彼女(コレット)は非常に若かったが、オットリンと同じくらいすばらしい、落ち着いた勇気をもっていることがわかった。(勇気は、私が真剣に愛そうとする女性には不可欠な性質である。) 私たちは、夜中まで語り合った。そして語りあううちに恋人同志になった。
分別を持つべきだと言う人たちがいるが、私はそういう人の言うことには同意できない。私たちはお互い相手のことをほとんど知らなかったが、それにもかかわらず、あの瞬間において、二人の間に、きわめて真剣かつ、きわめて重大で、時に幸福で、時に苦痛である関係が始まった。だが、二人の関係は、大戦と結びついた巨大な大衆感情と同列に置く価値がないほど、とるにたらないものでも無価値なものでも決してなかった。事実、第一次大戦は、最初から最後まで、私たち二人の恋愛の織物の中に織り込まれた。私が彼女と初めて肉体関係を持った時(私たちが最初に恋人同士となった夜は、話すべきことが多すぎたために肉体関係は持たなかった。)、突如として獣のような’勝利の叫び声’が通りから聞こえてきた。私はすぐにベッドから飛び起きた。そして(ドイツの)ツェッペリン飛行船が炎に包まれながら墜落するのを見た。勇敢な飛行士が苦悶しながら死につつあるという思いが、群集に’勝利の喜び‘をもたらした全てであった(それ以外の何物でもなかった。)。その瞬間において、コレットの愛(のみ)が私の心の避難所であった。それは、逃れられない残酷さそのものからではなく、人間とはなんであるかということを悟ることによる’魂を切り刻む激しい苦痛’からの避難所であった。
She was very young, but I found her possessed of a degree of calm courage as great as Ottoline’s (courage is a quality that I find essential in any woman whom I am to love seriously). We talked half the night, and in the middle of talk became lovers. There are those who say that one should be prudent, but I do not agree with them. We scarcely knew each other, and yet in that moment there began for both of us a relation profoundly serious and profoundly important, sometimes happy, sometimes painful, but never trivial and never unworthy to be placed alongside of the great public emotions connected with the War. Indeed, the War was bound into the texture of this love from first to last. The first time that I was ever in bed with her (we did not go to bed the first time we were lovers, as there was too much to say), we heard suddenly a shout of bestial triumph in the street. I leapt (= leaped) out of bed and saw a Zeppelin falling in flames. The thought of brave men dying in agony was what caused the triumph in the street. Colette’s love was in that moment a refuge to me, not from cruelty itself, which was unescapable, but from the agonising pain of realising that that is what men are.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 1: The First War, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB21-190.HTM
<寸言>
この文章に続けて、次の言葉が続きます。(ラッセルも初婚相手のアリスも、オットリンも、コレットも、みな、自由恋愛論者でした。コレット夫人の夫も自由恋愛論者でした。)
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ツェッペリン飛行船が墜落した夜が明けてから,朝早く,彼女を残して,当時私が住んでいたゴードン・スクエア(注:57, Gordon Square)の兄(Frank Russell)の家に戻った。その途上,「香りがよく,可愛いバラはいかがですか!」と叫んでいる花売りの老人に出会った。私はバラの花を一束買い,それをバーナード・ストリートのコレット(の家)に届けるように頼んだ(注:…told him to deliver them in Bernard Street となっているが, to Colette in Bernard Street の省略形か?)。老人はその代金を受け取っただけでバラの花を届けなかっただろうと誰もが想像するだろうが,そうではなかった。そして私は,彼がそんなことをする人間ではないということがわかっていた。「香りがよく,可愛いバラ(’Sweet lovely roses’)」という言葉は,それ以来コレットのことを思う時にはいつも浮かんでくる,一種のリフレイン(常に思い出される文句)となった。