ドーラの妊娠を知り、病床にありながらも初めて生きる喜びを感じたラッセル

BR-1921 私は,回復期の全期間を通して,弱々しく,肉体的には非常に不快であったにもかかわらず,きわめて幸福だった。ドーラ(写真:恋人 Dora Black とともに北京大学にて)は非常に献身的で,不愉快なことはすべて忘れさせてくれた。私の病気の回復期の初めの頃,ドーラは自分が妊娠していることを発見した。そうしてそれは,私たち二人にとって計り知れない幸福の源泉であった。アリス(初婚相手)とリッチモンド・グリーンを散策した時以来,子供がほしいという私の願望は日増しに強まってゆき,とうとう心を焼き尽くすほどの情熱にまでなっていた。私は,自分が生き残っただけでなく,子供を持つことになったことがわかると,回復期間中,もろもろの一連の軽い病気を併発していたにもかかわらず,自分が回復の途上にあるということにはまったく無頓着になった。主な病名は,両側肺炎であったが,それに加えて心臓病,腎臓病,赤痢,静脈炎も併発していた。けれども,そのいずれも,私の申し分のない幸福感を妨げることはなかった。そうして,これらあらゆる陰気な徴侯にもかかわらず,回復後は,いかなる悪い影響も後に残らなかった。
もう死なないということを感じながらベットに横たわっていることは,驚くほど愉快なことであった。その時まで私は,自分は根本においては悲観的な人間であり,生きていることに大きな価値をおいていない,と常に想っていた。しかしそのように考えることは完全な間違いであり,人生は無限に甘美なものだということを,私は発見した。
北京では雨はまれにしか降らないが,回復期間中,大雨が降り,それが湿った大地の快い香りを窓を通して運んできた。そうして,もし二度とこの香りをかぐことがなかったとしたら,何と恐ろしいことだったろう,と私はよく思った。私は,太陽の光にも,また風の音にも,これと同様の感情を抱いた。私の病室の窓のちょうど外側に,何本かの非常に美しいアカシアの木が立っており,私が良くなって鑑賞できるようになったその最初の時に,いっせいに開花した。その時以来私は,生きていることは楽しいということを心の底からわかるようになった。大部分の人々には,疑いもなくいつもそのことがわかっているのに,私にはわからなかったのである。

All through the time of my convalescence, in spite of weakness and great physical discomfort, I was exceedingly happy. Dora was very devoted, and her devotion made me forget everything unpleasant. At an early stage of my convalescence Dora discovered that she was pregnant, and this was a source of immense happiness to us both. Ever since the moment when I walked on Richmond Green with Alys, the desire for children had been growing stronger and stronger within me, until at last it had become a consuming passion. When I discovered that I was not only to survive myself, but to have a child, I became completely indifferent to the circumstances of convalescence, although, during convalescence, I had a whole series of minor diseases. The main trouble had been double pneumonia, but in addition to that I had heart disease, kidney disease, dysentery, and phlebitis. None of these, however, prevented me from feeling perfectly happy, and in spite of all gloomy prognostications, no ill effects whatever remained after my recovery.
Lying in my bed feeling that I was not going to die was surprisingly delightful. I had always imagined until then that I was fundamentally pessimistic and did not greatly value being alive. I discovered that in this I had been completely mistaken, and that life was infinitely sweet to me. Rain in Peking is rare, but during my convalescence there came heavy rains bringing the delicious smell of damp earth through the windows, and I used to think how dreadful it would have been to have never smelt that smell again. I had the same feeling about the light of the sun, and the sound of the wind. Just outside my windows were some very beautiful acacia trees, which came into blossom at the first moment when I was well enough to enjoy them. I have known ever since that at bottom I am glad to be alive. Most people, no doubt, always know this, but I did not.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 3: China, 1968]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB23-100.HTM

[寸言]
幼い時に両親が亡くなり、自分は生涯,幸福になれないだろうとずっと思っていたラッセル。しかし、ラッセルは、異郷の地で病床にあっても、恋人のドーラが妊娠して自分にも子供を持てることがわかり、50歳近くになって初めて幸福感にひたることができた。
1911年秋以降、アリスとは別居していたが、当時の英国の法律では、どちらかに結婚生活を継続できない重大な事実(違反)がない限り、離婚ができなかった。
ラッセルとドーラは、日本経由(日本には約2週間滞在)で、1921年秋に英国にもどった。そうして、長男が生まれ、裁判で離婚が認められ、二人は正式の夫婦になれ、★しばらくの間★、幸福な結婚生活を送ることができた。