる。彼女の公的な能力(有能さ)のみを知っている人たちは,責任感が彼女に重くのしかからない時にはいつも持っていた小妖精のような魅力という特質を彼女がもっているなどとはほとんど信じられないだろう。彼女は月明かりで(月明かりを頼りに)水浴びをしたり,あるいは,露で濡れた草の上を裸足で走ることによって,,私の親になりたいという欲求及び社会的責任感に強く訴えかけた彼女の真面目な面と同じように,完璧に,私の想像力をとらえた(勝ちとった)のである。

Dora and I became lovers when she came to Lulworth, and the parts of the summer during which she was there were extraordinarily delightful. The chief difficulty with Colette had been that she was unwilling to have children, and that I felt if I was ever to have children I could not put it off any longer. Dora was entirely willing to have children, with or without marriage, and from the first we used no precautions. She was a little disappointed to find that almost immediately our relations took on all the character of marriage, and when I told her that I should be glad to get a divorce and marry her, she burst into tears, feeling, I think, that it meant the end of independence and light-heartedness. But the feeling we had for each other seemed to have that kind of stability that made any less serious-relation impossible. Those who have known her only in her public capacity would scarcely credit the quality of elfin charm which she possessed whenever the sense of responsibility did not weigh her down. Bathing by moonlight, or running with bare feet on the dewy grass, she won my imagination as completely as on her serious side she appealed to my desire for parenthood and my sense of social responsibility.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 2:Russia, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB22-030.HTM

<寸言>
FAM-1924 ラッセルは1911年に(初婚相手の)アリスと別居してから,オットリン(モレル)夫人やコレット(マレソン夫人)などと恋愛しますが,自分の子供が欲しいとの強い欲求をラッセルは満たすことができませんでした。
ところが,ドーラ及び彼女の友達などとキャンプファイアーに火を囲んでおしゃべりしている時に、ドーラが自分は早く子供が欲しいと言っているのに印象づけられ、彼女に強い関心を持つようになります。
紆余曲折を経て二人は結婚し、二人の子供(ジョンとケイト)を持つことになり、そうして、自分たちの子供をよい環境で教育したいと、兄の別送を借りて、幼児学校(Beacon Hill School)を開設することになります。
そうして、しばらく幸せな日々が続きますが・・・。