子どもの躾において「罪の意識」をもたせる必要なし

nakamani-kuwawaritai 子供が執拗に他の子供たちの邪魔をしたり,その楽しみを台無しにしたりするようなときは,その子をのけもの(追放処分)にすることが明らかなになる。ある種の処置をとることが絶対に必要である。他の子供たちにいやな思いをさせることは,この上なく不公平だからである。しかし,言うことを聞かない子供に罪の意識を感じさせても無益である。即ち,それよりも,他の子供たちが味わっている楽しみを自分は取り損なっている(味わえなくしている)のだ,と感じさせたほうがずっと効果がある。

When a child persistently interferes with other children, or spoils their pleasures, the obvious penalty is banishment. It is imperatively necessary to take steps of some kind, because it would be most unfair to let the other children suffer. But there is no use in making the refractory child feel guilty ; it is much more to the purpose to make him feel that he is missing pleasures which the others are enjoying.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 9: Punishmnet
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE09-030.HTM

[寸言]
そんなことしてたら,一緒に遊んでくれる友達はいなくなるよ、ということを実感させるだけでOKであろう。 他の子どもの邪魔をしたり,いじめたりしても、子どもに「罪の意識」をもたせる必要はない。親の力が試される。