道徳教育は全て,直接的,かつ具体的でなければならない。即ち,それは,自然に発生した(個々の)状況から出てくるもののでなければならないし,また,この個別の事例において行なわれるべきことを,それを越えて,ほかの事例に及ぼしてはならない。子供自身が,その教訓をほかの同様の事例に適用していくだろう
。一般的な規則を理解して演繹的に進めていくよりも,一つの具体的な事例を理解し,似たような考え方を似たような事例に適用していくほうがずっと簡単である。一般的な言い方で,「勇気を持て,親切にしなさい」などと言うのではなく,子供に何か特定の大胆なことすることを強く勧めて,そのあとで「素晴らしいよ,あなたは勇気がある(少年だ)」と言ってやるとよい。自分のおもちゃの機関車で妹を遊ばせ,妹が大喜びしているのを見ているときに,彼(子ども)に「いいね,あなたはやさしい子だね」と言ってやるとよい。残酷さを扱う場合も,同じ原則があてはまる。つまり,残酷さの芽ばえがほんの少しでも見えはしないかと注意し,発達しないようにするのである。
All moral instruction must be immediate and concrete : it must arise out of a situation which has grown up naturally, and must not go beyond what ought to be done in this particular instance. The child himself will apply the moral in other similar cases. It is much easier to grasp a concrete instance and apply analogous considerations to an analogous instance than to apprehend a general rule and proceed deductively. Do not say, in a general way, “Be brave, be kind “, but urge him to some particular piece of daring, and then say’ ” Bravo, you were a brave boy” ; get him to let his little sister play with his mechanical engine, and when he sees her beaming with delight say, ” That’s right, you were a kind boy.” The same principle applies in dealing with cruelty : look out for its faint beginnings and prevent them from developing.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 9: Punishment
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE09-070.HTM
[寸言]
幼児はいろいろな意味で経験や体験が乏しく(注:言語経験も乏しく)抽象的な思考がほとんどできないことを親は忘れてあるいは気付かず、一般的な言い方をしてしまうことが少なくない、子どもの反応によって、自分が言ったことを子どもが理解したかどうかわかるが、子どもが反発して返事をしなければ、言ったことが理解されたかどうかわからない。そうやって思い込みや誤解が育っていく。
抽象的なことを言った後すぐに具体的なことを言うとか、具体的なことを言った後に抽象的な(一般化した)ことを言うようにすれば、相互理解が進むであろう。