将来残酷な(思いやりのない)人間にならないように,残酷の芽を摘む

 (親が)できるかぎり努力したにもかかわらず,(子どもが)大きくなってから重大な残酷さが出てきた場合は,問題をきわめて深刻に受け止め,一つの病気であるかのように取り扱わなければならない。(残酷なことをした)子供を罰する時には,あたかも麻疹(はしか)にかかったときのように,不愉快なことが彼の身の上にたまたま起こっているという意味合いで罰するべきであり,自分は悪い人間だという気持ちにさせるべきだという意味合いで罰するのではない。
children-cruel しばらくの間,彼をほかの子供や動物から引き離しておかなければならない。そうして,彼らと付きあうのは安全ではないのだ,と説明してあげなければならない。自分が(同じような)残酷な仕うちをされたらどんなに苦しむかということを,できるだけ実感するようにしてあげなければならない。残酷さへの衝動という形で,大きな不幸が彼の身の上に降りかかってきたのであり,年長者たちは将来同じような不幸が彼に降りかからないように努力しているのだ,というふうに彼に感じさせなければならない。こういった方法は,少数の病的な事例を除いて,あらゆる場合にまちがいなく成功する,と私は信じている。

children-imitate_adult_cruelityIf, in spite of all your efforts, grave cruelty develops at a later age, the matter must be taken very seriously, and dealt with like an illness. The boy should be punished in the sense that unpleasant things should happen to him, just as they do when he has measles, but not in the sense that he should be made to feel wicked. He should be isolated for a while from other children and from animals, and it should be explained to him that it is not safe to let him associate with them. He should be made to realize, as far as possible, how he would suffer if he were cruelly treated. He should be made to feel that a great misfortune had befallen him in the shape of an impulse to cruelty, and that his elders were endeavouring to shield him from a similar misfortune in the future. I believe that such methods would be completely successful in all except a few pathological cases.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 9: Punishment
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE09-080.HTM

[寸言]
 「腕白でもよい、たくましく育ってほしい」というCM(丸大ハム)が昔はやりました。自分の子どもには、怪我を恐れずに冒険してほしいという意味でならよいでしょうが、他人の子どもを多少いじめてもかまわない(誰にもまけない腕力や気力を持ってほしい)というのであれば好ましくありません。

他人の気持ちは利害が衝突してはじめてわかるという側面がけっこうあります。子どもの世界でも同じです。子供同士利害が衝突した時に、相手の考えていることや気持ちを理解することによって相互理解が進むとともに「思いやり」の心が育ちます。
しかし、他の弱い子どもをいじめても、「子どもは多少腕白なほうがよい」といって親が甘い対応ばかりしていると、結局、相手を理解したり、思いやりの心を養う良い機会を失ってしまいます。
世襲議員や財界人や富裕層な人々の子どもにもそういった危険が潜んでいます。もちろん、そういった特権階級の人々のなかにも少数ですが、そのことを自覚して、子どもが傲慢にならないように努めている人も割合は少なくとも確実に存在しています。しかし、そうでない人間のほうがずっと多く、たとえば、◯◯◯◯とか△△△△とか・・・。