幼児の「おしゃべりのお稽古」(まず家族に対して何かを説明する)

息子が2歳4ケ月のとき,私はアメリカヘ行って,3ケ月間不在であった(自宅を留守にした)。彼は今か今かと庭の入口のところで待っていた。即ち,(私が到着するやいなや)私の手を握り,特に彼の関心を引いたことをすべて私に説明し始めた。
(注:began showing 安藤訳では「見せ始めた」と訳されているが,日本語としておかしい。たとえば、「 Please show me the way.」は「 どうしたらよいか教えて=説明してください。」)
inner_voice_how-to-speak 私は(留守中のことを)聞きたかったし,彼は話したかった。私には話したい気持ちはまったくなかったし,息子には聞きたい気持ちは少しもなかった。この二つの衝動は,異なっていたが,調和していた。お話(物語り)ということになると(注:comes to ~になると/ come to that そのことになると・・・),息子は聞きたがり,私は話したがるので,そこにもまた調和がある(のである)。
たった一度だけ,この状況が逆転したことがあった。息子が3歳半のとき,私の誕生祝いがあった。母親は息子に,私が喜ぶようなことをなんでもしなければいけないと言った。お話は,息子の最高の喜びである。私たちが驚いたことに,お話の時間になると,今日はパパの誕生日だから,僕がお話をしてあげる,とアナウンスした(告げた)。息子は,お話を1ダース(ほど)したあとで,椅子からぴょんと飛び下りて,こう言った。「きょうのお話は,これでおしまい。」 それは,(この本を執筆している今から)3ケ月前のことであるが,それ以降これまでに,二度と息子はお話をしてくれたことはない。

When my boy was two years and four months old I went to America, and was absent three months. He was perfectly happy in my absence, but was wild with joy when I returned. I found him waiting impatiently by the garden gate ; he seized my hand, and began showing me everything that specially interested him. I wanted to hear, and he wanted to tell; I had no wish to tell, and he had none to hear. The two impulses were different, but harmonious. When it comes to stories, he wishes to hear and I wish to tell, so that again there is harmony. Only once has this situation been reversed. When he was three years and six months old, I had a birthday, and his mother told him that everything was to be done to please me. Stories are his supreme delight ; to our surprise when the time for them came, he announced that he was going to tell me stories, as it was my birthday. He told about a dozen, then jumped down, saying, “No more stories to-day.” That was three months ago, but he has never told stories again.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 11: Affection and Sympathy
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE11-100.HTM

[寸言]
HowtoSpeakHorse 幼児は成長して早く独り立ちできるようになるためには、いろいろなこと(知識及び技能)を身につけなければならないおしゃべりすること(相手に何かを伝えること、説明すること)もその一つ。子どもはまず身近な家族(母親あるいは父親、兄弟がいれば兄や姉に)に何かを伝えたり、説明し対するやりかたを身につけようとする。母親とは常にそういった練習をしているので、次には、父親や兄や姉に対して同じことをしようとする。
いずれも、生物全体に備わっている本能であろう。もちろん、他の生物は人間のように言葉をあやつることはできないが、「叫び声」の高さ・強さ・抑揚をいろいろ変えることによって、様々なコミニケーションをしようとする。。